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枯木灘の荒々しい岩礁風景を車窓に走る紀勢本線の列車。(古座駅〜紀伊田原駅)
紀勢本線は和歌山市駅から三重県亀山駅を結ぶ全長384.2kmの長大路線だ。今回の旅では、「きのくに線」の愛称でも呼ばれる和歌山県白浜駅から新宮駅までの約95.2kmを走る。列車は紀伊半島をぐるりと巡り、海岸線の景勝美を車窓に、熊野権現の聖地をめざした。
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見老津駅のプラットホームからは、白波がきれいな枯木灘の絶景が見渡せる。
その昔、熊野古道大辺路[おおへち]は中辺路[なかへち]よりも時間がかかるため、時間に余裕のある庶民や文人墨客[ぶんじんぼっきゃく]が枯木灘や熊野灘の風景を愛でながら歩いた熊野信仰の道だ。今回の紀勢本線の旅ではその大辺路を辿[たど]るように、列車は紀伊半島南部の沿岸部を走る。
旅の起点は白浜駅。白浜は全国でも有数のリゾート地で知られ、年間約300万人の観光客が訪れる。「白良浜[しららはま]」はきめ細かなサラッとした白砂の浜で、それが地名の由来となった。美しいビーチから北西に行くと、高台に「南方熊楠[みなかたくまぐす]記念館」が立つ。紀州が誇る「知の巨人」南方熊楠を顕彰する施設だ。世界的な博物学者、民俗学者であった熊楠の偉業は数知れず、中でも「エコロジーの先駆者」として熊野の生態系保護の活動に尽力した功績は計り知れない。「昭和天皇が紀南行幸された際、熊楠がお出迎えをした神島[かしま]が、ここからよく見えます。白浜に記念館を建てた理由の一つです」と話すのは、館長の
垣誠さん。照葉樹林に覆われた神島もまた熊楠によって守られた島だ。屋上の展望デッキからはその姿がよく見え、白浜の温泉街や円月島[えんげつとう]、紀伊水道などの大自然もパノラマで一望できる。
白浜駅を離れた列車は南へと向かう。隣の紀伊富田[きいとんだ]駅を過ぎ、進路を東に周参見[すさみ]川を過ぎると周参見駅だ。ここからはほぼ海岸線に寄り添いながら走る。枯木灘とも呼ばれる大海原が見渡せ、豪快なリアス海岸と海岸段丘が続く。列車はトンネルを何度もくぐると、プラットホームから枯木灘が望める見老津[みろづ]駅に到着。駅より西側にある「恋人岬」に立ち寄ると、左右から打ち寄せる波がぶつかり合っている。「婦夫波[めおとなみ]」と呼ばれる周参見を代表する奇観で、高台にまで届く波の音は迫力。別々の2つの波が出会って溶け合う見慣れない景色についつい見入ってしまう。
見老津駅から約30分で、本州最南端の串本駅に到着だ。
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関西屈指の海水浴場で知られる白良浜。延長約620mの美しいビーチは「日本の快水浴場百選」に選ばれている。
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中央に円月形の洞があることから円月島と呼ばれる。春分と秋分の日前後は太陽が円月島の穴に重なるように沈む。
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すさみ八景の「婦夫波」。満潮時の2時間ほど前で、適度な風があるなどの条件が揃ったときに見ることができる。


「エコロジーの先駆者」を顕彰する南方熊楠記念館
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南方熊楠記念館の屋上展望デッキから望む白浜温泉街と太平洋。
白浜町の最西端、白浜温泉街の対岸の紀伊水道に面した高台にある南方熊楠記念館。「博物学の巨星」で知られる南方熊楠にとって、紀州熊野の大自然そのものが研究の対象であった。館内では、熊楠の多大な功績を現在に伝える。
また、屋上展望デッキからは、熊楠が自然保護に奔走した神島や研究のフィールドとなった熊野の山並み、遠くは四国まで望める360度の絶景が展開する。
館内の展示室には、熊楠が残した資料や標本、遺品など約800点が紹介されている。
館長の
垣さんは、「ここでは特に幼少のころ、熊楠が書き写した『和漢三才図絵』などの緻密な模写を見てほしいですね」と話す。

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熊野灘を望む王子ケ浜沿いを走る列車。(三輪崎駅〜新宮駅)
串本駅から北に2kmほど離れたところに、奇岩巨岩が立ち並ぶ。国の名勝および天然記念物指定の「橋杭岩[はしぐいいわ]」だ。弘法大師と天邪鬼[あまのじゃく]の伝承が残る景勝地で、天邪鬼は一晩で大島まで橋の架け比べをしようと弘法大師に持ちかけ、大師は山から巨岩をひょいと担ぎ、橋の杭をずらりと並べていった。焦った天邪鬼は、大声で鶏の啼[な]き真似をした。それを時間切れの合図だと勘違いした大師は、途中で架橋を止めてしまったという。一列に連なった巨岩の姿は圧巻で、別天地のようなこの景観は、串本屈指の観光スポットだ。
駅より南にほどなく行くと、江戸中期を代表する臨済宗東福寺派の名刹「無量寺[むりょうじ]」がある。本堂再建の際に、愚海和尚[ぐかいおしょう]が親交のあった絵師円山応挙[まるやまおうきょ]に襖絵を依頼。約束を果たすべく、障壁画12面を描いた。残りを高弟の長沢芦雪[ながさわろせつ]に託し、芦雪は応挙の名代として串本に赴き、代表作『虎図襖[とらずふすま]』をはじめ、270点余りの作品を描いた。


串本の名勝および天然記念物と、日本一小さな美術館
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日の出を迎える橋杭岩。海と岩のコントラストが際立ち、幻想的な景観が広がる。
巨大な岩柱の列が850mにも及ぶ橋杭岩は、南紀屈指の景勝地だ。干潮時には間近で見ることができ、その大きさや迫力が体感できる。満潮時には海に浮かんだように見えて幻想的だ。
串本町の無量寺には境内に併設された「応挙芦雪館」があり、その展示室と収納庫は、円山応挙やその高弟長沢芦雪の襖絵55面をはじめ、伊藤若冲、禅僧白隠慧鶴[はくいんえかく]などの絵画や墨跡などが収蔵されている。
無量寺は、もとは入り江近くにあったが、度重なる津波の被害に遭い、今の地に再建された。
国の重要文化財に指定されている長沢芦雪の『虎図襖』。芦雪は、約半年間の南紀滞在中に多くの作品を描いた。

はえ縄漁による生まぐろの水揚げ高が日本一の勝浦漁港。にぎわい市場では、天然生まぐろを使用した丼や定食、地元の特産品なども提供されている。
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西国三十三所観音巡礼の第一番札所で知られる那智山青岸渡寺の三重塔。その奥には那智御瀧が控え、三重塔との調和が美しい。
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新宮城跡から望む熊野川。熊野川は奈良県に発して和歌山県と三重県を隔てて流れ、「川の参詣道」として世界遺産に登録されている。
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朱色の社殿が映える熊野速玉大社。本宮、那智と並ぶ「熊野三山」の一社。
串本駅から列車は進路を北東に、紀伊半島の東側に沿って走る。古座川[こざがわ]を渡り、紀伊浦神[きいうらがみ]駅を過ぎると、車窓から複雑に入り組んだ熊野灘のリアス海岸が見える。荒々しい岩礁が続く熊野灘の風景はダイナミックだ。列車は湯川駅を過ぎると紀伊勝浦駅に到着。那智勝浦町は水揚げ高が日本一を誇る“生まぐろのまち”で、町内には40軒を超えるまぐろの取扱店が点在する。その拠点が勝浦港の隣に設置された「にぎわい市場」。施設内ではまぐろの解体ショーが連日実施され、捌いたばかりの生まぐろが提供される。鮮度抜群の海の幸に舌鼓を打ち、駅から北西の那智山[なちさん]をめざした。鬱蒼とした山間部に鎮まる青岸渡寺[せいがんとじ]は、隣接する熊野那智大社[なちたいしゃ]とともに熊野信仰の名刹だ。三重塔と那智御瀧[なちのおたき]が一つに収まる景観は一幅の絵のようで、境内は霊験あらたかな大自然の息吹に満ちている。
列車はさらに北へと向かう。三輪崎駅を過ぎ、熊野詣[くまのもうで]で身を清めたと伝わる王子ケ浜が車窓を飾れば、まもなく終点の新宮[しんぐう]駅だ。新宮は熊野速玉大社[はやたまたいしゃ]の門前町で、社殿は熊野川河口近くに鎮座する。熊野権現が最初に降臨した元宮[もとみや]の神倉神社[かみくらじんじゃ]から遷[うつ]ったはじめてのお宮という意味から、その地を「新宮」と呼ぶそうだ。
熊野古道大辺路を辿る道のりは、風光明媚な熊野の大自然を愛でながら、熊野信仰の霊場を巡る旅であった。


熊野の神々が降臨した聖地と、新宮の郷土料理
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神倉神社のご神体、ゴトビキ岩。天ノ磐盾(あまのいわたて)という険しい崖の上にある。ゴトビキとは、この地方でヒキガエルを意味する言葉。
新宮駅から西に歩けば、神倉山の高さ100mほどの断崖絶壁の上に、神倉神社の御神体「ゴトビキ岩」が鎮座する。熊野三山の神々が最初に降臨したと伝わる聖地で、毎年2月6日には新宮に春を呼ぶ、勇壮な火祭り「御燈祭り」が行われる。上[あが]り子[こ]と呼ばれる男子が松明を持ち、538段の急峻な石段を一気に駆け下りる。
そんな祭りや正月などのハレの日に、新宮では好んで「さんま姿寿司」が食される。熊野灘に揉まれた脂の少ないさんまが特徴で、新宮伝統の郷土料理だ。

新宮駅前で、郷土料理のさんま姿寿司を提供する徐福寿司3代目里中陽互さん。「新宮駅の開通時、さんま姿寿司の駅弁当が大人気でした。店では新宮本来の家庭料理として提供しています」と話す。
徐福寿司のさんま姿寿司。酢漬けにしたさんまを丸ごと1匹使ったお寿司で、新宮を代表する名物料理。



























