Blue Signal
September 2005 vol.102 
特集
駅の風景
うたびとの歳時記
大阪駅進化論
天守閣探訪
米子駅 駅の風景【米子駅】
大山に抱かれた伯耆国の商都
美保湾と中海を分かつように突きだした弓浜半島。
米子は半島の付け根にあって、霊峰・大山を間近に望む。
町は、海路・陸路の要衝として江戸から明治にかけて山陰随一の活気をみせる商都と謳われた。
誰をも快く受け入れる、自由で開放的な商都の気風は現在もそのまま受け継がれている。
国曳き神話が残る土地
山陰本線の下り列車が、広々とした大山の裾野に沿って左にカーブすると、山と海とが融和した風景が現れる。左手には大山の勇壮・優美な姿、右手の美保湾の海上には白砂青松を絵に描いたような白い砂浜が長々と横たわる。弓ヶ浜である。

弓ヶ浜にはこんな神話がある。神代の時代、八束水臣津命[やつかみずおみつのみこと]という神が大山を杭にみたてて綱をかけ、「国来[くにこ]国来」と引っ張って国造りをした。そうして引き寄せられてできたのが現在の島根半島の東端にある美保関だ。『出雲国風土記』の「国曳き神話」のなかには、命がそのときに用いた綱というのが弓ヶ浜だと、書かれている。

米子の町は、ちょうど大山の裾野が弓ヶ浜と出合うところにある。西は中海に面し、まるで大山に守護されているかのようにどこからでもその雄姿が見える町は、海路・陸路の地の利の良さから交易が盛んで、「山陰の大坂」とも称された。現在も山陰本線、境線、伯備線が通じる山陰地方の要の都市である。
イメージ
米子は山陰本線、境線、伯備線が通じる山陰地方屈指の交通の要所。海水浴シーズンやカニのシーズンには皆生温泉への拠点として観光客で賑わう。
イメージ 弓ヶ浜は長さ20km、幅4kmの砂洲。江戸時代に灌漑が行われ日本4大棉産地に数えられた。
イメージ 弓ヶ浜に沿って続く皆生温泉の旅館街。海に湧き出る温泉は山陰屈指の温泉地。
イメージ 米子市内から約15分。日本を代表する写真家・植田正治を記念して建てられた植田正治写真美術館から望む大山の姿はじつに優美。
地図
二つの天守閣を持った米子城
米子駅の北に、標高90mの湊山という小高い山がある。ここからの眺めは絶景だ。中海の彼方に沈む夕景、ホウキの裾を広げたような大山の稜線、それに米子市街が一望できる。

山上には、明治の廃城令まで二つの天守を持つ豪壮な米子城があった。吉川広家が築城し、関ヶ原の戦後に入城した中村一忠が新たに天守を築いたため、二つの天守をもつ「山陰第一の名城」と謳われた米子城。一忠は入城の折に、近郷近在から商人や職人を呼び寄せ「城下十八町」と呼ばれた町並みと、9つの寺を設けて町をつくった。これが現在の米子の町並みの原形だ。約400年前のことである。

米子城はその後、鳥取藩の預かりとなり、代々家老が治めた。殿様が不在であることが商都を大いに活気づけることになる。北前船を通じて各地の産物を集散し、海運交易で財を成す者が多く、また城下には関所もなく各地から大勢の人々が行き交い、商都・米子は自由で闊達な空気がみなぎっていた。

米子の人の気風は「人なつっこく、人当たりがよい」といわれるのも、商都が育んだもてなしの伝統かもしない。誰に道を尋ねても、物腰柔らかく気さくに教えてくれた。
湊山から望む中海の夕景。山上には二つの天守を持つ「山陰第一の名城」と謳われた米子城があった。 イメージ
豪壮な米子城を偲ぶ本丸、二の丸、三の丸の石垣などがいまも残っている。 イメージ
藩主、一忠は入城の折に伯耆国の各地から寺を移して寺町をつくった。9つの寺が甍を連ねる町並みは米子の歴史的景観の一つ。 イメージ
2つの天守を持つ米子城絵図を掲げる鹿島恒勇さん。鹿島家は安政年間、大名貸をする両替商だった。写真のシャチホコは廃城の際に拝領したという。 イメージ
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廻船問屋の土蔵が往時を伝える
商都の面影を残す一画が、米子駅の近くにある。中海とつながる米子城の外堀の旧加茂川沿いには、廻船問屋の屋敷や白壁の土蔵群が、いまでも江戸時代を彷彿とさせる。

中海に停泊した北前船の船荷は、小舟に積み替えられて水路を進み、商家の蔵に横付けされる。舟着き場では大勢の男衆たちが慌ただしく荷運びするようすが目に浮かぶようだ。なかでも一際目を引くのが後藤家の屋敷。江戸時代からの大廻船問屋で、建物は国の重要文化財。海運で莫大な財を築いた後藤家は、中海の干拓や農業振興を行い、私塾を開くなど私財を投じて米子の発展に尽力した。

そんな後藤家にまつわる逸話は町の各所に残っていて、境線の後藤駅は後藤家に敬意を表してつけられた駅名だと、米子下町観光ガイドの高橋さんが教えてくれた。「米子を訪れた人に楽しい記憶を持ち帰っていただきたくてガイドをしてます」と言って、高橋さんは米子の魅力を順にあげた。「大山、中海の夕景、弓ヶ浜、皆生温泉…、ええっと、他にもいろいろあるけど、いちばんはやっぱり人情味とサービス精神かな」。

米子の町並みはどこまでもやさしく、その気風は穏やかで細やかだった。
中海につながる米子城の外堀である旧加茂川には、荷を積み下ろしした廻船問屋の蔵が連なり、商都の往時を偲ばせる。 イメージ
旧加茂川に架る京橋の畔にある後藤家は江戸時代からの廻船問屋。 イメージ
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