エッセイ 出会いの旅

桂 米團治
関西学院大学在学中の1978年、父である桂米朝に入門、桂小米朝を名乗る。
2008年、五代目桂米團治襲名。上方落語独特の華やぎを大切にしながら古典落語を追求、独自の世界を構築している。また、自身をモーツァルトの生まれ変わりと信じ、オーケストラと多数共演。オペラと上方落語を合体させた「おぺらくご」という新分野も確立。上方落語協会副会長の要職を務め、後進の育成にも力を入れている。大阪府民劇場奨励賞、兵庫県芸術奨励賞など受賞多数。

「龍神さんと出逢う旅」

 私は無類の神社好き。落語会などで全国を行脚する時も可能な限り、その土地の神社や古刹を訪ねるようにしています。でも最近、やたらと目にするのが「パワースポット」なる看板。どんな秘境であろうが、この文言を見た瞬間、あまりの俗っぽさに興醒めしてしまうのです。せめて「氣の通り道」とでも書いといてもらいたいなぁ。

 本来、日本人にはこんな看板など要らぬはず。我々の祖先は太古の昔から岩や木、火や水に神々しさを感じ、結界を張り、聖城として崇めてきたのです。殊に水辺には“龍”を意識し、神仏習合の精神と絡め合い、「龍神さん」とか「弁天さん」、或いは「市杵島姫命[いちきしまひめのみこと]」などと呼ぶようになりました。サンズイ偏に竜と書いて「滝」となる漢字こそ、その真髄です。

 目には見えねど、感じる力。先年、ブータンのワンチュク国王が来日された際、日本の子供たちに話された言葉は印象的でしたね。「皆さん、心の中の竜を育てましょう!」忘れかけていた人間の根元を思い起こされた瞬間でした。考えたら、私は龍神さんと出逢う旅を続けているのかもしれません。

 今日は、龍神さんのおわす島を一つご紹介しましょう。と言っても、決して五大弁財天(宮島、江の島、竹生島、天河、金華山)にあらず。瀬戸内海に浮かぶ小さな島。その名は仙酔島[せんすいじま]! 広島県福山市の南東端に位置する鞆の浦。その目の前に燦然[さんぜん]と輝く仙酔島は「仙人も酔ってしまうほどに美しい」ことから命名されました。広島県にありながらも福山市は備後国[びんごのくに]。私は勝手にここを安芸の宮島ならぬ「備後の宮島」と呼んでいます。

 JR福山駅から鞆の浦まではクルマで約30分。そこから市営渡船で約5分。仙酔島に降り立つと、まず空気の清らかさに気づくはず。島にクルマはありません。宿は国民宿舎かテントで眠るキャンプ場、そして“人生感が変わる宿”という謳い文句の旅館「ここから」の3つだけ。

 穏やかな潮風が気持ちイイ。海岸を散歩するだけで心洗われます。日本でここだけと言われる五色岩。時間が止まったかと思える彦浦の浜。大弥山[おおみせん]の頂上からの眺めは爽快! やがて、ふと我が身に大きな力が備わったことを実感するのです。

 浜辺には昔ながらの製法を今に伝える塩工房があり、塩づくりにも挑戦可能。「ここから」が運営する“江戸風呂”も人気の的。洞窟型の蒸し風呂や海の露天風呂に浸っていると、いつしか身体はふにゃふにゃに…。

 日帰りも良し、宿泊も良し。もちろん島での逗留も面白いけど、少し贅沢に対岸の「汀邸[みぎわてい] 遠音近音[をちこち]」で眠りに就けば、心地よいぞや波の音。

 そもそも、鞆の浦はかつて大陸と幾内を行き来する船の寄港地として栄えた所。古い家並みが色濃く残り、タイムスリップしたかのよう。福禅寺の対潮楼は元禄年間の創建で、朝鮮通信使を餐応した客殿として国の史跡に指定されています。高台にある沼名前[ぬなくま]神社はさらに歴史が古く、第14代仲哀天皇の時代の創建とのこと。ご祭神は大綿津見命[おおわたつみのみこと]と須佐之男命[すさのおのみこと]の二柱。なんと、京都の八坂神社の元社となっており、「鞆の祇園さん」と呼ばれているのだとか。いやぁ、恐るべし、鞆の浦!

 宮崎駿ファンならご存知の通り、鞆の浦は映画『崖の上のポニョ』のロケ地でもあるのです。沼名前神社の境内から仙酔島を見ていると、『千と千尋の神隠し』に出てくる白龍が飛んできそうで、愉しくなります。同時に、どこからともなく「あくせくしなさんな。ゆったり構えなはれ」という声が聞こえてくるようで……。それは龍神さんの教えなのかもしれません。

 交易の街として悠久の時を刻んできた鞆の浦ー。神社と島が呼応するかのように、街の推移の様子をつぶさに見続けてきました。今日も龍神さんは仙酔島を実に楽しげに飛び回っておられることでしょう。

 でも、皆さん! この島のことは、みだりに他人[ひと]に喋らないで下さいね。いつまでも聖地であり続けてほしいから。

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