鞆の浦の全景。湾の形が弓を射るときに使う防具の「鞆」に似ているのが名の由来といわれている。瀬戸内海を一望し、冬の澄んだ天気の良い日には雪を戴いた四国連山まで遠望できる。

特集 艶やかに和の音色を奏でる 〈広島県福山市〉 福山琴

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『春の海』で知られる琴づくりのまち

 新春やハレの日の祝いの席で奏でられる琴の名曲がある。『春の海』。作曲したのは作曲家、箏曲[そうきょく]家の宮城道雄(1894〜1956年)。瀬戸内海の心安らぐ穏やかな海の情景を想い描いて、この曲を書いたといわれる。道雄は神戸生まれだが、父親の故郷は広島県福山市鞆の浦で、先祖の墓は鞆の浦にある。

 鞆の浦にある福禅寺の対潮楼から望む景観は、江戸時代に「日東第一形勝[にっとうだいいちけいしょう]」と、その風光を讃えられた。幼くして目が不自由だった道雄は、一緒に暮らす祖母から鞆の浦のことをよく聞かされて育ったという。そんな話から風景を想像し、光や風を感じ、波の音に耳を澄ませて自身の心象風景を曲に託したのだろうか。

山陽新幹線福山駅前に立つ福山城は福山のシンボル。備後十万石の初代藩主は徳川家康の従兄弟の水野勝成。以後、松平、阿部が藩主を務め、福山の文化、経済を育んだ。
※天守閣(福山城博物館)は工事のため2022(令和4)年夏頃まで休館。

波穏やかな鞆港に陽光がキラキラと輝く。常夜灯や石造りの雁木など、鞆の浦は全国で唯一、江戸時代の港湾形態と設備、そして伝統的な町並みを残す「日本遺産」だ。

福山市鞆の浦歴史民俗資料館には、宮城道雄が使用していた琴や著書などが展示されている。敷地内には道雄の座像もある。

 湾を見下ろす丘の上の福山市鞆の浦歴史民俗資料館には、道雄を顕彰する展示コーナーや、屋外には道雄の座像があり、その先に広がっているのは、島々を浮かべて光煌[きら]めく瀬戸の海である。『春の海』の曲想の通り、それは艶やかな日本のハレの風景である。

 実は、道雄ゆかりの福山市は「日本一の琴のまち」でもある。江戸期以来、琴づくりの歴史を重ね、とりわけ明治以降、現在まで生産量は全国一だ。しかも楽器として優れた音色や表現力の豊かさに加え、福山琴はその仕上げの精緻さ、華麗さ美しさゆえに楽器で初めて国の伝統的工芸品に指定され、最高級琴の代名詞にもなっている。

 琴の歴史は古く、6本弦の琴が弥生時代の遺跡から発掘され、膝上で琴を奏でる古墳時代の埴輪も見つかっている。「和琴[わごん]」「大和琴[やまとごと]」とも呼ばれ、日本の琴のルーツと考えられている。一方、奈良時代に唐から13本弦の「箏(そう・こと)」という楽器が伝来する。現在、使われている「琴(きん・こと)」は、この「筝[そう]」のことで、この2つは実際には異なる楽器である。

 「筝」とは、音の高低を決める柱[じ]が甲[こう](胴)の上にあり、我々が一般的に知る楽器である。対して「琴[こと]」は柱がなく弦のみで調音する楽器だ。昭和の初めに難しい「箏」の漢字の使用を制限し、「琴」の字を代用したのが今日の混乱のもととなった。楽器自体の特性としては「琴」は「箏」が正しい。

琴の本体は桐材が使われ、長さ約182cm、幅約26cm、中は空洞になっていて裏板に音穴が2つある。装飾の材は主に紅木、紫檀、花林など。高価なものには象牙を使用したり、蒔絵を施す。

福山市神辺町にある葛原勾当旧邸。勾当は目が不自由ながら京都で生田流箏曲の名手と呼ばれ、故郷の備後に戻って活躍した。領内各地を巡って、箏曲の普及に努めた功労者である。

 琴は神聖な祭礼や儀式に用いられた楽器で、平安時代には上流貴族の嗜みとして親しまれ、『源氏物語』にも「筝[そう]の琴[こと]」として登場する。時代を経て、身分を越えて琴が広く奏でられるようになるのは江戸時代になってからだ。泰平の世に大衆文化が開花し、歌舞や音曲が江戸や京都、上方で大変に隆盛し、備後十万石の福山城下でも芸事が流行した。

 初代藩主、水野勝成[みずのかつなり]が1619(元和5)年に入封した以降、福山の歴代藩主は謡曲や音曲を奨励した。そして、葛原勾当[くずはらこうとう](1812〜1882年)という京都で修練を積んだ生田流箏曲[そうきょく]の名手が備後福山に帰郷し、広く村々を回って琴を披露、指導するに及んで、その弟子580余名といわれ、流行をさらに後押しした。人々はこぞって琴をたしなみ、優れた箏曲家を多く育てた。

 道雄は箏曲家に入門し、14歳で『水の変態』を作曲、『春の夜』『秋の調』など作曲作品は300曲を超える。邦楽と洋楽を融合し現代邦楽への道を開き、多くの演奏家が道雄の後に続いた。そして道雄は、『夕日』や「村祭』などの童謡詩人である葛原しげると出会い、『春の賦』などいくつかの童謡を一緒につくっている。しげるは勾当の孫である。そんな福山の土壌が琴づくりの匠を育て、琴を福山市が誇る伝統産業にまで発展させたのである。

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