Blue Signal
September 2005 vol.102 
特集
駅の風景
うたびとの歳時記
大阪駅進化論
天守閣探訪
特集[用の美] 民衆による民衆のための「民藝」こそが美しい
出雲に脈々と受け継がれる民藝精神
実用一筋の仕事に宿る美、匠たちが残した形と技
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湯町窯は玉造温泉街近くにある。その作風の大らかさと豊かさは宍道湖畔の風土に根ざしたものだ。
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神々が降り立ち、国づくりを行ったと伝えられる出雲地方は、時に神話と現実とが交錯する土地。人々は信仰心が篤く、実直で柔和だ。鏡面のように波静かな宍道湖の風景が、敬虔な心を培い、穏やかな人品を育むのだろうか。

柳は自著『手仕事の日本』の中で、優れた民藝を生み出す土地の歴史と風土についてふれている。「正直な品物の多い地方を見ますと、概して風習に信心深いところが見受けられます。信心は人間を真面目にさせます」。出雲はまさにそういう土地柄であった。

そんな出雲を訪ねた柳が「ぜひとも記さねばならないのは」と断じたのが、宍道湖畔の布志名[ふじな]、湯町[ゆまち]、報恩寺[ほうおんじ]、母里[もり]などの窯場だ。とくに柳の眼を惹きつけたのは、この土地独特の「黄釉[きぐすり]」だった。黄釉は鉛からとる釉薬[うわぐすり]のことで、他所では用いられることがなく日本では稀だという。ただ英国の“ガレナ釉”に似ていて、白土の上にかけると、光沢の美しい鮮やかな黄色が出て、独特の風合いをもつ。その印象を柳は「一目見て特色のある焼物なことが分かります」と記している。

柳が訪ねた布志名焼・窯元の一つ、湯町窯は山陰本線玉造温泉駅のすぐ脇。

当主は3代目の福間士さん。陶房の中には、一目でそれと分かる生活用の食器が並んでいる。大皿に茶碗、徳利に酒器、花瓶、コーヒーカップにティーカップ…どれもみな、ふくよかな温かみを感じさせ、手にとるとしっくり馴染んで心地いい。簡素だけれどモダンで、どこか英国風のものもある。スリップウェアの手法〈スリップ(化粧土)をかけて文様を描き、鉛を含んだガレナ釉をほどこし焼く〉による絵模様は、英国人の陶芸家バーナード・リーチの指導によるものだ。コーヒーや紅茶のカップ、水差しの取っ手もそうだ。リーチも民藝運動の協力者であり、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が愛した宍道湖の風景と出雲の地を同様にこよなく愛したという。

「先代である父親が、柳さんやリーチさん、河井さん、濱田さん、棟方志功さんらに手ほどきを受けていたのを、子どもの私は傍で眺めていました」と福間さんは振り返る。

陶房には、民藝運動の指導者らとの交遊の証がたくさん残されている。柳の写真、リーチや棟方が絵付けした民藝の品々を大切に保管している。福間さんは粘土を巧みにこねあげ、捻り伸ばしながらリーチが指導したというカップの柄を、驚くほどの素早さで一つ、また一つと仕上げていく。その姿はまさしく柳がいう、素直で健康的な優れた熟練の手仕事だ。

「素朴であたたかい、使いやすい器をつくり、みなさんの生活のなかに潤いを届けられることがなにより幸せです」。柳やリーチの教えは現在は4代目の息子さんにも受け継がれ、地元の土を使い、地元の原石で釉薬をつくるスタイルは変わらない。土地の風土に根ざし、地方色を甦らせることは柳が唱えた民藝の大切な精神でもある。

湯町窯と同様に、民藝精神を頑迷に守りつづけている焼き物が斐伊[ひい]川中流域の出西[しゅっさい]にある。深い山々を流れ下り、宍道湖に注ぐ斐伊川は八岐大蛇神話で知られ、出西は古代出雲国の中心だったところだ。周囲は田園が広がり、穏やかでいかにも平和な風景がつづく。窯の名を出西窯という。

戦後に興された新しい窯で、柳は『手仕事の日本』に「近時起こった簸川[ひかわ]郡出西村の窯がよい品に努力しつつあります」と記し、このまだ若い窯の手仕事に注目し、強い関心を寄せた。出西窯はその創業時から柳や河井や濱田、そしてリーチといった民藝運動の同人たちが何度も通って作陶を指導し、育てた窯。地方の手仕事を発掘し守るだけでなく、育てるのもまた民藝運動がめざした使命であった。
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湯町窯の開窯は1922(大正11)年。2代目の福間貴士が民藝運動に参加し、柳や河井、濱田そしてリーチが訪れ指導にあたった。
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バーナード・リーチは『白樺』派の同人であった柳宗悦と出会う。民藝運動にも参加し、日本の各地で絵付けや西洋的な皿やコーヒー、ティーセットづくりを指導した。
右のスリップウェアの大皿は、バーナード・リーチによる絵付けで、2代目が焼き上げた。
出雲に脈々と受け継がれる民藝精神
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エッグ・ベーカーはコンロにそのままかけて卵を割り入れれば、数分で程よい半熟卵ができ上がるすぐれ物。
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湯町窯の3代目、福間士さんは先代から受け継いだ技術と物づくりの姿勢を守りつつ、現代の生活にあった器をつくりつづける。
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