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September 2005 vol.102
ことあるごとに霞がかかって城を守ったという伝説から「霞ヶ城」ともいわれる丸岡城。1576(天正4)年、柴田勝家の甥である勝豊が築城した。
現存天守閣の中では最も古いといわれ、通し柱を用いずに最上層の望楼と2階を1階が支える構造から、城郭建築の初期のものであることがうかがえる。一乗谷付近で採石される笏谷石[しゃくだにいし]で造られた石瓦を用いているのも珍しい。1948(昭和23)年の福井大震災で倒壊したが、1955(昭和33)年に修復再建された。
天守の側には有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の書簡碑が建つ。徳川家康の功臣・本多作左衛門重次が陣中から家族に送ったもので、簡素で要領を得た手紙の見本とされている。