

列車の運転状況をはじめ、沿線の風速や雨量など、指令業務に必要な各種情報を収集するための監視機器が並ぶ地区指令室。災害発生時には施設、電力、信号通信の3指令が連携して早期復旧に繋げる。
新大阪駅〜博多駅間 線路延長約560kmを疾走する山陽新幹線。最高速度は300km/hに達する。現在、山陽新幹線地区指令において施設総括指令長を務める義根は、19名の部下とともに保線および土木の現場作業の統制を指揮し、高速鉄道の安全・安定走行を根底から支える。
友人からいただいた開業時の愛称板。毎朝見て、新幹線従事者として、新幹線の遅れは出さないと決意している。
義根の入社は1979(昭和54)年。国鉄職員で保線業務に従事していた父の背中を見て育ち、自身も当時の岡山鉄道管理局 津山保線区の軌道掛から鉄道マンとしてスタートを切った。入社当初は中型機械編成による木まくらぎの交換が主な作業。山間の単線区間で泥まみれになりながら、保線業務の基本を覚えていった。その傍ら、将来のキャリア形成を見据えて通信教育で学び、広島鉄道学園※(当時)の試験に合格。働きながら保線の専門技能を身につけるとともに、資格取得にも励んだという。
その後異動した倉敷保線区では、保守用車の作業ダイヤの作成や運行計画の立案、用材の調達といった業務にも携わり、幅広い実務経験を積み重ねる。「知識や技能と同時に、現場では作業員の安全を最優先に考えるという、現在に繋がる安全意識も根付いていきました」。
※鉄道業務の専門知識・技能を学ぶための研修施設。
指令員の勤務は9時30分から翌日の10時までの24時間30分。毎朝行われる点呼では、前日の引き継ぎ内容を共有する。
1991(平成3)年4月の人事異動を契機に、義根は新たなステージへと進む。「在籍していた福山保線区は在幹融合保線区※で、在来線と新幹線の担当者が相互に入れ替わることになったのです」。新幹線担当に変わった義根は、まず施設係として工事の設計や発注、予算管理業務に着手する。さらに、検測データの分析を担う軌道管理を務めるなど、高速鉄道の安全走行を支える職務に従事していった。その後、山陽新幹線の業務を専門的に管理する部門として新幹線管理本部が発足すると、義根もその一員となる。この部署では、2010(平成22)年7月に発生した須磨トンネル内の保守用車追突事故をきっかけに、安全推進室工事安全グループが立ち上がった。義根はこのプロジェクトチームにおいて、これまで誰も手を付けてこなかった運転取扱いの規程を抜本的に見直すことになる。「まずは現場の課題を抽出するため、駅や運転所、工務区所に足を運び、グループ会社の人たちにも対面で意見を伺いました」。例えば、事象発生時の復旧現場では作業着手までの手続きに時間がかかり、その間作業員は待機していたという。「課題解決に向け、東京指令所も含めて関連部署が議論を重ね、安全を最優先に従来のルールを見直した結果、大幅な時間短縮を実現できました」と成果を語る。1,280人にも及ぶ現場第一線からの貴重な意見、規程改正の根拠、議論の過程も含めた膨大な記録は『工事安全のあゆみ』という冊子となり、運転取扱いの道標となって今も現場を導いている。
※同じ保線区内に在来線と新幹線の両方の担当部門を置く組織体制。
シニア社員の退職によって培われた知識や技能が失われないよう『地区施設指令のあゆみ』を記録に残し、次世代に継承する。
現在、義根は山陽新幹線地区指令において、施設総括指令長の重責を担う。地区指令とは「施設」「電力」「信号通信」の3指令で構成され、夜間の作業時間帯における線路の立ち入り許可をはじめ、作業の開始から終了までの作業統制を行っている。施設指令では、道床つき固め(MTT)、トンネル修繕や架線点検などに使用する保守用車ダイヤを作成。常時3名が指令台に着座してダイヤの管理にあたり、作業の進捗を見守る。初列車の出発までに確認車を走行させ、作業の仕上がりと線路の状態を最終確認するのも重要な任務という。「安全に、確実に、始発の新幹線を運行させるのが地区指令の使命。ご乗車になるお客様の笑顔を思い浮かべて職務にあたるよう、指導しています」。
施設指令には、60歳を超えるシニア社員が義根も含めて6名在籍する。培った経験と指令員としての勘で異常時も乗り切ってきたベテラン全員が、数年後には退職を迎える。「我々がいなくなっても、若手指令員や現場区所の運転担当者の指針となるものを残しておきたい」と、義根は今『地区施設指令のあゆみ』の編纂に取り組んでいる。地区指令の成り立ち、運転取扱いの要点、トラブル発生時の対応事例などを盛り込み、2026年4月の刊行をめざす。



























