エッセイ 出会いの旅

湊 かなえ

1973(昭和48)年、広島県生まれ。2007(平成19)年、「聖職者」で小説推理新人賞を受賞。翌年、同作を収録する『告白』でデビュー。同書は、2009(平成21)年本屋大賞を受賞。2012(平成24)年「望郷、海の星」(『望郷』収録)で日本推理作家協会賞短編部門を受賞。2016(平成28)年『ユートピア』で山本周五郎賞を受賞。2018(平成30)年『贖罪』がエドガー賞ベスト・ペーパーバック・オリジナル部門にノミネートされた。その他の著書に、『少女』『高校入試』『物語のおわり』『絶唱』『リバース』『ポイズンドーター・ホーリーマザー』『未来』『落日』『カケラ』『ブロードキャスト』『ドキュメント』などがある。

「小銭を集める理由」

 28年前の1月半ばの出来事。阪神甲子園球場から徒歩1分のアパートに住んでいた大学生の私は、ある夜、突然、ものすごくおもしろそうなことを思いついた。所属していたサイクリング同好会はオフシーズンである。だけど、旅に出てみたい。

 1円と5円以外の小銭を巾着袋に詰めて、早朝のJR大阪駅に行き、袋から一掴みでガシッと取り出した小銭を券売機に入れて切符を買い、それで行ける一番遠い駅まで旅をする。どちらに向かう電車に乗るのか、東西南北を書いたクジも作ろう。できるなら、行先はあまり有名でない駅がいい。多くの人が知らない、何かしらの小さな出会いや発見があり、そこはきっと「運命の場所」になるはずだ……。

 しかし、その計画は翌日には頓挫する。はりきって提案した大学のクラスメイトたちに、「何がおもしろいのかわからない」と一蹴されてしまったからだ。「それより、ちゃんと旅行会社のツアーに申し込もうよ」とも言われた。

 がっかりして自宅アパートに戻り、ふと思う。一人で行けばいいんだ。と、そこで思い出した。5枚綴りで買った青春18きっぷが1枚残っていたことを。しかも、期限切れまであと数日。講義もバイトもない、丸一日ヒマな日が一日だけある。一人旅で、見知らぬ駅に降りるのは不安だから、今回は、有名な場所を目指すことにしよう。一日乗り放題の切符を最大限に活用できる、名勝地……。

 翌朝、私は始発の電車に乗り、JR大阪駅に向かった。そこから目指すのは、日本三景の一つ、「天橋立」だ。

 スマホなどない時代、「JR全線全国時刻表」のポケット版は当然のように所持しており、晩のうちに、どの線のどの駅に何時何分に降りるのか、最速ルートを調べて、メモもしていた。迷うことなく目的の電車に乗る。平日の電車は、通勤・通学客がほとんどで、短い区間を乗り降りする人たちを眺めながら、自分は何かをサボっているわけでもないのに、少し背徳感を抱いた。それが、逆に心地よくなる頃、窓の外は、寒風に尖った景色から、雪に覆われた丸みをおびたものに変わっていた。

 予定通り、昼前に到着した天橋立駅も一面、深い雪に覆われていた。日頃、雪に縁のない私は、普段と同じ防寒対策しかしていない。お腹もすいていた。早速、昼食を、と思ったものの、飲食店、土産物屋など、周辺の店のほとんどがシャッターを下ろしている。地元の名物とか、そんなものを求めている場合ではない。開いている店を探しながらさまよい歩いているうちに、ふと気付いた。今は、天橋立のベストシーズンじゃなかったんだ。

 やっとみつけた営業中の喫茶店に入り、ミートソースのスパゲティを注文した。地元の人らしきお客が数名。その人たちに私は「ワケあり」だと思われたのか。「どこに行くの」と初めは遠慮がちに、徐々に積極的に、皆が優しく、明るい口調で話しかけてくれた。私も「雪の天橋立の写真を撮りにきたんです」などと、さもこの時期を狙ってきたような強がりを言い、お勧めの撮影スポットなどを教えてもらった。コーヒーまでごちそうになり、店を出る頃には不安も消え、帰りの電車の時刻まで、意気揚々と歩き回った。なんと、天橋立の往復までした。すれちがう人はほとんどなく、海と雪と松の美しいコントラストを独占する贅沢さ。来た時には開いていなかった小さな土産物屋で、丹後ちりめんの小物入れを買い、再び、天橋立駅から電車に乗った。雪が消え、陽が落ちて、私の一人旅も終了した。

 結婚し、家庭を持つと、一人旅は難しい。だけど、子どもも巣立ち、夫婦も互いに好きなことをし合うようになった。しかし、今はコロナ禍。私はあの計画を果たすために、小銭をせっせと集めている。

※「青春18きっぷ」は、日本全国のJR線の普通・快速列車の普通車自由席及びBRT(バス高速輸送システム)、ならびにJR西日本宮島フェリーに自由に乗り降りできるきっぷです。新幹線や特急列車、JR線以外の私鉄列車等には乗車することはできません。

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