Blue Signal
January 2007 vol.110 
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特集[能登の自然と人が育む漆芸美] うるわしき漆、輪島に伝わる漆芸
昔ながらの分業制と道みちの人
職人がつくり、使う人が育てる日用の美
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能登ヒバや能登杉などをふんだんに使った民宿「深三」。壁も珪藻土を用い、障子は仁行[にぎょう]和紙。この宿では家に伝わる大正から昭和初期の輪島塗の膳で客人をもてなす。柿渋下地の総拭漆造りの廊下の艶はやさしい光沢を放っている。
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能登の山中、柳田村に福正寺という名刹がある。樹齢700年のケヤキの大木が境内に聳える寺は1494(明応3)年に木地師たちの請願で建立された。寺には室町時代から伝わる合鹿椀という、大ぶりで腰高のどっしりした漆の椀が数多く残っている。この椀が輪島の漆塗椀の原型という説がある。その形は現在、合鹿椀の名で復活し、輪島塗でも定番の一つとなっている。

本来、寺の仏事用の什器として用いられた漆器は、頻繁に使われために、軽くて出し入れの勝手がよく、落としても割れにくく丈夫で長持ち。傷めば修理してまた使えるという特長がある。それらの特長を今日も体現しているのが輪島塗である。輪島漆器商工業協同組合が定める輪島塗とは、天然素材を使い、地元特産の地の粉を使った下地、丹念な布着せ地縁引[じぶちびき]き、堅牢第一の本堅地[ほんかたじ]、塗り重ねた分厚い漆、加飾の技術、しっとりと輝く艶、そして直して何年でも使えることだ。そんな輪島塗を評して生活道具の芸術品ともいわれる。

輪島で出会った職人は誰もが、「輪島の漆器は職人がつくり、使う人が育てる」と語る。使い始めの1年間で落ち着いた肌艶となり、2年目でその艶は増し、3年使い込めば色艶が成熟し「使い艶」と呼ばれる、潤いのある深く美しい艶を発するようになるという。輪島漆器の美しさというのは、まさに使う人の手が使い込んで引きだすもので、手に触れるごとに艶を増していく。輪島塗といえば沈金や蒔絵に代表される華麗なイメージがあるが、その本質は福正寺に伝わる室町時代の椀に通じる質実な美しさだ。

輪島には代々、長い時間を経て艶やかに使い込まれた膳、飯椀、汁椀、菜椀、皿、盆、酒器などを今も使っている家庭が少なくない。輪島塗師の鎮守社、重蔵神社近くで若夫婦が営む民宿「深三[ふかさん]」は、曽祖父の代から残された朱塗や黒塗の膳を使って地ものの海山の幸をもてなしてくれる。主人の深見大さんの先々代までは輪島で呉服商を営んでいて、蔵には大正から昭和初期の頃の輪島塗がそのまま保存されていた。食膳に使われる漆器は80年の時を経てなお美しく、新しい漆器にはない使い艶を放っている。両手でそっと椀を包むと、漆椀ならではの肌が吸いつくようなしっとりとふくよかな質感。なんともいえない心地よい温もりが手の平全体に伝わってくる。この感触もまた、使い込まれた漆器が持つ美しさである。目にうるわしく、手にやさしく、そして口にやわらかである。輪島塗の漆器に触れてみればその表現が大げさでないことが分かるはずだ。輪島塗が暮らしのなかの芸術品、美しさは使う人が引きだすものだというのは、こういうことなのだろう。

「輪島もんの良さはね、毎日使ってみたらはっきりします」と深見さんは話す。民宿は能登のヒバや杉材を使った典型的な輪島の民家造りで、廊下は拭漆(透明な漆で木肌を出す)仕上げで、壁土は珪藻土、部屋の座卓や調度品もすべて輪島塗だ。大阪から両親の故郷、輪島に戻って宿を継いだ深見さんは「輪島塗、輪島の味覚、輪島の自然の素晴らしさを味わってほしい」と言い、宿泊客は1日4組だけだ。「おもてなしは受け継いだ輪島塗の御膳の数だけです」。

輪島塗は日常使いの器として扱うことは躊躇するという声をよく聞く。しかし、こうした職人の慈しみと精緻な技、繰り返し重ねられる手間ひまを思えばこそ毎日使いたいものである。そして使い込むほどに美しさを増し、さらには親から子へ、子から孫へと代々受け継がれていくのである。それは同時に漆の国、日本の伝統と文化の継承であると考えたい。
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室町時代より柳田村合鹿の地を守る福正寺。庫裏には室町時代につくられ、近年まで使われつづけてきた合鹿椀が保存されている。
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柳田村合鹿にある福正寺には、室町時代に木地師たちがつくり、使い込まれた合鹿椀や漆器の数々が今も残っている。写真は合鹿椀と呼ばれる典型的な型。高台が高く、姿が大らかで通常の椀に比べると倍以上の大きさがある。この合鹿椀が輪島塗の原型だという説もある。
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黒漆の深い光沢を放つ漆塗の座卓に配膳された地元で獲れた海山の幸。使い込まれるほどに味わいが出る「使い艶」が美しい。
職人がつくり、使う人が育てる日用の美
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菜をもりつけた朱漆の椀。漆器は料理を彩り、よりおいしく見せる。80年以上も前の器とはとても思えない。
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大人がひと抱えするほどもある漆を調合する江戸時代の合鹿鉢。使い込まれた表面には質実で大らかな色艶が現われている。
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輪島市の小・中学校の給食用に使われている輪島塗椀。洗浄器で洗える形で、多少乱暴に扱っても丈夫な本堅地仕上げ。今や貴重な国産漆が使われている。「子どもの頃から輪島塗の本物の感触を覚えてほしい」との思いがある。
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