義太夫上方唄「もさ巡礼」を舞う五世井上八千代。四世八千代も好きだった曲で、都に出てきた巡礼娘の話から展開し、坂上田村麻呂の活躍、清水寺を舞台に観音の霊験を讃える曲とされる。  (写真提供:片山家能楽・京舞保存財団)

特集 女舞の流儀と美を受け継ぐ京舞井上流 伝統芸能

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祇園とともに歩んだ京舞井上流、代々で紡いだ流儀と芸能美

地唄「虫の音」を舞う五世井上八千代。「虫の音」は、生前の四世が「追善の会」で舞ってほしいという思いを五世に伝えた地唄で、着物は薄(すすき)があしらわれたものにするという。(写真提供:片山家能楽・京舞保存財団)

井上流名取の舞扇。表には「井菱」、裏には「八千代之印」が押印(おういん)されている。

 京舞は上方舞の中でも、京都で発展した舞である。京舞井上流は、井上サトが寛政年間(1789〜1801年)に創始する。サトは公家の近衛[このえ]家の舞指南役を勤め、暇を許された折に「玉椿[たまつばき]の八千代[やちよ]までも忘れぬ」との言葉を賜ったことから、「井上八千代」を名乗った。その名跡が、代々受け継がれていく。初世の姪にあたる二世アヤが金剛流の能や人形浄瑠璃の要素を取り入れ、三世春子が「都をどり」の創始に携わる。1872(明治5)年開催の京都博覧会で都をどりの振付を依頼された際、祇園においては井上流以外の流派を入れないという取り決めがなされた。以降、「祇園の御留流[おとめりゅう]」と呼ばれ、三世が現在の井上流の礎を築いた。そして、現家元の師匠となる四世八千代(愛子)へと引き継がれる。

五世八千代襲名披露の会で、「猩々(しょうじょう)」を舞う四世井上八千代。齢95で舞を披露し、五世に偉大な名跡を引き継いだ。1955(昭和30)年に「人間国宝」の制度が開始された第一次に女性として唯一、50歳の若さで認定された。
(写真提供:片山家能楽・京舞保存財団)

新門前の稽古場で舞を披露する家元。「時代が移りゆく中で、舞そのものがどう生き残っていくべきか。それは、京舞が持つ本質的な部分、根っこにある強さとしなやかさ、そして普遍性があるかどうか。それが大事やと思います」と話す。
(写真提供:片山家能楽・京舞保存財団)

「都をどり」のフィナーレ。華やかな舞台上を彩る約50名の舞妓芸妓の共演で、一度も幕を下ろさず舞台転換を行うのが特徴。谷崎潤一郎や夏目漱石、今上天皇陛下(皇太子時代)も観劇に訪れた伝統の舞台。
(写真提供:祇園甲部)

地唄「珠取海女(たまとりあま)」を舞う井上安寿子。母は五世井上八千代で、井上流の名取として活躍する。「珠取海女」は五世八千代にとって思い入れのある舞で、子どもの時に見た四世八千代の舞にに心を奪われた曲。
(写真提供:片山家能楽・京舞保存財団)

 四世八千代は数え年2歳にしてお茶屋の養女となり、10歳で「定子」として舞妓に、数え年13歳で三世八千代の内弟子に入る。26歳で観世流能楽師八世片山九郎右衛門[くろうえもん](片山博通)に嫁ぎ、その長男の博太郎(九世)の娘が現家元の五世八千代(三千子)で、祖母と孫の関係にある。四世八千代は1947(昭和22)年の襲名後、その翌年に祇園を飛び出し初の東京公演を行った。その格調高い舞は絶賛され、全国にその名を轟かせた。後の人間国宝認定や文化勲章受章などにも控え目で、「あては死ぬまで修行です」という先代の言葉を重んじていたという。四世八千代95歳、その日を迎えると同時に五世八千代へ大名跡[だいみょうせき]が継承される。

 京都市新門前[しんもんぜん]に居を構える能の片山家に生まれた五世八千代は、舞の稽古を2歳から始める。父は後の人間国宝、九世片山九郎右衛門。親類筋もまた能楽師で、歌舞練場へ足を運べば、周りからの期待をひしひしと感じたという。高校を卒業すると、四世八千代のかばん持ちとして研鑽を重ね、舞妓芸妓の教育機関である八坂女紅場[やさかにょこうば]学園舞踊科の教師となる。その後、能楽師九世観世銕之丞[かんぜ てつのじょう]と結婚し、後に井上安寿子[やすこ]と観世淳夫[かんぜあつお]が誕生する。そして、2015(平成27)年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。初世から五世へと井上流は女性のみで受け継がれてきた。

 「お腹に力を入れて、御居処[おいど](お尻)を下ろす。そして、踵[かかと]を上げる」。井上流の流儀は、重心のとり方が他流とは異なる。紫苑[しおん]色の着物に身を包み、舞を披露した家元は言う。「井上流は、動きとして派手ではない。重要なのは、役をつくりすぎずに自然体であること。祖母の舞は大地に根の生えたような力強さと、生まれたてのみずみずしさを併せ持っていました。それが私の目標です」。苦労人であった四世八千代の舞には、内からの人間のやさしさが垣間見えたともいう。所作[しょさ]や間[ま]、足の運びや目の使い方、指の位置まで細部にわたり意識する。舞は地道な努力を積み重ね、反芻することで己を曲に馴染ませる。そして、飽くなき稽古によって作りごとであることを忘れ、それが自然体の美となっていく。

 静寂に包まれた稽古場での家元の一人舞は、華やかな都をどりとは趣が異なり優雅で情緒的だ。京都祇園で継がれる京舞井上流。それは奥深い日本文化であった。

参考文献/『京舞つれづれ』(井上八千代 著/岩波書店)、『京舞井上流の誕生』(岡田万里子著/思文閣出版)、『日本舞踊ハンドブック改訂版』(藤田 洋著/三省堂)

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