Blue Signal
January 2007 vol.110 
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特集[能登の自然と人が育む漆芸美] うるわしき漆、輪島に伝わる漆芸
昔ながらの分業制と道みちの人
職人がつくり、使う人が育てる日用の美
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蒔絵の技法は奈良時代からあるが、輪島には江戸時代に会津の蒔絵師が伝えた。江戸時代以降、蒔絵技法は高級漆芸品としての輪島塗の名を全国に知らしめた。筆を使い漆の液で描いた模様に金粉や銀粉を蒔いて仕上げる蒔絵は、繊細で自由な表現力を持つ。
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能登半島は丘陵ともいえる山々がつづく。ケヤキやヒノキ、ブナ、アテ(あすなろ)などの山林で覆われ、漆の木もかつては里近くに多く植栽されていた。そして海に突きでる輪島の湿潤な気候が漆の乾燥に適している。水分を蒸発させる普通の乾燥とは反対に、「大気中の湿気を吸った漆が酵素の力で固まる」のが漆の乾燥である。漆器の材料となる木々が豊かに繁る能登の自然と、湿潤な気候風土が輪島塗を培った。

こうした自然の恵みが、長い伝統を受け継いだ職人たちの丁寧な手仕事を経て輪島漆器になる。その製造には他所の漆器に見られないほど手間ひまを要し完成するが、20工程以上、100回以上もの手数をかけるというから実に丹念な作業である。江戸時代から作業の工程別に専門の職人が分業で行っているのが輪島塗の特徴のひとつである。一般に「輪島六職」と呼ばれるのは椀木地、指物木地、曲物木地、塗師[ぬし]、沈金、蒔絵の六職。それに下地、研ぎを加えて「輪島八職」ともいい、今日ではさらに朴木地、呂色[ろいろ]などを加えて専門職はさらに分化している。

これらの作業は多くの職人の手が入り重層的だが、基本的なところを述べれば次のようになる。輪島特有の呼称で「塗師屋[ぬしや]」という、漆を塗る専門家である塗師を抱え、製造と販売を兼業する家がある。この塗師屋が各専門の職人に発注するわけだが、その仕事の流れはまず木地師の仕事から始まる。十分乾燥させた原木から荒型を削りだし、さらに1年間自然乾燥させた荒型を轆轤[ろくろ]とカンナで、椀や盆など漆器の原型となる木地を整形する。できあがった椀木地は紙のように薄く軽く、光にかざすと向こうが透けて見えるほどだ。その後、木地は下地づくりの専門職の手に渡り、布着[ぬのき]せ(痛みやすい縁や底の部分に生漆と米糊を混ぜた漆で布を貼って補強する)をし、下地用の漆を塗り、乾かしては研ぎ、研いでは塗って乾かす丹念な作業を繰り返し、輪島塗の真骨頂である堅牢な本堅地[ほんかたじ]に仕上げていく。

輪島漆器の頑丈で長持ちする秘密は、木地固めや、布着[ぬのき]せ、そして繰り返される一辺地[いっぺんじ]付け・空研ぎ、二辺[にへん]地付け・二辺地研ぎ、三辺[さんべん]地付け・地研ぎという下地づくりにあるが、ここで欠かせないのが輪島地の粉だ。「地の粉山」という町外れの小山で露天掘りされている地の粉は他所の産地では使われない輪島の土そのものだ。地の粉は珪藻土で、プランクトンの死骸が堆積してできる。顕微鏡で見ると小さな無数の穴が空いている。この穴に漆が染み込んで強固に結びつく。そのために輪島塗は丈夫で壊れにくい。

下地づくりが済めば、中塗り(塗り・乾燥・研ぎ)を経て最上質の漆で上塗りを行う。呂色仕上げは研ぎ炭を用いて、研いでは漆を塗り、塗っては磨くことを繰り返して表面に輪島塗独特の深い艶、「底艶[そこづや]」を出す。高級美術漆器ではさらに沈金や蒔絵の加飾が施される。沈金は漆の表面をノミで模様を彫り、さらにその溝に漆を擦り込み金箔や金粉を埋め込む技術で、江戸時代に各地の漆器産地で盛業した技術である。蒔絵は奈良時代からある伝統技法で、筆を使って漆で図柄を描き、その上に金粉や銀粉を蒔きつける。沈金よりも緻密にして華麗。まさに「japan」の名で日本人の美意識を象徴しているといっていい。

輪島には今でもこうした専門職の分業制と徒弟制が残っている。木地師は木地、塗師は塗り…、もとは大量生産のための分業だったが、同時にそれは技をより高度に究めるための分業でもある。そういう職人を「道みちの人」と呼ぶが、この道では誰にも負けない自信と誇りを表している。「次の工程の職人に迷惑をかけない。いい仕事やなと敬意され喜んでもらえる仕事をする」のが、輪島の道みちの人の信条である。
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木地から上塗りまでの仕上がり見本。木地づくりから丹念な作業が繰り返されて輪島塗ならではの堅牢さが生まれる。
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蒔絵師の熊野貞久さん。父親も、長男長女も蒔絵師という家系。息を止め、鼠の毛でできた細い筆で漆器の表面に漆で図案を描き、その上に金粉や銀粉を蒔き、拭き取って磨く。熊野さんの作品の多くは料亭などで使われている。
昔ながらの分業制と道みちの人
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轆轤で輪島塗の土台となる木地をつくるのが木地師。木地師にも椀、指物、曲物などそれぞれに専門がある。辻義信さんは3代目の椀木地師。物差しは使わず、目と手の感触だけで0.1mmを削り分ける。「塗師の性格や仕事の内容が分かっていないとよい仕事はできません」。工房には木地に整形される前の荒型がところ狭しと積まれている。
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一辺地付けの作業をする塗師の藤橋悦郎さんはこの道50年の「道みちの人」。地の粉と米糊とを混ぜた下地用の漆を箆で木地に塗る手さばきは軽やか。下地、地付け、中塗り、上塗り用と、篦や刷毛は種々様々。
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和田優子さんは数少ない女性沈金師で「能登の町と手仕事が好きでこの道に進んだ」。徒弟制度の修業を終えて独立した。鋭いノミで図案を彫り、金箔を埋めていく。
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