宇治橋東詰の茶商「通圓」の創業は平安時代末期。初代は源頼政の家臣で宇治橋の守護職を賜り、往来する人に茶を振るまった。煎茶を淹れる24代当主の通円祐介さん。

特集 日本茶800年の歴史散歩〈京都府山城地域〉 宇治茶の郷を歩く

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日本茶の歴史と文化の源流・宇治

宇治橋から宇治川の上流を望む。川の右岸には平等院、左岸は『源氏物語』ゆかりの地。橋の中ほどに張り出した「三の間」があり、橋の守り神である橋姫を祀っていたといわれる。

 JR宇治駅から宇治橋に至る約1kmの宇治橋通りはいかにも茶の郷の景観だ。格式高い門構えの茶師の屋敷や茶問屋、室町時代由来の通りには「茶」と印した暖簾や看板を掲げた茶商が軒を連ねる。家並みは江戸時代に描かれた「宇治郷総絵図[うじごうそうえず]」とほぼ変わらない。

 突き当たると宇治川、右に折れると平等院への参詣道、やはり茶の看板が並ぶ。風光明媚な宇治は、平安時代は貴族の別荘の地だった。平等院建立など、当時は藤原家が一大勢力を誇っていた。現在でも、平安朝の邸宅の遺跡が発掘されたりする。雅な『源氏物語』宇治十帖の舞台でもある。

『宇治郷総絵図』(江戸中期/部分)。
近世の宇治郷がきわめて詳細にかつ美しく描かれている。門構えや家屋が一つひとつ描かれ、道筋などの地割りは現在とほぼ変わらない。(宇治市歴史資料館所蔵)

 宇治橋も歴史的建造物だ。およそ1370年前の646(大化2)年に初めて架けられたと伝承のある日本最古の橋の一つ。そんな僅かな知識でも、宇治橋から眺める浮き島や、宇治川上流のかすむ山々の風景は歴史の想像力をかきたてる。朝霧が川面を這う早朝の宇治川はとりわけ幻想的だ。宇治橋を渡ると平安末期創業の茶屋「通圓[つうえん]」が佇む。創業は1160(永暦元)年。

 「お茶を商いした日本最古の店です」と24代当主の通円祐介さんが話すように、宇治の歴史を重ね合わせたような茶屋だ。店舗は江戸期の建物で、国の重要文化的景観に選定されている。初代は源頼政の家臣で武勇に優れていたが、晩年は宇治橋東詰に庵を結んだという。

 その後、宇治橋の橋守(守護職)を仰せつかって、やがて往来する人に茶をもてなすようになる。通円さんが語る逸話の登場人物はみな歴史上の偉人、傑物だ。7代目は一休和尚と親交厚く、8代目は足利義政の芸能の顧問役である同朋衆[どうぼうしゅう]で、茶人として仕えたという。織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍家にも信任された。

 とりわけ秀吉には、宇治川から茶会の水を汲み上げる大役を任された。水を汲んだ千利休作の釣瓶が家宝として置いてある。「さ、どうぞ」と通円さんが煎茶でもてなしてくれた。若葉色の、やや甘口のうまみと適度な渋みが調和して、喉ごしが爽やかな一服だった。

 日本の茶の歴史は、平安時代初期に始まる。平安時代末期には栄西禅師が中国から抹茶法を持ち帰り、明恵上人[みょうえしょうにん]に茶の薬効を語り、茶の種を贈る。明恵上人は京の栂ノ尾[とがのお]の高山寺[こうざんじ]の境内に種を植え、さらに気候風土が適した宇治でも茶を栽培し始めた。

抹茶…覆下茶園で栽培され、揉まずに蒸して乾燥させた碾茶を石臼で挽いたものが抹茶。ふくよかな香りと上品な旨味がある。

玉露…最上級の緑茶。茶園に覆いをかけて栽培し、揉みながら乾燥させる。覆下栽培特有の覆い香と独特の旨味を持つ。

煎茶…新芽を蒸して揉みながら乾燥させる。永谷宗円が青製煎茶製法を開発したことによって現在の煎茶製法が確立、普及した。

 これが宇治茶の起源。室町時代には足利将軍家の高い評価を得て、「将軍が珍重されている茶」として日本一の茶となる。そこで将軍家や有力大名らは特別の茶ができる場所を7カ所指定し、それぞれに露地栽培の最高級の茶葉をつくらせた。後にいう「宇治七茗園」だ。

 平等院近くの丘陵地の住宅街に唯一、室町時代から続く「奥ノ山茶園」が現存する。住宅に囲まれた茶畑で3品種の茶葉を栽培するのは、茶製造と茶問屋を営む「堀井七茗園」。6代目当主の堀井長太郎さんはこう話す。

 「都市化で6カ所はみな廃園になりました。室町時代から続く茶園はもうここだけです。この茶園は今も抹茶の品評会で必ず上位入賞する茶を育ててくれます。大切に守りたい」。将軍家や有力大名の茶園であった「宇治七茗園」が宇治茶の名声とブランドを高めることとなる。

堀井七茗園は室町時代に足利将軍が指定した「宇治七茗園」の一つ「奥ノ山茶園」を引き継ぐ。七茗園で現存する唯一の茶園で「宇治茶の貴種を絶やさないためにもこの茶園を守り続けます」と堀井さんは話す。

荒茶の個性や特性を繊細に見極め、茶師の五感と経験とで細やかにブレンドし、その店独自のうまみをつくる。

 以後、どの時代を通じても日本の茶の文化の発展は宇治茶を源流として全国へと広がった。茶の湯に用いられる今日の「抹茶」、喫茶文化の礎であった「煎茶」、緑茶の最高級茶の「玉露」。現在に伝わる茶の生産技術のほとんどが宇治、山城地域をルーツにしているのだ。

毎年10月開催の「宇治茶まつり」では宇治橋三の間から「名水汲み上げの儀」が行われる。

名水が興聖寺本堂に運ばれると「茶壺口切の儀」が行われる。茶壺の口を切り、石臼で抹茶に仕上げ、三の間で汲み上げた名水でお茶を点てる。(写真提供:宇治市)

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