両手両足を巧みに使い分け、カタカタとリズミカルに機を織る尾田さん。「経験と勘がなによりも命です」と話す。牛首紬はこうした熟練の手仕事があってこそだ。

特集 石川県白山市白峰 牛首紬

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玉繭の糸を紡ぎ織り上げられる牛首紬

 紬というのは、蚕の繭から糸を紡ぎ、撚[よ]りをかけて丈夫な糸に仕上げて織った絹織物で、とりわけ、牛首紬は釘に引っかけても釘を貫くほど丈夫なので「釘貫紬[くぎぬきつむぎ]」とも呼ばれた。

牛首紬の最も重要な工程となる「のべびき」。2本の糸が絡まった玉繭から紡ぐのは非常に難しく高度な手仕事だが、それによって優れた弾力性や伸縮性が生まれる。山里の人々の辛抱強さと、積み重ねられた熟練の技が継承されている。

「精錬」の工程では糸についた汚れや不純物を取り除く。乾くと、眩しいくらいに艶やかな光沢が生まれる。

 普通は繭を真綿状にほぐした糸を紡ぐが、白峰では玉繭から手で直接糸を紡ぐ。玉繭とは2匹の蚕が一つの繭を作ったもので、2本の糸が絡まっているために糸を紡ぐのが難しく、糸玉や節ができる。本来なら糸を繰るには向かない繭である。

 そうしなかったのが白峰の暮らしの慎ましさだ。自家用にと集落の女性たちは玉繭を紡いだ糸で機を織った。通常の生糸を経糸[たていと]に、節のある玉繭の糸を緯糸[よこいと]にして織った。それが独特の風合いを生む。大正時代にかけて最盛期を迎えたが、その後の経済不況で糸を紡ぐ人、織る人は激減する。

 第二次大戦後、伝統を継ぐのは僅かに一軒だけとなった。昭和40年代には経済も復調し、再び紬が脚光を浴び始めたが、今度は手取川ダム建設計画が持ち上がる。白峰集落の一部が水没することになり、集落の大勢がこの地を離れた。そこで、「牛首紬をもう一度、集落の人の暮らしを支える産業にしよう」と、廃業した工場を譲り受け、職人を集めて牛首紬の再興、振興に努めたのが西山鉄之助さんだ。

「のべびき」後、一度も乾燥させずに撚糸の工程で糸に撚りをかける。より良い糸をつくるための牛首紬独自の作業だ。

機を織る前に必要な経糸の本数と長さを一糸ずつ準備する。写真の作業は1,000本の経糸の準備。

「白山工房」には牛首紬織資料館も併設されて実演も見学できる。西山博之さんは「牛首紬を国際ブランドに育てたい」と話す。

牛首紬の伝統的な縞柄。着物通に高い評価を受ける高級ブランドだ。

 西山産業開発専務で、鉄之助さんの孫となる西山博之さんは、「牛首紬は集落の伝統であると同時に非常に商品価値が高く、世界的に認められています」と話す。『風の盆恋歌』の著書で知られる作家の高橋治さんは、白山工房で糸とりの実演を見て「日本の織物の原点がある」と感嘆したそうだ。

 それを縁に仕事場を白峰に構え、「白山麓僻村塾[はくさんろくへきそんじゅく]」を主宰し集落の人々と深い親交を持ち、作品の多くに牛首紬や白山麓の美しい風土を描いている。工房の壁に「山里が伝えた粋」と題する高橋さんの一文が掛かっている。「牛首紬は、深い雪に閉ざされた寒村で遠い地に出稼ぎに出た人々を恋い慕う女たちが、わが思い届けと織り続けてきたものです」。

 静かに心に響き、恋物語でも連想させる一文だ。工房では高橋さんが体験したように実演を見学できる。現在、工房で糸を紡ぎ、機を織るのは10数人。主な作業は14工程だがどれも熟練の手仕事だ。繭を選別し熱湯で煮る。そうして、鍋に浮かぶ繭70〜100粒から糸を引き上げ、少し撚りをかけながら素早く一本の糸にする。これが牛首紬の特徴である「のべびき」だ。糸を撚り、生糸の不純物を除き、絹独特の感触と光沢が生まれる「精錬」も独自の工程だ。

 工場長の中村隆一さんの説明では、精錬が終わった後の「糸はたき」によって「蚕本来の糸質を取り戻し、空気を多く含んだ生きた糸を作り上げるのです」とのこと。織りに必要な経糸は1,000本。それを両手、両足を使い、リズミカルに織り上げる。機を織る尾田ふさ子さんは「打ち込みの強さ、タイミング、リズムが合って初めて良い牛首紬が織り上がります。織り手の個性が出ます」という。

 こうした熟練の手仕事を通して織り上がる牛首紬は、紬織物と絹織物の良さを兼ね備え、風合いは渋く艶やかだ。博之さんは、そんな牛首紬に可能性と未来を託し、既存の流通にこだわらず海外にも目を向ける。パリやミラノなどの国際舞台でようやく牛首紬の品質が認められつつあるというのだ。

 白峰の集落に夕暮れが迫っていた。登山口の高台からは、間近に前衛の山々を従えた白山が白銀を輝かせていた。信仰の対象でもあるその姿は雄大で優美だ。やがて白銀は夕日に染まり、日没のほんの一瞬、神々しい深紅の輝きを放った。牛首紬の里から仰ぎ見る白山は、神が座す山の神秘そのものだった。

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