Blue Signal
July 2004 vol.96 
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食歳時記 心太
心太
酢醤油をかけたところてんは、涼しさを誘う。風味を一層ひき立てるため、地域によっては胡麻や海苔などを添えて食する。
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天突きから流れ出る半透明の“糸”がいかにも涼しげ。「一尺の滝」「銀河三千尺」などと例えられる。
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海からあげられたマクサを天日にさらす光景は、加太の夏の風物詩である。
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太陽の陽射しをたっぷりと浴び、黄色く変色した天草。この天草が良質のところてんとなる。
涼を呼ぶ夏の味わい
透き通った色が目にも涼やかな「ところてん」は、つるりとしたのど越しもまた、格別の涼感を呼ぶ。口当たりのさわやかさとともに、細い糸のような形状が夏にふさわしい風流な食べ物である。

清滝の水汲みよせてところてん

江戸時代の俳人松尾芭蕉は、暑さの盛りの京都・清滝で、冷たいところてんを食した喜びをこう詠んでいる。古くから、夏の代表的な食品として、人々の舌を魅了しつづけるところてん。多様な涼味がある現代においても、独特の存在感が光る。その味わい方の歴史やユニークな名前の語源について探ってみた。
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“こころぶと”から“ところてん”へ
ところてんとは、原料である海藻の天草[てんぐさ]を煮出し、その煮汁を濾過[ろか]して冷やし固めたものをいう。歴史は古く、6世紀前半、中国からの精進料理の伝承にともない、その製法が伝えられたといわれている。記述としては、701(大宝元)年に制定された『大宝律令』の中の『賦役令[ふやくりょう]』に、租税の対象として「心太〜こころぶと〜」という名で登場する。平城京の市[いち]では、魚屋や豆腐屋とともに海藻を売る「海藻店[にぎめだな]」やところてんを売る「心太店[こころぶとだな]」などが出ていたという。当時は、上流階級の食べ物であったとされるが、江戸時代には広く庶民の食べ物として親しまれるようになった。

「心太」と書いて「ところてん」と読むのは、材料の天草が「凝海藻[こるもは]」と呼ばれていたことに由来する。凝海藻の名は煮るとどろどろに溶け、さめて煮凝るようすを表すとされる。その材料からできる製品を、「凝る」を語源とする「心」と太い海藻という意味の「太」という字をあて、「ココロブト」と呼んだ。その後「ココロテイ」「ココロテン」と変化し、「トコロテン」となったと考えられている。江戸初期の文献『料理物語』には、“心太と書いてところてん”という表記が残っている。
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処変われば異なる味つけの習慣
一般には、天突[てんつ]きと呼ばれる箱筒に入れ、麺状に突き出して食べる。古くは、「からし酢」で食べられていたというが、醤油の旨味を足した「酢醤油」味がしだいに広まっていった。しかし、その味わい方はさまざまで、地域ごとに微妙な違いがある。大きくは「酢醤油」と「黒蜜」に分けられるが、全国的には「酢醤油」が主流といえる。一方、「黒蜜」は京都・大阪などの関西で多くみられる食べ方である。その理由として、関西ではところてんより以前に葛きりを「黒蜜」で食べていたため、食感が近いところてんも同様の味つけで食べるようになったとされる。また、茶の湯とともに発達した和菓子の影響を受けたという説もある。

和菓子に欠かせない原料の砂糖は、当時大阪・道修町の薬種問屋が輸入していた。国内生産が始まった後も大阪商人が取り扱っていたことから、砂糖を入手しやすい大阪を中心に、和菓子感覚で「黒蜜」をかけて食べたと考えられている。酸味と甘味の違いにより、おかずとして食卓にのぼるか、おやつとして味わうか、食する場面も異なる。ところてんの食べ方は、地域の文化と密接に結びついている。
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海の恵みを太陽が育てる
原料となる天草は、紅色の色素を持つ紅藻類の一種で、海の岩場に生育している。一口に天草と呼んでいるが、その種類は「マクサ」「ヒラクサ」「オバクサ」など、多様である。

和歌山市加太[かだ]の田倉崎[たくらさき]海岸一帯は、天草の代表とされる「マクサ」の産地として毎年5月〜7月頃にかけて収穫のピークを迎える。その時期になると、防波堤や船着場などに採ってきた赤紫色の「マクサ」を広げ、天日干しにする光景が広がる。天草を採る海女の役目をするのは地元の主婦たち。海に入って刈り採ったり、海岸に打ち上げられたものを集め、真水をかけては乾燥させる作業を繰り返す。天候に恵まれると、4〜5日で完全に水分がなくなるという。海中では赤褐色をしている天草も、天日にさらすことにより、黄色いアメ色に変わっていく。ところてんをより透明に近づけるには、乾燥の期間を長くすればよいのだが、独特の風味がなくなるという欠点もあるという。海藻ならではの磯の香りも、ところてんの持ち味なのである。
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夏の暑気を払い、体に効く
見た目や食感だけでなく、ところてんには身体を長い間冷やす効果があり、暑気払いには最適の食べ物とされている。汗をかく暑い盛りに「酢醤油」で食べることで、酢に含まれるクエン酸が疲労を回復し、醤油で塩分を補う効果も得られるという。また、「黒蜜」には多くのミネラルが含まれていることから、暑さに疲れた身体にとって、理にかなった食べ方が定着しているといえる。さらに今日では、ところてんに豊富に含まれる食物繊維が注目され、肥満や糖尿病予防などへの期待が高まっている。

日本人の夏の暮らしに溶け込んできたところてん。淡白な味わいの中に、蒸し暑い日本の夏を心身ともに健やかにすごすための力を秘めている。
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