Blue Signal
November 2006 vol.109 
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特集[人情の機微を語り演じる「文楽」] 道頓堀に花咲いた人形浄瑠璃
大夫、三味線、人形遣いの三業一体[さんぎょういったい]の至芸
浪花の人情機微を描いた近松の世話物
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『曾根崎心中』の生玉の段の舞台、生國魂神社(大阪市天王寺区)にある「浄瑠璃神社」。近松をはじめ文楽にかかわる人物が祀られる。
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人形浄瑠璃は江戸でも盛んに興行された。江戸で人気があったのは勇壮で荒唐無稽、派手な演出の活劇だが、娯楽性が強いあまり名作として残るものが少なく、歌舞伎の隆盛の陰で衰退を免れなかった。その理由は優れた戯作者に恵まれなかったことだといわれる。上方の人形浄瑠璃が描いたのは活劇より「人間」、忠義や義理、人情、愛憎、葛藤など人間の本性に潜む悲喜こもごもである。出しものには貴族や武家社会の事件を扱った「時代物」が多く、『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』などが名作とされているが、上方といえば「世話物」だ。

世話物とは、町人の生活や風俗を背景に、そこに繰り広げられる日常の事件や恋愛などを通して人間模様を写実的に描く出し物で、世話浄瑠璃とも呼ばれる。テンポが早く語りも人形の動きにも様式性はなく、表現は自由でおおらか。古浄瑠璃の画一性を打ち破ったのが希代の戯作者、近松門左衛門だ。近松の登場は浄瑠璃に変革をもたらし、新たな可能性を拓いた。近松は義太夫が旗揚げした竹本座の座付き作家として、実際にあった心中事件を題材に『曽根崎心中』を書き下ろし、初演から大入りで大成功を収める。歴史物語が題材でもなく登場人物が英雄でもない。同時代の身近に起こり得る等身大の題材を取り上げ、それを劇的なドラマに仕立てあげたところに戯作者、近松のリアリズムと芸術性がある。

近松は『曽根崎心中』を第一作として、『心中天網島[てんのあみじま]』『冥土の飛脚』などの世話物の傑作を次々に発表する。生涯に書いた浄瑠璃は時代物79編、世話物24編、歌舞伎脚本約40本といわれている。そのなかには『国性爺[こくせんや]合戦』といった気宇壮大な時代物の名作もあるが、近松を近松たらしめているのは、やはり世話物だ。人間の内面の本質をとらえ、日本人の美意識である「もののあはれ」を説く。人とは愚かしきもの、だからこそ愛しきものなのだ…近松の人間理解の根底にはそんな思いがあるのではないだろうか。近松の芸術論に虚実皮膜[きょじつひかわ]という言葉がある。それは「芸は実と虚との被膜の間にあるということ。事実でもなく虚構でもないその中間に芸術の真実がある」という論である。人間の業と性を冷徹に見極めつつ、近松はそれらを寛容に包み込む。

人びとは浮世に潜む喜怒哀楽の葛藤を近松の文楽のなかで共有し、我が身に投影する。時代を越えて、それは現代にも通じる普遍性をもっている。近松の作品で演じられる人間の姿は言葉の壁、国境や民族さえも越える。シェークスピアと並び称され、あるいはそれ以上に「シェークスピアにもない現代性がある」と海外の研究者からも評価される。能と並び世界無形遺産に登録されたということは、日本の古典を伝承する芸能というだけでなく、近松の作品の奥にある人間というものに共通する普遍性が認められた証しだと言えるかもしれない。それは大阪の風土によって育まれたことも影響しただろう。江戸期における大坂は、武家社会だった江戸とは異なり、商都であり町人社会であるがゆえの極めて現実的な生活があり、人間の悲喜劇が近松の目の前で日々繰り広げられていたに違いない。「東京でもパリでも文楽は大阪弁です」と勘十郎さんはつけ加えた。

人形浄瑠璃が江戸時代に全盛を極めてから300年以上の時を経て、文楽として継承されている。演目はほぼ江戸期に完成したものが現在も演じられているが、堪十郎さんは古典についてこう話す。「古典というのは時とともに磨かれ、鋭く研ぎ澄まされた完成度の高さにあります。古いということではなく、先人の創った歴史を受け継ぎ、さらに技を高めて作品の質をより極め、次の代に確実に伝えていくことです。だから生涯修業です」。文楽という舞台芸術を継承していくことはすなわち、大阪の文化、ひいては日本の文化を次代へとつないでいくことでもある。
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『曾根崎心中』お初・徳兵衛の終焉の舞台「露天神社[つゆのてんじんしゃ]」。近松のこの世話物は浪花の人々の心をとらえ、以後「お初天神」が通り名となった。今も二人を偲び、回向や恋愛の成就を願う男女が多く参詣する。
浪花の人情機微を描いた近松の世話物
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『重徳筆近松門左衛門像』。没する十数日前に肖像を描かせ、近松自ら辞世文を書いたもの。武士の家に生まれながら武士を捨て、一筋の道を歩みてきて安堵に終わったと述懐する。(柿衞文庫蔵)
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『近松遺影』。近松の百回忌を記念して描かれた肖像画。片膝立て文机の上に片肘を置き、くつろいだ表情の近松。(柿衞文庫蔵)
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