Blue Signal
January 2007 vol.110 
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特集[能登の自然と人が育む漆芸美] うるわしき漆、輪島に伝わる漆芸
昔ながらの分業制と道みちの人
職人がつくり、使う人が育てる日用の美
品のある光沢と深い艶、
しっとりした手触り。
漆の繊細な優美さは日本人の美意識を
象徴するひとつとして、
漆器は英語で「Japan」と呼ばれる。
日本の伝統である漆の文化を
代表するのが輪島塗だ。
能登の自然が育み、
室町時代から代々伝えられる
漆芸の技を輪島に訪ねた。
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日本海の荒波が打ち寄せる輪島。「倭の島」が地名の起こりといわれ、町の三方を囲んだ山々には漆の木や、木地の材料となるアテ(あすなろ)やケヤキなどが豊かに育つ。
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漆器のことを英語では「japan」と訳す。陶磁器を「china」と呼ぶのと同様に、国名と同じ名をもつ漆器は日本を代表する伝統工芸だ。16世紀から18世紀には盛んにヨーロッパに輸出され、王侯貴族たちは富と権力の証しとして漆器を蒐集した。西洋人にとって、遠い海を渡ってもたらされた漆器は日本そのものだった。今も日本各地には伝統的な漆工芸が残っているが、とりわけ特筆されるのが輪島塗だ。

日本海に大きく突きだした能登半島の輪島。海岸に打ち寄せる波は白い波頭が立ち、肌を刺すような風が容赦なく吹きつける。朝市に並んだ売り手たちは手拭いを被り、半纏[はんてん]を着込み、頬を紅潮させている。朝市通りのざわめきを後に東に歩くと、輪島塗師[ぬし]の鎮守社である重蔵[じゅうぞう]神社の鳥居の前に出る。旧本殿の朱塗扉は室町時代の作で現存する最古の輪島塗といわれているが、輪島塗の起源については諸説ある。

鎌倉時代、輪島の重蓮寺[じゅうれんじ]の普請の折に紀州根来寺[ねごろじ]の寺僧が仏具づくりのために輪島にやって来て伝えたという説。また、土地の何某が根来に出向き習い覚えた技術を持ち帰ったという伝えや、豊臣秀吉の兵火を逃れて輪島に落ちのびた根来寺の寺僧が教えたとする説。あるいは、能登半島山間部の木地師の里、柳田村の合鹿[ごうろく]でつくられ、その後衰退し、“幻の椀”ともいわれる合鹿椀が輪島塗に受け継がれたという説などがあるが、来歴ははっきりしていない。

漆の語源は「うるわし」が転化したものといわれる。漆と日本人の関わりをいえば、正倉院には奈良時代に使われていた黒漆の椀や皿が収められている。考古学的にはその歴史は縄文時代前期にまで遡ることができ、漆の樹液を接着剤や耐久性に優れた塗料として使っていたことが分かっている。能登半島の遺跡調査でも鎌倉時代の遺構から漆器や漆壺、漆用の箆[へら]などが見つかっていることからも、重蔵神社の朱塗扉よりもっと古い時代から漆工の技術が輪島に根付いていただろうと考えられる。

輪島塗の名声が日本中に届くようになるのは江戸時代に入ってからだ。漆器はもともと寺の仏事用の什器に用いられていたが、庶民の生活具として普及していくにつれ、剥げにくく頑丈で長持ちする輪島塗の実用性が重宝された。輪島塗の大きな特長は堅牢さであるが、それには江戸時代初期に発見されて輪島塗だけに使われる下地用の「地の粉[じのこ]」なくして語れず、それゆえに今日の輪島塗の原点を「輪島地の粉」の発見以後とする説もある。

その後、輪島塗独自の沈金が開発され、他の地から伝わった蒔絵による繊細かつ緻密、華麗にして優美な加飾技術が輪島塗の芸術性を高め、江戸時代中期から末にかけて生産量は飛躍的に伸びた。輪島塗生産の特徴でもある分業制度も大量の注文に応えるためであった。それほどの人気を得た理由のひとつには北前船の寄港地という交易拠点であった地の利のほかに、塗師屋[ぬしや]という製造元が越中薬売りのように漆器の商品見本を背負って全国を行商し、一軒一軒顧客を訪ねて注文をとったことも見逃せない。その際、庶民にも買い求めやすいように、何人かで一組となる「椀講[わんこう]」という講組織をつくり、客はクジ順に商品を受け取り、年賦で払う輪島塗独特の販売方法が全国に輪島塗の名を知らしめた。

町全体が漆器工房のような輪島の通りを歩くと、漆器店が暖簾を競い、海風が吹き抜ける細い通りの家々には黙々と仕事に励む職人の姿を見ることができる。漆器で隆盛を極めた輪島の伝統と技は、師から弟子へ、人から人へと今もそうして確かに受け継がれている。
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重蔵神社は輪島塗師の鎮守社。旧本殿にあった朱塗扉は室町時代の作で、現存する最古の輪島塗といわれている。
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石川県輪島漆芸美術館には輪島塗を含む古今の漆芸品を数多く展示している。輪島塗を代表する人間国宝、沈金作家の前大峰作の文盆「夕月」(39.3cm×4cm)。沈金はノミで表面を削り金箔を埋め込む輪島塗独特の技法で、細かい点描で描かれた月と杉の色の変化は至芸。
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江戸時代の「朱塗八隅膳椀」(膳縦33.1cm、横33.1cm、高さ8.5cm)。作者不明。裕福な商家で日常的に使われていたものだろうと推察される。
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江戸時代の「老松沈金四段重」(縦18cm、横19.5cm、高さ25cm)。小式海清九郎作。
うるわしき漆、輪島に伝わる漆芸
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町外れにある輪島「地の粉山」。江戸時代に発見された地の粉はプランクトンの死骸から成る珪藻土。この地の粉が堅牢な輪島塗の本堅地をつくる。
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天日乾燥した輪島地の粉(肌色)。その後、蒸し焼き(黒色)にして粉砕し、塗りの段階で漆と混ぜて使用する。
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漆の木の樹皮に刃物で傷をつけ、滲み出てくる樹液を集めることを「漆を掻く」という。半年かけて1本の成木から採取できるのは200mlほどで、塗ることができるのは椀10個分。
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採取した漆を「生漆[きうるし]」という。精製してゴミや塵を取り除き、塗りの工程に応じた漆をつくる。朱漆は朱やベンガラを、黒漆は鉄を混入してつくる。
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