Blue Signal
January 2007 vol.110 
特集
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うたびとの歳時記
鉄道に生きる
花に会う緑を巡る
七尾駅 駅の風景【七尾駅】
北前船で栄えた能登路の商都
前田利家ゆかりの城下町、七尾。
古くから能登国の文化・経済の中心だった町は
利家の築城以後、商都として隆盛を極める。
北前船が行き交った七尾の港町には
今もその時代の面影が色濃く残る。
天空の城郭都市、七尾城
能登半島はどこまでも山地である。高い山はないが波のように山々が重なり、いくつもの小さな尾根を従えている。この尾根尾根が七尾の名の起こりという。

室町時代、能登国を領地とした畠山氏は山上に難攻不落の城を築いた。その山には七つの尾根があったので七尾城と命名され、山を城山(標高380m)と呼んだ。町の背後に聳える城山には城址が残っているが、復元図を見るとそれがただならぬ要害の山城だったことが分かる。

七尾城は五大山城のひとつに数えられ、優れた構造と機能を備えた大規模な山城だった。城郭建築の第一級の史跡とされる城址は、単なる立て籠りの砦としてだけでなく、本丸、二の丸、三の丸のほかに長屋敷や寺屋敷など多数の屋敷地が配置され、そこが日常の生活拠点でもあったと考えられている。天空都市という表現が実にしっくりとくる。

眼下には七尾の市街、七尾港のマリンブルーが広がり、その向こうに能登の山並みが幾重にもつづく。城を攻略した上杉謙信が「絵像に写し難き景勝までに候」と讃えたといわれる絶景だ。
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城山展望台から七尾湾を望む。眼下には七尾の町、海を挟んで右に浮かぶのは能登島。
イメージ 金沢と能登の要衝の地、七尾。大阪、京都方面からは特急「サンダーバード」が連日、人々を運ぶ。
イメージ 戦国時代屈指の山城で難攻不落を誇った七尾城本丸跡からは七尾の町並みや七尾湾が一望できる。
イメージ 七尾城は畠山氏によって築城された大規模な山城。山岳地形を巧みに利用した要害であるとともに、政治や生活の拠点としても機能した一大城郭都市であった。
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七尾港の一部は七尾マリンパークとして整備されており、フィッシャーマンズワーフや遊覧船の発着場などがある。
地図
陸路、海路の交易の要所
七尾は、能登半島の中央部の東にあって口を開いたような形の七尾湾の下あごあたりに位置している。城山から見下ろすと加賀、越中、能登への街道が交わる要としての地の利がすぐに理解できる。

それゆえ、奈良時代には国府や国分寺が置かれた。畠山氏支配の169年間には京都の文化を礎に独自の文化を育み、その後領主となった前田利家は金沢に移るまでの約2年の間に、今日の七尾の町の原型ともいえる城下町を整備する。

利家は畠山氏の中世的な山城を廃し、低い丘陵地に新たに小丸山城を築き、街道を整備し、交易を重視した計画的な町づくりを行った。城下町を基盤としながら同時に宿場町であり、そして商業を奨励する商都の機能を併せた複合都市。以後、七尾は繁栄を極めていくが、それを担っていたのが七尾湾という天然の港湾地形である。

湾の入り口を塞ぐような格好で、能登島が長々と横たわっていて、そのせいで外海の進入を遮り、湾内はいつも湖水のように波静かで穏やかだ。北前船には格好の寄港地であった七尾の港は、江戸から明治時代を通じて出船入船で賑わい、富と財を町にもたらした。そんな商都の歴史を今も家並みや、通りの佇まいに垣間見ることができる。
市街地の西に広がる山の寺寺院群は前田利家が小丸山城の北の防御陣として寺院を集めたことに始まる。また、その中のひとつ、長齢寺は前田家の菩提所として利家の両親の墓所がある。 イメージ
前田利家が築城した小丸山城跡。現在は小丸山公園として市民の憩いの場となっている。 イメージ
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能登はやさしや土までも
七尾駅から港までは御祓川[みそぎがわ]沿いに歩いて15分足らず。御祓川は町の中心を南北に流れ、町は東西に二分される。東側は主に職人の居住区だったらしく、作事町、塗師町、鍛冶町などの地名が今もそのまま使われている。

仙対[せんたい]橋を渡った西側は商業地区で、小丸山城址につづく旧街道の一本杉通りは七尾町家の構えの大店が軒を連ね、町の繁栄の生き証人となっている。5軒の国登録有形文化財の老舗をはじめ、東西500mほどの商店街の風情は特に歴史的な味わいが深い。

藩政時代からの和菓子店、昆布・海産物商、茶舗、醤油店、七尾の絵ろうそく店や七尾仏壇の仏壇店…。建物のほとんどは1904(明治37)年の七尾大火で焼失し、後に再建されたものだが、それでも江戸時代の雰囲気を伝え、しかも明治から近代に至る建築が今もなお現役であるところが貴重であり、一層の親しみを覚える。

そんな七尾の歴史と町並みを誇りにする商店街では15軒の店々が“語り部処”となって訪れる人に七尾の歴史や町の移り変わりなどを気軽に語り聞かせてくれる。「能登はやさしや土までも」という古い言葉が伝わるが、一本杉通りで出会った人びとのやさしく、やわらかなもてなしは、今も変わってはいない。
町を流れる御祓川に架かる仙対橋。渡って西は一本杉通り商店街。国登録有形文化財の老舗をはじめ、風情のある町家がつづく。 イメージ
一本杉通りにあるイメージ澤ろうそく店の創業は1892(明治25)年。七尾大火の後、明治期末に建てられた重厚な木造2階建土蔵造りの七尾町家。七尾の伝統を受け継ぎ、一本杉通りの活性化に取り組む“語り部処”の一軒。「春の連休に催す“花嫁のれん”は加賀・能登独特の風習で、会期中には各家に伝わる花嫁のれんで通りが花が咲いたように華やかになります」とイメージ澤行江さん。 イメージ
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