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総合職採用

電気

本社 電気部 担当課長 仲野 淳 1992年 入社

Career Step

  1. 1992年広島支社 新下関新幹線電力区 電気係
  2. 1994年西日本電気システム(株) 出向
  3. 1996年本社 電気部(業務制度)
  4. 1997年本社 建設工事部(電気)
  5. 1999年大阪工事事務所 大阪電力工事所 電気技術主任
  6. 2002年本社 総合企画本部(年度設備投資計画)
  7. 2005年神戸支社 神戸新幹線電気区 助役
  8. 2007年本社 電気部 新幹線電気課
  9. 2007年新幹線管理本部 電気課 課長代理
  10. 2008年西日本電気テック(株) 出向
  11. 2009年新幹線管理本部 博多新幹線電気区 区長
  12. 2011年本社 電気部 企画課 担当課長
  13. 2013年広島支社 電気課 課長
  14. 2016年本社 電気部 電力課 課長

「どうしてもやり遂げる」
先輩たちの使命感と行動力に引っ張られ、
メンバーの一員として
困難を乗り越えた時に得られた達成感

(出向)西日本電気システム(株) 大阪支店

入社して3年目、私は電気工事を施工する西日本電気システムに出向となり、関西エリアを中心に電力設備の設計と現場での工事指揮を担当することとなりました。そして出向から約半年が経った1月、阪神・淡路大震災が発生しました。
まず設備の状況を確認するため、被害を受けた電力設備の調査を行った後、次に復旧担当者として本社と出向先との間に立ち、施工方法や工程の調整、復旧工事の設計を行うだけでなく、実際に施工も手がけました。震災による現場の惨状を目の当たりにした時の率直な感想は、「これだけの被害を受けたら半年、1年かかっても復旧はできないだろう」というもの。しかし、実際に全線開通となったのは約2カ月半後のことでした。このように、想定よりも早い復旧を実現できたのは、早期復旧に向けて、「何としてもやり遂げる」という、先輩社員たちの使命感とリーダーシップ、そして各スタッフの頑張りに尽きると思います。通常の工事が無理なのであれば、皆で意見を出し合い別の方法を考える、必要な工具がないのであれば、自分たちで作る、という風に、無理だから諦めるのではなく、設定した目標を達成するために必要なことを考え、取り組み、ひとつずつ壁を乗り越えていきました。この時の熱意、実行力、結束力には素晴らしいものがあり、その根底にあったのは「鉄道が不通になると困る方が多くいらっしゃり、少しでも早く復旧させなければならない。」という皆の強い思いです。自身もその組織の一員として貢献できたことがうれしく、無事に運行が再開したときには大きな達成感を得ることができました。

成長を支えたもの

各現場で関わった上司や先輩の存在が大きかったと思います。私はどちらかというと慎重派で、何か行動を起こす前にはしっかりと考え、準備をするタイプでした。しかし現場では慎重さとともに、すばやく行動する実行力も求められます。例えば、阪神・淡路大震災後の復旧作業の際は、とにかく「早く復旧させる」という目標のもと、考え付いたことはすぐに実行する必要がありました。慎重派の私にとって、当時の周りの先輩方に引っ張っていただいた経験は、技術者として貴重な糧となっています。熱意を持って指示し、黙々と作業に取り組むその姿からは使命感のようなものを感じられ、この時に出会った先輩・上司たちの存在が、今日まで私の技術者としての指標となり、成長を導き支えてくれたように思います。

変電設備の責任者として
数多くの現場をこなし、
技術者としての自信が芽生える

本社 建設工事部(電気)

これまでは保守部門に所属し、主に電力設備の点検・修理を手がけていましたが、入社6年目にかねてより念願だった建設工事に関わる部署に異動となり、“ものづくり”の仕事に携わることになりました。電力設備の担当者として、小浜線や加古川線、、奈良駅の高架化などをはじめ、JR西日本の中でも大きなプロジェクト工事に数多く参加し、計画、設計、施工監督の仕事に取り組みました。保守部門は本来チームでの作業が基本ですが、プロジェクト工事の場合、担当する設備に関しては自分一人での担当となるため、重責とともに大きなやりがいを感じることができました。
また加えて、当時の上司がとても技術に詳しく、設備の技術面の向上、コンパクト化、効率化によるコストカットなど、新しい取り組みにも積極的にチャレンジする方でした。その上司のもと、私も「エリア内の電力設備の削減」といった新しい試みを提案し、実現することに成功しました。この案件に限らず、どんなものも頭から否定されるようなことはなく、実現に向けたアドバイスをその都度いただき、挑戦させてもらえたことが自身の成長にもつながったと思います。自分が一から携わったプロジェクト工事を完成させた時の喜びは格別で、今も無事に設備が稼働している状況を見るとうれしくなります。
さまざまなプロジェクト工事を通じて、電力設備に特化した技術力を着実にレベルアップすることができました。「この分野なら、プロフェッショナルとして自分なりの仕事ができる」。そんな、技術者としての自信が芽生えたのも、この時期でした。

地域への思いのもとに発揮される
ここ一番の結束力と行動力。
JR西日本の強みを再認識する。

本社 電気部 企画課 担当課長

入社11年目に本社の総合企画本部へ配属となりました。これまでは電気関連の部署に従事してきましたが、ここでは電気設備以外も含めた鉄道設備全般の投資計画を担当しました。当社にはたくさんの技術分野があり、それぞれに専門家がいて鉄道運行を支えていること、それら専門家の技術を組み合わせれば大きな仕事が達成できることを各部門の方と連携した業務を行うことで改めて感じました。また、この時代に出会った他部門の方々には、これ以降私が携わるさまざまな現場、プロジェクト工事で大きく助けてもらうこともあります。
その後、新幹線の電気設備に関する現場長を歴任し、2013年に広島支社電気課長に就任。担当部署の代表として、いろいろな部署と折衝・協力するなかで、広島橋上駅新築他工事をはじめとする数多くのプロジェクト工事を推進しました。また、この時期に山口線や可部線などが大雨災害に見舞われ、沿線のケーブルや電柱に大きな被害を受けました。阪神・淡路大震災の時と同じく、皆が一丸となって復旧作業に取り組み、早期開通を達成できました。この時私は、作業全体を指揮する立場でしたが、非常時の際の実行力やチームの結束力の強さを再認識し、現場を支える後輩たちの姿を頼もしく感じました。その裏側には、やはり「地域への思い」があり、その思いのもと皆が一致団結して大きな力を発揮できたことが、当社の強みであることを改めて実感させられました。

私の地域への取り組み

2017年10月に発生した台風21号の影響で、湖西線の複数の電柱が倒れました。普段より、お客様センターへは数多くいただくお叱りのお声を改善すべく、日々努力をしている中で、今回の被害についても、これまでの他の災害時と同様に、一刻も早い復旧をめざしましたが、結果的に2日間電車を止めてしまうことになりました。しかし、この時は「よくこんなに早く復旧していただけましたね」といったお褒めや労いのお声もいくつか頂戴いたしました。中には、恐縮するほどお褒めくださるお声もあり、現場で毎日一生懸命務めている社員たちの姿を知っているだけに、この時ばかりは涙が出そうになりました。復旧作業だけに限らず、新駅の開設などさまざまな工事を通じて、これまでに何度も鉄道と社会・地域とのつながりの深さを実感し、そのことが仕事の喜びや、やりがいにつながっています。