
- 1972年滋賀県生まれ。2002年に『うたたね』『花火』で第27回木村伊兵衛賞受賞。国内外で、個展、グループ展を数多く開催している。主な個展に「AILA + Cui Cui + the eyes, the ears,」カルティエ財団美術館(パリ、2005年)、「照度 あめつち 影を見る」(東京都写真美術館、2012年)など。2013年に写真集『あめつち』を世界3カ国から同時刊行した。2016年に熊本市現代美術館にて個展「川が私を受け入れてくれた」を開催。9月25日までGallery 916で「The rain of blessing」を開催中。
滋賀生まれとプロフィールに書いているが、4歳から大阪市内に引っ越して22歳で東京に出るまではずっと大阪で育った。徒歩で行ける最寄りの駅はなく、どこに行くにもまずはバス。しかも当時一車線の道路はいつも混んでいて一番近い京橋駅まで30分はかかった。環状線を使うならここで降りるのだが、京都や神戸に行くのならさらに大阪駅までバスで行くこともよくあった。だから大阪に住んでいたころといえば乗り換えでしょっちゅう京橋駅か大阪駅周辺を歩いたことを思い出す。住んでいた場所はなんにもない、畑ばかりの退屈な場所だったから、母親の仕事が休みのときは京橋か梅田に連れていってほしいとよくせがんだ。「行ってどうするん?遠いやんか。なんも買い物するもんないよ」「なんにも買わなくていいから行こ!」と何度もやりとりしてだいたいは連れていってもらえずに自転車で行けるスーパーに行って日用品を買い物するくらいでごまかされていた。
10歳くらいの頃、初めて弟とふたりだけで、弁天町に住む叔母の家を訪ねた。バスに乗って京橋駅で環状線に乗り換えて弁天町駅で降りる、と何度もあたまの中で復習した。弁天町の駅の改札で従妹と叔母が出迎えてくれたとき、達成感と安堵が混ざって少し興奮していたことをいまでもよく覚えている。初めて保護者なしで映画を観に行ったのは梅田の映画館。子どもだけで映画館に行くというのはいきなり大人になったような気がして緊張した。観た映画は「子猫物語」で、至極子どもらしかったのだが……。
高校生の頃になると理由もなく友達と京橋をぶらぶらと歩いたり、買い物をしたりすることが増えた。一番近い繁華街だったからだ。初めて美容院に行ってパーマをかけたのも京橋。ストレートの髪のすそ下10センチだけパーマをかける、というのがその頃なぜか流行っていて、自分も激安の美容院で初めて挑戦した。それがかわいいのか似合ってるのか全然わからなかったのだが、とにかく流行っていて周りの友達の真似をしてみたのだ。そのあと友達とアイスクリームを食べながらダイエーと京阪モールをぷらぷらと歩いた。「この髪型、何年か経ったらダッサーとか思うんやろうなあ」と、とても冷静な意見を友達が言ったので、わたしもうなづいた。「でもいま流行ってるもんなあ」。あれから月日が経ったいま、そんな会話をしたことがなぜか忘れられない。お酒を飲む事を覚えた頃、初めて居酒屋でバイトしたのも京橋だった。今考えるとほんとうに申し訳ないくらい全然仕事ができなかった。やっと少しだけ動けるようになった頃にやめてしまったことも、京橋にある安い居酒屋をお酒の飲み方も知らずに酔っぱらってはしごしたことも、今となってはなんだか恥ずかしい思い出だ。初めてのことっていま振り返るとだいたい恥ずかしい。でも歳を重ねるとそういったことはどんどん少なくなっていくから、それはちょっとさみしいことでもある。そんな初めてのことだらけの思い出が京橋や大阪駅周辺に詰まっているから、久しぶりに行くと感慨深い気持ちになり、いろんな思い出が一斉に襲ってきて胸がぎゅうっとなるのだ。
昨年、久しぶりに大阪駅を通った。母親とこの辺りに来るといつも帰りにデパ地下で野菜焼きやいか焼きを食べたことを思い出し、寄ってみると随分きれいになっていて驚いた。あの猥雑でせわしない空気のなか、立ち食いするのが醍醐味だったのだが、東京のデパ地下と変わらないような空気になっていて、確実に時間が流れているんだと実感させられた。
いまはほとんど行くこともなくなったが、夏の始まるころにふらっと京橋あたりの飲み屋で一杯飲みたくなるときがある。あのあたりはいまどうなっているのだろうか。変わらないあの空気が残っているといいなと勝手に思っている。