帯の織屋「渡文」の作業場。金襴(きんらん)、緞子(どんす)、綸子(りんず)など、縦糸と横糸が織り成す芸術品が、熟練の匠によって紡ぎ上げられていく。

特集 四季の色彩を尊び手技の精緻を極める 京の染と織

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技と感性が京の伝統をまもる

 町家が並ぶ路地に「カタンカタン」と機織[はたお]りの音が響く。京都御所の西北に位置する大黒町の一画に西陣の手織りの文化を伝える「織成舘[おりなすかん]」がある。もっとも西陣という地名はない。応仁の乱で西軍の山名宗全が布陣したことが名の由来である。この周辺の織物の歴史は古く、平安時代には御所に近い織部司という官営の工房で朝廷や貴族の綾織・錦織などの高級織物を生産した。
 鎌倉時代後期には織物業が興隆するが、応仁の乱で途絶え、乱後、離散していた職人が西軍陣地跡一帯で織物業を再開し、多くの職人が集まったために西陣は高級織物の代名詞になった。先染めの糸で色柄や模様を織り出す西陣の紋織は豊臣秀吉の保護を受け、江戸時代には大いに名声を得て、西陣の高級絹織物は明治、大正、昭和を通じて他の産地を圧倒した。

「渡文」で復元され「織成舘」に展示されている能装束。『納戸地金立湧に雲版と波の丸文様唐織』。中国古代の「天地創造の根源 を〈気〉とする思想」をふまえている。

「渡文」の社長で西陣織工業組合理事長である渡邉隆夫さんは、西陣織の振興のためにさまざまな活動を行っている。西陣織のミュージアム「織成舘」もその一つ。

 西陣織は完成までに図案、撚[より]糸、糸染め、製織など20を超える工程があり、全ての作業は専門の職人が分業で行う。「織成舘」の作業所で機織りを間近に見ると、織り手の手の動きによって、細かい文様が経糸[たていと]と緯糸[よこいと]で緻密に織り成されていく様子に驚かされる。千年の時を越えて受け継がれる西陣織は決して伝統に頼るだけではない。西陣織工業組合の理事長で、帯製造の「渡文[わたぶん]」の社長、渡邉隆夫さんは「伝統の上に、どの時代でも常に先進的な技術を取り込みながら新しい創造にチャレンジしてきた。そこが西陣織の誇りと心意気」と話す。
 一方、京友禅は江戸時代の絵師、宮崎友禅斎に始まるというのが通説である。謎の多い人物だが、祇園で扇絵を描いて売っていたらしく、扇を量産するのに下絵の線の上に染色に使う米糊を使って絵の輪郭を描き、線で囲われた空白の部分に染料で彩色し、水洗いして糊を落とすと鮮やかな絵模様になった。

「富宏染工」の工房。刷毛(はけ)を使って彩色する挿友禅の作業をする。大小の刷毛を使い分け糸目で囲われた空白に色をつけていく。筆と刷毛では趣きがちがう。

 友禅斎が開発した友禅染の扇絵はたちまち人気を博し、やがて小袖や振り袖にも応用されるようになり京友禅が誕生する。その技法は今日でも基本的に変わらないが、染匠で手描友禅染作家の藤井寛さんは独自に開発した技法で友禅染を製作しつづけている。
 上京区の菱屋町にある「富宏染工」の工房に藤井さんを訪ねると、展示室の作品の鮮やかさに息を呑んだ。型染めやインクジェットで大量生産する時代に手描友禅をする工房は少なく、藤井さんの作品は皇后陛下の御訪問着など皇室にも多く納められている。技法の一番の特徴は、筆で彩色するのでなく刷毛[はけ]を使って染め上げる。これは神経の使う熟練の技だが、刷毛を用いることで「深みと奥行きのある色で上品な味わいになる」と藤井さんはいう。

藤井寛さんの作品『波取方正倉院模様 振り袖』。正倉院に収蔵されている品々の紋様を写して染め上げた手描友禅。その場の空気が華やぐほどに華麗。

数少ない手描友禅作家の藤井寛さんと、お嬢さんの藤井友子さん。友子さんは友禅染の技術で新しい作品をプロデュースしている。

 描く絵柄は古都の四季折々の自然に着想したものが多く、草花や雲形、正倉院御物を写した古代紋様など。作業は下絵、米糊で輪郭を描く糸目、挿し友禅、湯のしなど専門の職人が分業で行う。その工程全体を総合的にプロデュースするのが染匠である。西陣織も京友禅も作業の工程ごとに匠の熟練の手技がある。それらの技の一つひとつが、確固たる京都の伝統を支え続けている。

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