Blue Signal
November 2006 vol.109 
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特集[人情の機微を語り演じる「文楽」] 道頓堀に花咲いた人形浄瑠璃
大夫、三味線、人形遣いの三業一体[さんぎょういったい]の至芸
浪花の人情機微を描いた近松の世話物
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御堂筋から少し西に入った中央区淡路町にある御霊[ごりょう]神社。1884(明治17)年から1926(大正15)年まで「人形浄瑠璃御霊文楽座」があった。文楽座の200余年の歴史のなかでもっとも人気を博した時代であった。
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明治の頃には、大阪で人形浄瑠璃といえば文楽座の芝居のことだった。船場[せんば]の旦那衆らは奉行人を連れて文楽座で文楽を見物し、帰りに心斎橋で買い物や食事をするのが習わしで、義太夫節を唸り、太棹三味線をベンベンとかき鳴らすのが嗜みとして大流行した。文楽の何が人々を惹きつけたのだろうか。

能や歌舞伎などほかの古典芸能と少し違い、文楽の特徴は「三業一体の芸」だ。大夫[たゆう]・三味線弾き・人形遣いの三者が一体になり、舞台で鍛練された技をぶつけ合い、調和を成しながら物語を進めていく。これが三業一体である。さらに観衆を引き込み、そこに演者と観衆とが物語のなかで一体化する。「三業一体で繰り広げる演劇はほかに例のない芸術です」と話すのは、人形遣いの三世・桐竹勘十郎[きりたけかんじゅうろう]さんだ。父親も人形遣い、長男も修業中と文楽では珍しい3代の系譜。「三者がぴたっと息を合わせる三業一体の芸術の奥深さは世界に誇れるものです。観客も含めて舞台の空気全体がバランスのある緊張感をもち、演技がビシっと見事に決まると鳥肌が立ちます。ただ、そういう瞬間がいつやってくるのか分からない。意識してやれるものではないのです」と勘十郎さんは話す。

舞台と物語の進行役は大夫で、その語りは特に重要だ。大夫は三味線と競演という形で緊迫感を積み重ね、大夫が情を語り、三味線が寄り添いながら場面ごとの状況や情感の起伏を表現し、ドラマを盛り上げる。ときに叩きつけるように弾く太棹三味線は大夫の語りに負けず劣らずの迫力だ。そうして観客は舞台上で、まるで生きているかのように振る舞う人形の細やかな動作、表情に魅了され、いつしか物語の世界に自分がいるような錯覚に陥っていく。舞台で演じられる苦悩や葛藤、涙はまるでそれが自分のことであるかのような感覚になるのだ。この人形遣いが、文楽を世界でも類例のない芸術として際立たせている。

文楽では人間の半身ほどもある人形を3人で操る。「3人遣い」と呼び、人形の首と右手を操るのは「主遣[おもづか]い」または「出遣[でづか]い」といって、黒い頭巾を被らずに顔を出して人形を操る人形遣いの中心である。左腕と左手を遣うのは「左遣い」で、重量のある人形を支える役目も担う。そして人形の足を遣うのが「足遣い」。一体の人形を3人で操る人形遣いの芸もまた三業一体の調和といえる。この人形遣いには、足遣いから始めて10年、左遣いで10年、主遣いになるまでに20年以上の修練が必要といわれる。切磋琢磨した3人の技で操られると人形は、笑う、怒る、泣く、哀しむ、人間の喜怒哀楽や細かな心情の機微をじつに感情豊かに舞台の上で演じ、振る舞い、観客に話しかけてみせるのだ。

それだけではない。歩く、駆けるといった動作もいろいろな状況下での歩く、駆けるをじつに見ごとに演じ分ける。背後で人形を操る3人の遣い手の存在もまったく気にならず、観客は人形の存在だけに没頭してしまうから不思議である。そこが人形遣いの真骨頂だが、勘十郎さんは「あうんの呼吸です。それぞれ技に修練を積んで一生懸命やっていても、3人のバランスが崩れたらやっぱりだめですね。だから面白いけれど、すごく怖い。一瞬の気の緩みも許されない緊張感がいつもあります」と語る。その緊張感が大夫の語り、三味線と融合して人形は迫真の演技を見せるのだ。

その三業一体が、大衆をとらえた。「見た目に誰にも分かりやすく、取っつきやすい。そして、同じことを人間がやれば生々しすぎるけれど、人形なら柔らかく、人間の機微に触れる表現もできます。そういうところが文楽の魅力ではないでしょうか」と勘十郎さんは言う。能や歌舞伎の様式や型と異なり、文楽は人形が演じるより具体的で、直接的な感情表現が人びとの心を強く打ったのだろう。そして何よりも、文楽が人びとを夢中にさせたものは、人間そのものを描いた希代の戯作者と作品の存在である。
大夫、三味線、人形遣いの三業一体[さんぎょういったい]の至芸
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