Blue Signal
September 2005 vol.102 
特集
駅の風景
うたびとの歳時記
大阪駅進化論
天守閣探訪
大阪駅進化論 梅田ステンショから大阪駅へ---巨大ターミナルへの変遷(1)
東西南北のあらゆる方向に路線が延び、
西日本のあらゆる輸送の起点であり中継点となる大阪駅。
今回は、大阪〜神戸間を結んだ歴史にふれる。
大阪〜神戸間を1日8往復で開業
商業施設や宿泊施設を備えた西日本屈指の巨大ターミナルとして人が集う大阪駅。北は北陸へ、南は紀伊半島へ、東は東海道へ、西は山陽・山陰へ…。遠距離路線や近距離路線を総合した西日本のネットワークの中心として大きな役割を果たしている。

その始まりが1874(明治7)年に開通した大阪〜神戸間の鉄道建設で、日本初の鉄道路線である新橋〜横浜間に次ぐものだった。5月11日に営業が開始され、途中の西ノ宮を仮停車場、三ノ宮を停車場とした。6月1日には神崎(現尼崎)、住吉の停車場も開業。1日8往復の列車が運行され、大阪〜神戸間32.7kmを1時間10分で結んだ。
汽車見物が小学校の遠足
この当時の大阪駅は、現在の場所よりやや西側で、ちょうど大阪中央郵便局のあたりに建てられており、周辺は田園地帯で赤レンガの2階建ての駅舎は、当時の大阪の物資の集積地であった堂島からもよく見えたという。

当初、大阪駅の建設は堂島に予定されていたが、地元住民や商家の反対にあい、人気のない梅田に変更されたといういきさつがある。沼を埋めた埋め立て地だから、埋田[うめた]、そこから梅田となったのが地名の由来なのだとか。そこにモダンな洋風建築の駅舎がポツンと建てられたのだから、注目をあびるはずだ。

大阪〜神戸間を走る汽車を家族連れで弁当を持って眺めに行ったり、小学校の遠足が汽車見物というのが当たり前の景色だったという。汽車見物のために庭に別館を新築した料亭さえあった。

鉄道そのものがまだ珍しく、また日本最初の鉄橋や鉄道トンネル(隧道)が建設された大阪〜神戸間。地元の人々にとっては、誇るべきものであったに違いない。
駅に人が集い また駅は成長する
大阪〜神戸間の鉄道建設で、最大の難工事といわれたのが神崎川に橋を架けることだった。鉄を使った初めてのトラス橋のひとつで、工事中に暴風雨にあい河川が増水するなど作業は難航した。また、芦屋川、住吉川、石屋川という3本の天井川の川底にトンネルを掘る工事も行われた。これが日本初となる鉄道トンネルの建設で、芦屋川、住吉川のトンネルは現在も形を変えて使用されている。

このような難工事を経て開通した大阪〜神戸間の鉄道路線により、人や物の流れは大きく変化する。市街から離れた場所に建設された駅や線路だが、やがて人や物資、商圏が駅の周辺に集るようになる。また沿線が住宅地や工業地帯として発展することで、便利な輸送機関としての鉄道の重要性が増し、駅へのニーズも高まった。当初は4駅だった途中の駅も現在では13駅となった。起点となる大阪駅が、輸送量の増加などにより設備の拡張が必要になるのは自然の流れといえよう。

駅は、そこを利用するあらゆる人の多様なニーズに応えるために成長しなければならない。5代目大阪駅の胎動が始まった。
1875(明治8)年当時の大阪・神戸間路線図
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