沿線点描【山陽本線】神戸駅から加古川駅(兵庫県)

平清盛ゆかりの神戸から、淡路島を望む海峡の町へ。

山陽本線で神戸駅から加古川駅まで、約40キローメートルの電車の旅。 平家ゆかりの場所を巡る車窓の友は、美しい砂浜海岸と淡路島、そして明石の味。 短い区間だが旅の魅力がぎゅっと詰まっている。

神戸駅構内にある「0キロポスト」。神戸駅は東海道本線と山陽本線の境界駅。

清盛の夢の跡、福原京と大輪田泊

ファッション、グルメ、アミューズメントなどの商業施設が人気を集める神戸ハーバーランド。イルミネーションが神戸の夜景を彩る。

 国際港、神戸はやはり外国の香りがする。港には巨大な豪華クルーズ船が停泊し、外国人観光客で賑わっている。そんな港町の風情を満喫するスポットが神戸ハーバーランド。今回の旅の出発点、神戸駅はそのすぐ北側にある。

 神戸駅は山陽本線と東海道本線との境界駅。日本の大動脈の要衝で、駅には2つの本線の境界を示す「0キロポスト」がある。そんな神戸駅の周辺は大河ドラマ『平清盛』で脚光を集めている。清盛が遷都した「福原京」は駅からほど近く、『平家物語』に思いをはせて歴史散策する人が多い。

 福原京の所在は現在の神戸大学医学部附属病院辺りとされ、近くには清盛の山荘だった雪見御所の旧跡、安徳天皇行在所跡とされる荒田八幡神社、祇園神社などが点在する。神戸駅の隣の兵庫駅では、たった一駅だけの和田岬線と呼ばれる山陽本線の支線が分岐するが、和田岬駅までの一帯も平家の隆盛を支えた貿易港、大輪田泊[おおわだのとまり]やゆかりの寺社が点在している。

大河ドラマ『平清盛』の世界を体験できるハーバーランドにあるドラマ館。ドラマを紹介する映像やパネル、実際に使用された衣装や小道具などが展示されている(2013年1月14日まで)。
ショップではさまざまな清盛グッズも販売。

兵庫運河沿いにある清盛塚と、日宋貿易の拠点とされた大輪田泊。

 清盛は、古代からあった大輪田泊を大改修し日宋貿易の拠点とした。この港に近いという理由で福原に遷都したともいわれる。『平家物語』には、人工島・経ケ島[きょうがしま]をつくる難工事の様子が記され、経文を記した石を積んだ船を沈めて人工島の基礎にしたというのが「経ケ島」の名の由来である。

 そして電車は、かつて鉄道車両の製造・検査工場があった鷹取駅を過ぎると、須磨の白砂の海浜に沿って走る。車窓には青々とした海と緑色に霞んだ淡路島の海景が広がる。須磨は源平の古戦場で、源義経の「一ノ谷の合戦」で知られる。さらに塩屋駅から朝霧駅にいたる車窓の風景は、通勤路線とはいえ気分はマリンリゾートである。広々したスケールで車窓の景色は続く。

 その風景に迫力を添えているのが明石海峡を跨ぐ巨大な吊り橋、明石海峡大橋の圧倒的な存在感だ。橋の下を大小の船が行き交う。手が届きそうなほど間近に淡路島を臨む海峡の町、そこが明石である。

鷹が羽を広げたようなモダンなデザインの鷹取駅舎。かつてこの駅には車両工場があったことから、駅の壁面や地下通路には、SLのカットモデルや写真などが飾られている。

須磨寺境内にある「源平の庭」。平敦盛と熊谷直実の戦いの様子を再現している。

須磨浦海岸を走る山陽本線。(須磨駅から塩屋駅)

子午線が通る海峡の町と、平家ゆかりの播磨の巨大荘園・加古川

 東経135度、日本標準子午線が通る明石は城下町だ。駅のすぐ北側に築城約400年の明石城跡があり、2つの櫓と石垣が当時のままの姿を見せている。伝承では、城下の町割りを行ったのはあの剣豪、宮本武蔵だという。

 築城に合わせてできた市場、魚の棚商店街も400年の歴史を数え、明石の台所として親しまれている。地元では“うおんたな”と呼ばれ、駅近くの商店街を歩くと、威勢のいい声が飛び交っている。「えー、らっしゃい、らっしゃい。おいしいから、食べていってや」と気前よく客に試食をすすめる。

明石駅のすぐ北側にある明石城跡。江戸時代に小笠原忠真が築城した。残された櫓は、いずれも国の重要文化財に指定されている。

魚の棚商店街では、明石港から水揚げされた明石鯛や
明石ダコなどの魚介類や乾物、名物の明石焼などの店が並び、
古くから明石の台所として賑わう。(撮影協力:魚の棚商店街)

 瀬戸内の豊かな海の幸、特に明石の鯛、タコ、アナゴは店の誰もが「日本一やで」と自慢する明石の名物。そしてタコが入った明石焼も今や全国的に有名だ。地元では“玉子焼”という。店もたくさんあるが、店ごとに生地と出汁に微妙な違いがあって味を競っている。大阪のたこ焼きと違って、出汁に浸して食べるのが明石流だ。口にほおばると、アツアツで、ふんわりとろりと溶ける食感は独特で美味。

創業25年の「たこ磯」を支える鈴木京子さん。「明石焼とたこ焼きでは、生地が違う。出汁が違う。何より、明石のタコでないとダメなんです」と話す。

 明石駅を過ぎると電車は海岸線から離れて走る。南側は工場群、北側の車窓には岩が露出した遠くの山々の麓まで家々が続く。 かつては広々とした田園地帯も今では大阪や神戸、姫路のベッドタウンであるが、豊かな播磨平野も平家ゆかりの土地でもある。

 平安時代の後期、東は明石から西は加古川を越えた一帯は「五箇荘[ごかのしょう]」という清盛の巨大荘園があり、その実りが平家の力と繁栄の源泉にもなった。その荘園の中心が加古川だが、現在の加古川の町にその名残は見られない。ただ加古川の流れだけは平安時代と変わらず播磨灘に注ぎ、今も滔々と流れている。

 今回の旅の終着点である加古川駅までは神戸から快速電車で40分あまりだが、沿線の美しい海岸線とともに、清盛や平家の夢の跡を辿る旅でもあった。

加古川駅からバスで15分の場所にある高砂神社。古くから謡曲・能「高砂」の舞台として知られ、境内にある“相生松(あいおいのまつ)”は、縁結びの象徴として知られる。

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