沿線点描 絶景美を求めて 小浜線 東舞鶴駅 〜 敦賀駅(京都府・福井県)

絶景

小浜湾を間近に臨みながら走る列車。水平線が見える海は若狭湾。(勢浜駅〜小浜駅)

歴史豊かな若狭路を巡り、今春、北陸新幹線開業を迎える敦賀へ

小浜線は、京都府の東舞鶴駅から福井県の敦賀駅を結ぶ84.3kmの路線。
近代化遺産が残る舞鶴から若狭湾に沿って走り、今春、3月16日に北陸新幹線の開業を迎える北陸路の玄関口、敦賀をめざす。

3月に開業する北陸新幹線敦賀駅の駅舎。3階に新幹線ホーム、2階にコンコース、1階に在来線の特急ホームがある。駅舎の高さはビル12階に相当する約37m。

赤れんがの遺産の街から若狭の国へ走る

 今回の旅は、東舞鶴駅から敦賀駅まで。今年の3月には北陸新幹線の金沢〜敦賀駅間が開業する。大阪から特急列車を乗り継いで金沢まで約2時間で結び、ますますの利便性向上が期待されている。

 起点駅の東舞鶴駅からバスで10分ほどの舞鶴東港のウォーターフロントには、瀟洒[しょうしゃ]な赤れんがの建造物が立ち並び、異国のような風景が広がっている。この一角に、1901(明治34)年に舞鶴鎮守府[ちんじゅふ]が開庁され、それに伴い旧海軍の倉庫が集中して建てられた。西欧列強に対して海防力の充実を迫られた明治期日本の遺構だ。現在は12棟の赤れんが倉庫が残り、「舞鶴赤れんがパーク」として博物館や記念館などにリニューアルされ、さまざまなイベントにも活用されている。舞鶴にはその他、トンネルや橋脚を中心に赤れんがの建造物が点在し、市内には多くの近代化遺産が残っている。

 西方に行けば、舞鶴市のほぼ中央に位置する五老ケ岳[ごろうがたけ]公園がある。海抜300mの五老ヶ岳山頂に広がる自然公園の展望広場からは、舞鶴の市街地やマリンブルーの美しい舞鶴湾、造船所などの景色が一望できる。

 東舞鶴駅を離れた列車は進路を東にとり、次の松尾寺駅を過ぎると福井県に入る。松尾寺駅を過ぎて、「若狭富士」と呼ばれる秀麗な青葉山の山容を車窓に眺めつつ、やがて若狭高浜駅へ。駅からほど近くの海岸沿いは、戦国時代の城跡が公園として整備されている。高浜町の名勝「明鏡洞[めいきょうどう]」など、「八穴の奇勝」と呼ばれる洞穴があり、奇岩や若狭湾の絶景が楽しめる。

 さらに東に向かう列車は、勢浜[せいはま]駅を過ぎてビューポイントに差しかかる。車窓には岬に抱かれるように穏やかな小浜湾が広がる。ここを過ぎると、まもなく小浜駅だ。

海軍ゆかりの港めぐり遊覧船のりば。約35分の船旅では、護衛艦や造船所など海軍ゆかりのスポットを海上から眺めることができる。

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五老ケ岳公園からは、舞鶴湾や舞鶴市街が一望できる。ここからの眺めは「近畿百景」第一位に選ばれている。

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高浜町の「明鏡洞」は、穴を通して見える水平線が、鏡に映った別の景色のように見えることから名づけられた。

明治の鎮守府の煉瓦倉庫が、現代によみがえった「舞鶴赤れんがパーク」

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明治期から大正期に建てられた赤れんが倉庫。2012(平成24)年に「舞鶴赤れんがパーク」として改装オープンした。

「海軍カレーとは別に、まいづる海自カレーも展開中です」と、運営スタッフの岩田さん。

パーク内のショップでは、舞鶴にちなむご当地の土産物が人気。

 かつての旧海軍の収納庫として使用された赤れんが倉庫群をリニューアルした「舞鶴赤れんがパーク」。イベント会場や結婚式、コンサートなども催されている。「地元の方々にも、もっと親しまれる、地域に根ざした空間づくりをめざしています」と話すのは、運営スタッフの岩田伊吹さん。赤れんが倉庫内はカフェやショップ、オフィススペースなど、さまざまな用途に用いられている。

赤れんが2号棟で営業するcafe jazzの「海軍カレー」。旧日本軍がまとめた料理本を元に、当時のレシピに基づいて再現されている。

御食国小浜から神秘の湖を経て、鉄道と港の都市 敦賀へ

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三方五湖の一つ、久々子湖を臨み走る列車。(気山駅〜美浜駅)

 福井県の南西部は古代より若狭国と呼ばれた。若狭は塩や海産物を朝廷に献上し、都の食文化を支えた「御食国」で、その中心地が小浜だ。小浜駅から北にほどなく行くと、青々とした小浜湾が広がっている。この日本海に開けた小さな湾口から、大陸や朝鮮半島との交易によって物や文化などが都にもたらされた。

寺社仏閣に佇む小浜の国宝と重要文化財

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神宮寺の神事「お水送り」。白装束の神官らが遠敷川(おにゅうがわ)沿いの「神宮寺」のお香水(こうずい)を汲み、その上流にある鵜の瀬に流して奈良東大寺二月堂の「若狭井」に送る。

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明通寺の国宝の本堂と三重塔。いずれも鎌倉時代中期の建造物。境内には貴重な文化財も複数保存されている。

 若狭に春を告げる神宮寺[じんぐうじ]の「お水送り」は、奈良東大寺二月堂の「お水取り」に先立ち、毎年3月2日に行われている。奈良時代からの神事で、若狭と奈良の深い結びつきを示している。また、若狭小浜は「文化財の宝庫」と呼ばれ、寺社仏閣が数多く点在し、羽賀地区に鎮座する羽賀寺には、若狭の最高傑作と謳われる木造十一面観音菩薩立像が祭祀されている。女帝の元正天皇の姿を写した観音像の身丈は約146cm。平安初期の作と伝わる。

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羽賀寺の御本尊、木造十一面観音菩薩立像。羽賀寺は、716(霊亀2)年に行基(ぎょうき)が勅命により創建したと伝承される。

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若狭鯖街道の熊川宿。街道に沿って流れる前川とともに、江戸時代以来の景観が残る。

敦賀の鉄道の歴史を紹介している敦賀鉄道資料館。館内には模型やパネルが展示され、貴重な鉄道資料を公開している。

模型で復元した昭和初期の敦賀港。現在の敦賀鉄道資料館は、旧敦賀港駅舎を再現している。

 小浜の町中から京都へと続く「鯖街道[さばかいどう]」が延びている。中世以降、塩漬けにした大量の鯖が運ばれたことからそう呼ばれたそうだ。鯖街道を東に行けば、山間の集落に至る。物流の拠点として繁栄した熊川の宿場町だ。最盛期には戸数200を超え、賑わいを見せた熊川宿[くまがわじゅく]には、人や牛馬の往来が後を絶たなかった。通りには水路が走り、平入や妻入の木造家屋が整然と並んでいる。映画のワンセットのような町並みは、江戸時代の景観が今に残されている。

 また、若狭は「海のある奈良」と呼ばれ、奈良時代から鎌倉時代にかけての古刹が多い。小浜市街の東南に位置する「明通寺[みょうつうじ]」は、征夷大将軍坂上田村麻呂[さかのうえのたむらまろ]が蝦夷[えみし]遠征の後、806(大同元)年に平和を願い創建したと伝わる名刹だ。鬱蒼とした杉林を背に国宝の本堂と三重塔が佇んでいる。

 小浜駅から約30分で三方駅に到着。駅より北西側には若狭湾国定公園を代表する景勝地、三方五湖[みかたごこ]が広がっている。太古より豊かな生態系を育んだ湖は食材の宝庫で知られたが、昭和の中頃には、その生態系が一時崩れたという。三方湖畔で漁師をしながら、湖魚の味処「淡水」を営む吉田良三[りょうぞう]さんはそれを憂い、漁協などとともに湖の固有のウナギなどの養殖や、保全活動に努めたと語る。

若狭湾国定公園の景勝地、神秘の湖 三方五湖

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レインボーライン山頂公園からの眺望。三方五湖すべてが見渡せる。海水魚から淡水魚までさまざまな魚が生息し、水鳥の生息地でもある。

三方湖の天然ウナギ料理。湖魚料理「淡水」の吉田さんは、「固有種クチボソアオウナギを使っています。身が柔らかく上品な脂の旨味が特徴です」と話す。

 福井県美浜町と若狭町にまたがる三方五湖は、三方湖[みかたこ]、水月湖[すいげつこ]、菅湖[すがこ]、久々子湖[くぐしこ]、日向湖[ひるがこ]の5つの湖の総称だ。海水、汽水(海水と淡水が混じり合う)、淡水などの水質や水深は五湖すベて違い、湖面の色合いが異なることから「五色の湖」とも呼ばれる。「レインボーライン山頂公園」からは、三方五湖の全貌が見渡せ、湖の色の違いまで確認できる。三方五湖は2005(平成17)年には、国際的に重要な湿地を保全する「ラムサール条約湿地」に登録された。

 列車は気山[きやま]駅を過ぎると進路を東に変える。美浜駅を過ぎて、西敦賀駅を過ぎれば最終目的の敦賀駅だ。敦賀は日本海側で、初めて鉄道が開通した地域だ。明治から昭和初期にかけて、敦賀港にロシアのウラジオストクとの直通定期航路が開設され、シベリア鉄道経由でロンドンやパリなどの欧州と繋がる交通の要衝だった。旧敦賀港駅舎を再現した「敦賀鉄道資料館」では、市民が寄せた資料や模型が展示され、当時の様子を現在に伝えている。

 景勝美に彩られた若狭路は、歴史情緒にあふれる旅であった。

702(大宝2)年の建立と伝えられる氣比(けひ)神宮。7柱の御祭神を祀る北陸道総鎮守で、大鳥居は春日大社、嚴島神社と並ぶ日本三大木造鳥居の一つに数えられている。

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