

富山県の南西部にある南砺市は、散居村で知られる砺波平野と、世界文化遺産「五箇山合掌造り集落」を有する山間部からなる。大牧温泉は、その五箇山を上流とする庄川の河畔の一軒宿。日常から離れ、静かな自然環境を求める人々が、遊覧船に乗って訪れている。
【アクセス】新高岡駅から遊覧船乗り場までバスで約80分、遊覧船で約30分
大牧温泉への交通手段は小牧港から就航する遊覧船のみ。冬季には、降り積もった雪景色の峡谷を進む約30分の船旅が、日常から非日常へと誘う。
屋外の女性用露天風呂。県定公園に指定されている庄川峡の四季折々の景観に抱かれながら、天然温泉に癒やされる。
大牧温泉の開湯は、1183(寿永2)年と伝わる。源平合戦(治承・寿永の乱)最大の山場「倶利伽羅峠[くりからとうげ]の戦い」で敗れた平家の武将が、隠れ家を求めて彷徨っていた折、大牧の河畔からコンコンと湧き出る温泉を発見。ここで湯浴みをし、創傷の身を治したのが大牧温泉の始まりだ。それから長い間、村人たちの湯治場として親しまれてきた温泉は、河原に石を積み、穴を掘って湯に浸かるという極めて原始的な温泉であった。
ダム建設前、湯治場として人気のあった河原の露天風呂。庄川では江戸時代以前から、飛騨・五箇山地方の山奥で伐り出した木材を全国で売るために「木材流送」が行われていた。
船降り場から歩いてすぐのところにある大牧温泉観光旅館。現在の建物は、1931(昭和6)年に建てられた旧建物のイメージを残しながら改装された。
「森の中の露天風呂」という表現にふさわしい、岩組みの男性用の露天風呂。原生林に包まれたロケーションで、ときにはカモシカが姿を現すこともあるとか。
時を経て、工業の近代化が進み電力需要が高まると、水力発電普及のために小牧ダムが完成し、多くの村人に愛されながらも湖底に沈んだ温泉を続けるために、豊富に湧き出る川底の源泉から高台に湯を引き上げ、湖畔に建物を建築。「大牧温泉観光旅館」として営業を再開したのはダム完成の翌年、1931(昭和6)年だ。大牧温泉への交通手段は、庄川を往復する遊覧船のみ。小牧港から大牧温泉までは約30分、途中の赤い長崎橋を潜ったら、温泉まで残り半分の距離だ。
川面に迫り出すように造られた旅館は、まさに秘境の中にたった一棟佇んでいる。部屋数は30室。かつては部屋から釣り糸を垂らし、川魚釣りを楽しむという風流な光景もあった。川底から引き上げる温泉は約58℃。塩化物泉と硫酸塩泉の混合泉で、現在も毎分350リットルが湧き出ており、余った湯は川に戻すという。塩化物泉は温まると冷めにくく、擦り傷、冷え性、皮膚病、胃腸病などに効果が期待される。敷地内には内湯と露天風呂の6つのタイプが点在。露天風呂は階段を登っていき、川を見下ろすような場所にあり、男女で趣が異なる。新緑、紅葉、雪景色と四季折々の自然に包まれる中で、特に夏には、対岸の急峻な森を歩くカモシカの親子の姿を見られ、暑い日の夕方には川面に霧が立ち込めることもある。秘境の夜を堪能できるように、夜9時には消灯。せせらぎをBGMにゆったりと眠りにつくことができる。
現在は機械による乾燥だが、かつては「ハサ掛け」といい、竹竿に吊して天日で柿を干す光景が晩秋の里山の風物詩だった。現在は観光用と風景継承を目的に1カ所で復活させている。
地元では贈答品に選ばれる富山干柿。サラダにしたり、日本酒の肴など、乳製品との相性も良い。
皮を剥いた三社柿を吊るすために2個ずつ糸で繋げる「紐付け」。毎年、農家総出で行われる。
南砺市の名産は、三社柿[さんじゃがき]で作られる「富山干柿[とやまほしがき]」だ。江戸時代に鷹狩に来た前田利常公が、この地の老人からもてなされた干柿を食し、将軍家献上品として干柿作りを推奨、1982(昭和57)年からは毎年宮内庁に献上されている。原材料の三社柿は大牧温泉に近い福光と城端[じょうはな]地域で栽培されている産地固有種で、大人のこぶしほどある大きな渋柿。皮を剥いた柿を2個ずつ糸で繋ぎ、乾燥を繰り返して干柿にしていく。その間も水分や糖分を果肉全体にいき渡らせるために、柿を1個ずつ手で揉むという丁寧かつ大切な作業が行われている。富山干柿が販売されるのは毎年12月から翌年1月まで。富山干柿の強い甘みと独特の歯応えは、大切な人への贈り物にも喜ばれるだろう。

























