塩見縄手から望む早朝の松江城天守。山陰地方唯一の現存天守を持ち、千鳥城とも呼ばれる。天守は2015(平成27)年に国宝指定された。

特集 古代の技術を受け継ぐ匠の手業  〈島根県松江市〉 松江の和菓子

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中興の名君 松平不昧公の城下町

 早朝の陽光が小高い亀田山山頂の国宝 松江城天守に射し込んでいる。周囲に巡る堀川では水鳥が遊び、水面に老松を映した塩見縄手からは豪壮な武家屋敷が見える。西に宍道湖、東には中海に挟まれた“水の都”松江は、かつての雲州松江藩の城下町だ。築城から400年余、関ヶ原の戦い後に移封した堀尾吉晴が、城を築くとともに城下町の基礎を造った。藩主は堀尾家2代、京極家1代の後、幕末まで松平家10代と続いた。藩政時代の名残とともに松江は城下町の風情を今も色濃く残している。

塩見縄手と呼ばれる武家屋敷の前の通り。堀川に並行する道の北側には武家屋敷が立ち並び、松江の城下町を代表する景観だ。松江市伝統美観保存地区に指定され、国の「日本の道100選」に選ばれている。

『不昧公寿像』。1751(宝暦元)年に江戸赤坂で生まれた松平治郷。松江藩10代藩主として改革を推し進め、藩の財政を立て直した中興の名君。(月照寺所蔵)

不昧公の好みによって建てられた「明々庵」。何度も移築された後、1966(昭和41)年に現在地の赤山に移された。茅葺きの入母屋に不昧公直筆の「明々庵」の額が揚がる。

不昧公好みの銘菓「菜種の里」。菜の花をモチーフにした黄色の菓子に白い蝶々が点々とあしらわれ、菜の花畑に蝶が舞う姿を表現している。松江の和菓子店「三英堂」だけに伝承される。

 雲州松江藩10代(松平家7代)藩主の松平治郷[はるさと]は「中興の祖」で知られる。治郷は弱冠17歳で藩主となったが、国家老の朝日丹波[あさひたんば]の支えを受けつつ、自ら藩政を指揮するのは46歳。斐伊川の治水事業や殖産に励み、薬用ニンジンや木綿、ろうの専売から製鉄などさまざまな藩政改革により窮乏していた財政を立て直した。その手腕から当時の治郷は松平定信(老中)、島津重豪[しげひで](薩摩藩主)、有馬頼永[よりとお](久留米藩主)と並び、「天下の四大名」に数えられた。今も松江の人々からは「不昧[ふまい]さん」の呼び名で親しまれている。

 「不昧」とは治郷が隠居後に剃髪してから名乗った号だ。禅に深く傾倒し、禅宗で重視される『無門関[むもんかん]』という書物の中に記された「不落不昧(堕落せず物欲に惑わされないという意)」から「不昧」と号し、それを好んで愛用したという。また、不昧公は希代の教養人で書や画、和歌、俳句、陶芸などにも精通し、多岐にわたりその才を発揮した。中でも、茶道においてはその名声を世に知らしめ、武家茶を代表する石州流[せきしゅうりゅう]の茶人として活躍し、「石州流不昧派」を創始した。

 そんな不昧公の好んだ茶室が城の北方、塩見縄手近くにある「明々庵[めいめいあん]」だ。1779(安永8)年に家老の有沢邸内に建てられた茅葺[かやぶ]き入母屋[いりもや]造りの茶室は、不昧公没後150年を機にこの地へ移築された。庵の中には二畳台目[だいめ](通常より小さい畳)と四畳半の席が組み合わされ、不昧公の趣向が大いに反映されている。その茶室を眺めながら、不昧公好みの銘菓「菜種の里」をいただいた。菜の花を思わせる黄色の和菓子は落雁(干菓子)で、口の中に入れた途端にサッと溶けていく。抹茶を口にすると、ほのかな甘さと調和し合って後味も爽やかだ。「寿々菜[すずな]さく 野辺の朝風そよ吹けは とひかう蝶の 袖そかすそふ」。不昧公のこの歌から命名された菜種の里は「山川」「若草」と並ぶ不昧公好みの松江三大銘菓の一つだ。

「喫茶きはる」で提供されている伊丹さんが作る上生菓子。すべて手作りで、季節に応じた趣向が凝らされた和菓子が販売されている。

松江歴史館内の「喫茶きはる」。大広間では、枯山水の出雲風庭園や松江城の天守を眺めながら抹茶と和菓子をゆっくりといただける。

「松江では小学生でもお茶を点てたりして、和菓子が生活に根づいています。和菓子を口にする人をもっと楽しませたいと思いながら日々作っています」と伊丹さんは話す。

 城の東側に位置し、かつて松江藩の家老屋敷が建ち並んでいた一角には、松江の今昔を伝える「松江歴史館」がある。館内では城や町の変遷を映像や模型などで紹介するだけでなく、松江城の天守を借景にした日本庭園でお茶を楽しむこともできる。館内に併設された「喫茶きはる」で和菓子作りにいそしむ松江和菓子研究家の伊丹二夫[つぎお]さんは、「不昧さんは、とてもお茶とお菓子に熱心な方だったと聞いています。その影響もあってか、松江の人々は出勤前や登校前に和菓子を食べてから家を出たり、3時のおやつの時にも口にしたりと和菓子が常に身近にあります。菓子処といわれる理由の一つですね」と話す。「和菓子にとって季節はとても重要で、お茶を飲みながら常に季節を感じてもらいたい」とも伊丹さん。職人歴70年の「現代の名工」は、常に四季折々の風情を感じさせる意匠を意識しているという。

 そうして出された伊丹さんの上生菓子は梅や椿、うぐいす、花かご、そして松など、色とりどりでどれを取っても松江の春を感じさせてくれた。

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