沿線点描 絶景美を求めて 呉線 三原駅〜呉駅(広島県)

絶景

列車は瀬戸内の紺碧の海に浮かぶ美しい島々の眺望を車窓に走る。
呉線で最初に出合う絶景美。(須波駅〜安芸幸崎駅)

瀬戸内海の絶景美を眺めつつ、安芸灘の造船の街を訪ねて

西日本の各沿線上には美しい景勝地が点在する。
今号からは「絶景美を求めて」をテーマに風光明媚な路線を取りあげる。今回は、瀬戸内海の沿岸部を走る呉線で、広島県の三原駅から呉駅までを紹介する。
列車は瀬戸内海に浮かぶ絶景の多島美を見ながら呉駅に向かった。

1567(永禄10)年に築かれたとされる三原城跡。明治時代に本丸跡に三原駅がつくられた。

しまなみ海道の多島美を車窓に、「安芸の小京都」竹原へ

 呉線の醍醐味は、なんといっても列車から眺める車窓だ。列車は海岸に沿って入り江を走り、近くに遠くに無数の島が浮かんでいる。そんな瀬戸内海の多島美が車窓を彩る。

 三原城跡に隣接する三原駅を離れた列車はすぐに山陽本線と分岐し、進路を南に沼田川を渡る。筆影山[ふでかげやま]の裾野を走る列車が隣の須波[すなみ]駅に近づくと、車窓から瀬戸内海に浮かぶ大小さまざまな島々が見えてくる。最初の絶景だ。間近に見えるのは小佐木[こさぎ]島や佐木島、その奥には島影が重なるように見える。広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ「しまなみ海道」の風景だ。

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三原市の筆影山から望む「しまなみ海道」の多島美。島影が重なり合う一大パノラマが広がる。

 抜けるような青空から陽光が瀬戸内海の凪いだ海に射しこみ、海面は散りばめたガラス玉のようにキラキラと輝いている。行き交う内航船を眺めつつ、列車は瀬戸内海の沿岸部を西に向かう。安芸長浜駅まで、穏やかな海景色が続いている。

 竹原駅まで約35分。竹原は平安時代に京都下鴨神社の荘園として栄えた「安芸の小京都」。江戸時代には製塩業と酒造業で隆盛を極め、町はかつての名残を現在にとどめている。

 駅から北東の方角に行くと、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定される「たけはら町並み保存地区」の一角がある。南北に延びる約350mの本町通りには豪商屋敷をはじめ、格子や漆喰壁の町家が軒を連ねている。映画のセットのような趣のある通りは映画やドラマ、アニメの舞台にたびたび登場し、朝の連続ドラマ「マッサン」で親しまれたニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝の生家や、淡いブルーの洋館などが景観のアクセントになっている。

 その通りから高台にある西方寺へ向い、本堂の横にある舞台作りの御堂をめざした。京都の清水寺を模した普明閣[ふめいかく]だ。「竹原に来たら必ず訪れる」といわれる名所で、そこから一望する市街地はとびきりのパノラマ写真を見るようだ。見上げれば町のどこからでもその姿を望むことのできる普明閣は、昔も今も竹原のシンボルとして迎えてくれる。

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西方寺の普明閣からの眺望。竹原の町並みが眼下に一望できる。

「塩」と「酒」で栄華を極めた竹原を歩く

江戸時代の風情が残るたけはら町並み保存地区。本町通りには重厚な造りの町家が建ち並ぶ。

たけはら町並み保存地区には、江戸期や明治期の建物をリノベーションした宿泊施設が点在している。

本町通り沿いにある竹鶴政孝と妻 リタの銅像。竹原は竹鶴政孝の生まれ故郷。

 広島県の瀬戸内海沿岸部のほぼ中央に位置する竹原は、300年以上にわたり製塩業で栄えた「塩のまち」だ。塩田は1960年頃に廃止されたが、酒づくりや紺屋、海運でも潤い財を成した。本町通りには江戸時代以降の建物がいくつも残る。石畳の通りには本瓦葺き平入りの町家が競り合うように並び、商いで大いに賑わった往時が偲ばれる。

 また、近年は町家を活かしたホテルなどが開業し、観光客からも注目を集めている。

安芸の杜氏の郷から、多島海に面する造船のまちへ

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海のすぐ際を走る観光列車「etSETOra(エトセトラ)」。瀬戸内海の「青」と海岸線から見える波の「白」をイメージした外観で、月、金、土日祝日に運行する〈往路は広島駅〜尾道駅(呉線経由)、復路は尾道駅〜宮島口駅(山陽本線経由)〉。(安芸幸崎駅〜忠海駅)

 列車は竹原を出ると賀茂川を渡り、やがて安芸津[あきつ]駅へ。駅前から見える赤レンガの煙突は日本酒の醸造所だ。安芸津町は古くより酒造りが盛んで、最盛期には酒蔵が20軒を数えた「杜氏の郷」だ。東広島市の“酒都”西条をはじめ、全国の酒どころに杜氏や蔵人を送り出し、広島の酒を世に知らしめた。そのきっかけが、この地の酒造家であった三浦仙三郎が考案した「軟水醸造法」だ。その技術は現代吟醸酒造りの礎で、安芸津町の誇りとして伝えられている。

「百試千改[ひゃくしせんかい]」の酒づくり 安芸津町を訪れる

杜氏の今田さんは「広島杜氏はリベラルで、広島で“女人禁制”という言葉を聞いたことがありません。私以外にも昔から女性杜氏はいました」と話す。
photo:KOSUKE MAE

「広島杜氏の郷」の安芸津町は古く広島藩の米蔵が置かれた港として栄え、酒づくりが盛んに行われた。
photo:KOSUKE MAE

創業150年の今田酒造本店は広島県産の米にこだわった吟醸酒を醸し続けている。写真左は看板商品の銘柄「富久長」。

 東広島市の瀬戸内海沿岸部に広がる安芸津町は江戸時代、御蔵所と酒で栄えた港町だ。奈良時代は海上交通の要衝で、地名の由来は「安芸の良い津」に因む。

 「広島杜氏の郷」で知られる安芸津町には現在、酒蔵が2軒。創業150年の「今田酒造本店」代表、杜氏の今田美穂さんは「三浦仙三郎の座右の銘“百試千改”を大切に、酒づくりに取り組んでいます。“吟醸を世界の言葉に”の思いで、海外にも出荷しています」と語った。

 今田さんは2020(令和2)年、英国のテレビBBC「今年の女性100人」に選出された。

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三津湾に浮かぶ数えきれないほどの牡蠣筏。牡蠣養殖で知られる瀬戸内を代表する景観。

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本州と下蒲刈島を結ぶ安芸灘大橋。橋梁下の「女猫の瀬戸」は、潮流が速く海の難所だ。野呂山から望む瀬戸内海国立公園の眺望は絶景。

呉の港には造船所のドックや大型クレーンが立ち並ぶ。

 列車は三津湾沿いに進むと穏やかな湾内にいくつもの牡蠣の養殖筏[いかだ]が浮かんでいる。いかにも瀬戸内の海の風景だ。三津湾は県内有数の牡蠣の産地で、筏の数は約900台。また、この辺りの風早[かざはや]地区は万葉ゆかりの地でもある。遣新羅使[けんしらぎし]一行がこの地に停泊した際に詠まれた対句の夫婦愛の讃歌が『万葉集』に収められている。

 安芸川尻駅を過ぎると、安芸灘大橋が現れる。本州と下蒲刈島を結ぶ橋長1,175mの吊り橋は、「女猫[めねこ]の瀬戸」と呼ばれる海峡にまたがる安芸灘諸島への玄関口だ。大橋の背後の野呂山頂上に立つと、吹き上げる海風は爽やかで、眼下にはのどかな瀬戸の海が広がる。ここからの眺めは瀬戸内海国立公園の中でも屈指の景勝だ。

 そして黒瀬川を渡り、休山[やすみやま]の長いトンネルを抜け、巨大なクレーンの姿が見えてくれば呉駅に到着。「日本一の海軍工廠[こうしょう]のまち」として栄えた呉だが、現在は世界最大級のタンカーを製造する「造船のまち」だ。駅から南に行くと、巨大な赤と黒のオブジェに目を奪われた。「てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)」に展示される潜水艦だ。実際に活躍した艦船で、2006(平成18)年に陸揚げされた。その向かいには、「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」があり、1階には10分の1の戦艦「大和」が展示されている。館内には、呉の歴史と近代化の礎となった科学技術などが紹介され、歴史を未来へと語り継いでいる。港には造船のドックや現役の潜水艦などが間近に見られ、興味の尽きないエリアだ。

 呉線の三原駅から呉駅までの沿線は、瀬戸の海がつかず離れずお供をして、大小の数百に及ぶ島々の絶景美を満喫する旅であった。

「造船のまち」呉の歴史を巡る

「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館」に展示される戦艦「大和」の模型。実物の10分の1の大きさで、全長は26.3m。設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに詳細に再現されている。

日本で唯一、実物の潜水艦が展示される「てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)」。潜水艦は、2004(平成16)年に除籍した、ゆうしお型潜水艦「あきしお」で、長さは76.2m。

 広島県南西部、瀬戸内海に面した呉市はかつて鎮守府が置かれた海防の要衝だ。1903(明治36)年には呉海軍工廠が設置され、戦艦「大和」を造った「東洋一の軍港」で知られた。街には大和を造船したドック跡をはじめ、日本近代化の歴史を象徴する工場群やれんが倉庫などの遺構が残されている。

 戦後は大型コンテナ船やタンカーなどを製造する「造船のまち」として発展し、現在は「大和ミュージアム」や「てつのくじら館」などの施設により、「呉の歴史」が伝えられている。

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