琴の竜腹(りゅうふく/裏板面)にある音穴。甲の内側には緻密な彫りを施す。ノミによる1彫り1彫りの丹念な手作業で繊細な文様を彫り進める。彫りには、綾杉彫のほかに麻型彫、子持綾杉彫、簾れ目彫などがある。

特集 艶やかに和の音色を奏でる 〈広島県福山市〉 福山琴

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熟練の琴師がつくる至高の伝統的工芸品

 山陽新幹線福山駅の北に隣接して福山城が聳[そび]えている。空襲で焼失し戦後に再建された天守閣だが、周辺の旧市街にはかつて琴づくりの工房が何軒もあって賑わったようだ。福山で本格的に琴の生産が始まったのは明治の初め。最盛期は昭和の高度成長期の頃で、一説には年間3万面を生産した。

 100人以上の職人がいるところも数社あって、福山市全体で500人ほどの職人がいたという。琴づくり60年の琴師、伝統工芸士の藤井善章[よしあき]さんは当時をこう話す。「作っても作っても足りないくらい琴が売れたんです」。それは琴が嫁入り道具だった時代の話で、「今は聴く人はいても、弾く人は少なくなりました」。

 琴づくりは一般的には、熟練の職人が全工程を丹念に仕上げるものだが、福山では製作工程を分業化し、質の高い琴を数多く製造した。当時、分業生産は画期的で、見た目に綺麗で音も良く低価格が福山琴の特徴だった。それで一躍人気となり、福山は琴の大生産地として知られるようになる。

 藤井さんの工房である藤井琴製作所は、城から車で20分ほどの郊外にあって一見すると製材所のようだ。琴師としての藤井さんの矜持は「伝統を守る云々より、自分に恥ずかしくない琴づくりをせないかん、ということやね。こだわりは、音の良さと見た目の綺麗さです」。

良い琴をつくる鉄則は「良い桐材を使うこと」。藤井琴製作所の敷地や工房では、多くの桐材を乾燥させている。木がアクで黒くなるまで乾燥させる。最低一年、雨露に晒すことで木のアクが抜ける。

甲づくりの作業。甲の表面を削り終えると、中をくり抜き、それから湾曲したカンナとノミで丹念に内側を削る。「削り皮一枚で音は違う。それに琴には平面がない」と藤井さん。特殊な道具は今でも自分でつくるという。

コテで甲を焼く。高温に熱し、火花を飛ばすコテは重量があり、思うような木目を仕上げるためには、力と集中力が必要だ。

焼かれた甲は丹念に磨かれ、やがて美しい木目が浮き上がり、深い味わいを帯びる。この木目は竜の鱗に見立てられている。木目はどれ一つ同じものはなく、琴の出来を左右する。焼く前(右)と比べると、木目の出方の違いは歴然。

 流派や地域にもよるそうだが、平均的な琴は絃が13本、長さ6尺(約182cm)、幅は広い部分で8寸5分(約26cm)で、全体は竜に見立てられる。頭部側を竜頭[りゅうず]といい、尾部側は竜尾[りゅうび]。甲[こう](胴)表面の木目は竜の鱗を表す。原材料は桐だが、最上級は年輪幅が小さい会津桐。琴づくりはまず桐材選びから始まる。木目の善し悪しを見極め、琴の寸法に合わせて断裁し、最低でも一年間屋外で自然乾燥させる。

 「一梅雨晒[ひとつゆさら]し」と呼ばれる作業は、梅雨時の雨で木のアクを抜くことで音にも仕上がりに影響するという。藤井さんが手掛けるのは高級品だけに、桐材の選定には特に厳しい。以後の工程を大別すると概ね、本体を作る甲づくり(胴部をくり抜くなど)、甲の裏などに施す彫刻作業、そして、加飾工程となる漆の蒔絵など。どれも熟練を要する作業で専門別に分担して行っている。藤井さんは主に甲づくりだ。

 「甲づくりは琴の出来、音色を左右します。そして、高温で焼いたコテで甲の表面を焼くことによって木目の美しさを引き出します」。琴の等級の基準は甲の木目の美しさで「木目が複雑であるほど高級品となります」。木目の焼き具合、木目の浮き出し具合、甲の艶。そこにはうかがい知れない繊細な手加減と、手技の駆け引きがある。経験と勘がないとできない作業だ。

①②琴の竜尾に装飾される「柏葉(かしわば)」づくり。柏の葉に似ていることからこの名がつく。この上に13本の弦を分け、巻いてまとめる。柏葉は琴のランク付けに関わる大切な装飾。材質は紫檀、黒檀など。③④竜舌(りゅうぜつ)づくり。竜舌部は琴の加飾の最たる部分。ここに高価な蒔絵や螺鈿(らでん)などの緻密な細工を施す。

 甲の内側にも施される彫刻は、職人の手仕事で見えない細部にまで繊細な装飾が施される。竜頭の蒔絵は世界に誇る日本の伝統工芸で、福山琴の華麗さを一層引き立てている。そうして、金具を取り付けて華麗な外見と美しい音を備えた福山琴は完成する。製作期間は乾燥からおよそ2年。福山琴が伝統的工芸品とされる所以である。

 藤井さんの持論は「見た目に美しい琴は、音も美しい!」。お嬢さんの紀早さんは4歳から琴を習い、小学校では琴クラブに所属。福山では広く琴を楽しむことが根づいているというから、いかにも琴のまちである。そして、せっかくだからと紀早さんは琴の師匠、生田流箏曲師範の森岡道人さんと一緒に『春の海』を奏でた。優雅な中にも芯のある音色が響く。師範の森岡さん曰く「琴の音は日本人の心のふるさと」。聞き入るうちに、あの箱庭のような鞆の浦の清々しい情景が浮かんだ。

琴づくり一筋60年。伝統工芸士の藤井さんは「何より琴をつくるのが好きなんです。中学を出てからずっと琴づくりですからね。私自身は琴は弾きませんが、良い音かどうかは分かります。ただ、今は琴を弾く人が少なくなって寂しいね」。

生田流箏曲師範の森岡さん(写真右)と紀早さんは、連弾で『春の海』を披露してくださった。

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