沿線点描【因美線】東津山駅から鳥取駅(岡山県・鳥取県)

美作から因幡へ。中国山地を越えて、千代川とともに山陰海岸へ。

岡山県の東津山駅から鳥取駅まで約70km。美作と因幡を南北に結び、険しい山間を走る。因美線の駅の多くは懐かしい木造駅舎で、登録鉄道文化財に指定されるものもある。
ディーゼル列車に乗り込んで、鳥取駅へと向かった。

※貴重な鉄道文化遺産の散逸を防ぎ、良好な状態で保存管理することを目的に
平成20年からJR西日本が指定している事物。

車窓には、因幡地方の美しい田園風景が続く。(郡家駅〜東郡家駅)

登録鉄道文化財を巡る路線

 中国山地を縦断して山陰へ至る因美線はかつて、津山線とともに山陽と山陰を結ぶ陰陽連絡線として活躍した。今も鄙[ひな]びた駅舎が数多く残り、遠方からも鉄道ファンが訪れる路線でもある。

1928(昭和3)年に建てられた美作滝尾駅。登録鉄道文化財の木造駅舎は、映画『男はつらいよ・寅次郎紅の花』の撮影にも使われた。

 因美線の起点駅は東津山駅で、城下町で知られる津山駅の隣駅。列車の発着は津山駅からだが、東津山駅から列車に乗車した。ゴゴゴゴ…、旅心くすぐるディーゼル音とともに列車は、約15分で美作滝尾駅に着く。映画『男はつらいよ』の最終作の舞台になった駅だ。木造駅舎は情趣に溢れ、ノスタルジックな佇まい。登録鉄道文化財である駅舎内には、窓口が2つもあって、かつての賑わいを思わせる。窓口奥の事務室には当時の机や山田洋次監督の手紙が保管され、そこには「寅さんとともに日本中の駅を見てきましたが、美作滝尾駅ほど美しい駅は、もう日本のどこにもありません」と書かれていた。

 ふらっと、花束を片手に地元の方が訪れた。駅の花を替えに来たという山本明美さんは、「駅に来て良かったという声を聞くとうれしくって。スローライフ列車が走る時は、全国から大勢の方が訪れてくれます」と話す。春・秋の年2回運行される臨時列車「みまさかスローライフ列車」の時に限り、駅事務室も見学できるそうだ。

「1週間に1回、日曜日に町内の人で町や美作滝尾駅の掃除をしています。皆が駅の存続を望んでいますし、遠方から来られた人も駅の様子に喜んでくれるんです」と話すのは、花を替えに駅を訪れた堀坂町内会の山本明美さん。

因美線には、開業当時の木造駅舎が残る。知和駅(写真左)と美作河井駅(写真右)。

駅舎内には「旅のノート」が置かれ、日本全国から訪れた人が各人の感想を記している。

 美作滝尾駅を離れた列車は吉井川に流れ出る加茂川を車窓に北へ進み、やがて美作河井駅へ。この駅も昔の佇まいを残した慎ましい木造駅舎で、発券窓口の傍らに「美作河井ノート」を赤い箱に保管し、全国から訪れた人たちが足跡として駅の印象を書き綴る。また、冬は豪雪地帯で知られるこの地域には、かつて使用されていた除雪作業を行うラッセル車用の転車台が残り、現在も登録鉄道文化財としてその姿を留めている。

 車窓はいよいよ山深くなり、県境の物見トンネルに入る。全長約3,000mのトンネルは急勾配で、「ゴォーッ」とものすごい音が響き渡り、列車は急な坂を駆け上る。トンネルを抜けると鳥取県で、「フォー」と挨拶するように汽笛が鳴り、やがて智頭[ちず]駅に到着する。智頭は山峡の宿場町だ。

美作河井駅の転車台は、除雪車の方向転換に使用されたもので、登録鉄道文化財に指定されている。

美作河井駅を過ぎ、物見トンネルに向かって急勾配を登っていく列車。

宿場町として繁栄した「杉のまち」智頭

県内最大の宿場町として栄えた智頭宿には、格子戸の旧家や洋風の消防屯所、公民館など風情をたたえた町並みが続く。

民家の軒先の杉玉は、智頭町のシンボルの一つ。

 智頭は奈良県吉野に並ぶ林業の盛んな地域で、町域の93%を山林が占める「杉のまち」で知られる。江戸時代には因幡と上方を結ぶ智頭往来(因幡街道)の最大の宿場町で、参勤交代で大いに賑わった。備前街道も交わる智頭宿には格子に瓦屋根の町家が並び、軒先に杉玉がぶら下がる。杉玉は酒蔵の新酒を知らせるものだが、智頭宿では民家の軒先にも杉玉が飾られる。

 通りを歩くと、店の屋号が書かれた看板や、木の風鈴などが目に留まる。町おこしの一環によるもので、風が吹けばカランカランと鳴る風鈴のかろやかな音が心地良い。智頭杉の加工会社を営む坂本トヨ子さんは「智頭はね、本当に杉の木の山が美しい。町の自慢です。智頭を多くの人に知ってほしいです」と話す。

智頭町の特産物である智頭杉の加工会社「サカモト」の代表・坂本トヨ子さんは、「杉山が本当にきれいな智頭が大好きです。杉や檜のほか、智頭ならではの有機農法で美味しい農作物を育てて、町がより美しく豊かになればと思っています」と話す。

 智頭宿の中でも見どころは豪壮な石谷家住宅だ。石谷家は塩の卸問屋から始まり、林業などで財を成した大庄屋で、建物は国の重要文化財。約40部屋で蔵が7棟もあり、母屋の土間の巨大な梁組みには圧倒される。聞けば、因美線の智頭駅から用瀬[もちがせ]駅間の路線は、石谷家が私財を投じて開通したのだという。

 智頭駅を離れた列車は、中国山地の稜線を車窓に千代川に沿って北上する。用瀬駅周辺では旧暦の3月3日に無病息災を願い、振袖姿の女の子が紙雛を桟俵[さんだわら]に乗せて千代川に流すという「もちがせの雛送り」の風習が残っている。列車は山間部を離れ、郡家[こおげ]駅を過ぎると、車窓に広がる絨毯[じゅうたん]を敷いたような鳥取平野の田園風景に目を奪われる。津ノ井駅から東に行けば、かつて因幡国庁が置かれた跡地がある。『万葉集』の巻尾に収まる歌、「新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重[し]け吉事[よごと]」は、国司で万葉歌人であった大伴家持がこの地で詠んだ歌で、家持の最後の歌でもある。

大庄屋として智頭宿の発展に貢献した石谷家。豪壮な土間の梁組みは必見で、石谷家住宅は約40の部屋や7棟の土蔵を配し、国の重要文化財に指定されている。

 ディーゼル車は間もなく、終着の鳥取駅に到着する。駅からほどなく歩けば開湯約110年の鳥取温泉が湧く。県庁所在地が温泉地で、それも駅近くにあるというのは温泉好きにはうれしい。山峡を走る約2時間の旅は変化に富み、旅心を存分に満たしてくれた。

「もちがせの雛送り」は、ひいな橋のたもとから桟俵に乗せた紙雛に災厄除けを託して、千代川に流す。橋のたもとの建物は、流し雛や雛人形を展示する「流しびなの館」。

隠れた山里、板井原集落

板井原川の谷間に沿って形成された板井原集落の成立は、15世紀末に遡ると考えられ、県の伝統的建造物群保存地区に指定されている。

 急峻な杉林の坂道を上り、車一台がやっと通れるトンネルを抜けると「平家の落人が隠れ住んだ」という伝承が残る集落にたどり着く。智頭の中心地から北東に4kmほど離れた地区にある板井原集落だ。

 周囲を山々に囲まれ、ひっそりと佇む山里は森閑としており、川のせせらぎや小鳥のさえずりが心を癒してくれる。茅葺き屋根の美しい民家が板井原の風景を象徴するように建ち並び、中には築250年を超える江戸期の建物もある。約20棟の民家は、県の伝統的建造物群保存地区に指定されている。集落内の道は六尺道と呼ばれる幅2m弱の狭い道のため車両が入ることができず、そのため昔からの地割が現在もそのまま残っている。

 かつて農業や炭焼き、そして養蚕などの換金作物で生活を支えた板井原の人々の大半は、1967(昭和42)年の板井原隧道の開通で村を離れていった。それでも残った人たちの手によって、板井原集落は現在もささやかに息づき、築100年の古民家を復元した喫茶店では来訪者を快く迎えてくれる。人里離れた集落は、日本の山村の原風景そのものであった。

古民家や六尺道などが残る集落内は、塀を用いずに建物が密集し、昔からの山村集落の形態を今に留めている。

越屋根を備えた養蚕農家の民家が、往時の暮らしを伝える。

100年前の古民家を復元した、喫茶店兼ギャラリーの「歩とり」。

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