
プロ野球選手。1991年生まれ、徳島県阿南市出身。オリックス・バファローズ所属、愛称『ラオウ』。小学1年から野球を始め、徳島商業高等学校への進学後は投手として活躍。青山学院大学へ進学し、2年生の時に東都大学野球秋季リーグ戦で19年ぶり6人目のサイクル安打を達成しベストナインを受賞。JR西日本入社を経て、2015年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから10巡目で指名。2021年32本塁打を放ち、パ・リーグの本塁打王を獲得。2022年日本シリーズではオリックスの26年ぶり5度目の日本一に大きく貢献した。2度の決勝打を評価され、日本シリーズMVPを獲得。
子どもの頃から野球一筋、休日も練習ばかりだった。だから、旅の思い出といえば試合に行った先々で、仲間と遊んだりしたことだ。僕は徳島県阿南市の少年野球チームに入っていたが、そこから1時間ぐらいかけて行った鳴門では、試合が終わってからみんなで海に行って、そのまま泳いだ。南紀勝浦の大会に行ったときは、みんなでミカン狩りをしたりと、遠征先で野球以外のそんな楽しい思い出がたくさん残っている。中学、高校、大学時代も、僕たちはいつも練習に明け暮れていた。
その後、JR西日本に入社。硬式野球部がある広島で勤務した。その時の思い出に、山口県にある角島[つのしま]に行ったことがある。野球部のみんなで「海に行こう!」ということになって、海水浴に行った。海がすごくきれいだったことが印象に残っている。考えてみると、小さい頃からいつも旅先では泳いでいる。野球部員は夏になると泳ぎたくなるのかもしれない。その他には宮島にチームメイトと出かけた。景色に気をとられ、持っていたアイスを鹿に食べられてしまったことを覚えている。
また、午前中はオフィスで仕事をし、午後から野球部の練習に行っていた。同僚には迷惑を掛けたと思う。そんな自分だったが、2年間のサラリーマン生活では苦労も味わったし、お金を稼ぐことの大変さとか、親が今までやってくれたことのありがたさとか、そういうことを学ばせていただいた。仕事で貢献できることは限られていたが、社員の皆さんが野球部を応援してくれていることはすごく感じていた。僕自身、社会人野球はプロになれるラストチャンスと思っていたので、ひたむきに野球に取り組んだ。練習が終わってからも寮に帰ってウエイトトレーニングで汗を流した。野球で結果を出すことがお世話になった方々へのお返しになるはずだと信じていた。だからプロになった時に上司や同僚から「おめでとう!」と言ってもらえたことが本当に嬉しく、今も忘れられない。
2016年にドラフトでオリックスに入ってからの数年はいただいたチャンスをものにできず、いつ解雇になってもおかしくない状態だった。それでもオリックスが残してくれていたことが何よりありがたかった。同期で入った同級生や選手が、1年目から1軍で活躍している中で、僕は何年もずっと2軍にいて悔しい思いを味わった。プロに入っただけだったら全然意味はない、やっぱり活躍しないと意味がない。これまで支えてくださった方々のために、何より僕自身のためにこのまま終わったらもったいないし、ここでやめたら一生後悔すると思っていたので、諦めるということはなかった。
ほんとうにこれまで野球一筋できたが、近年ではシーズンが終わって、いったんゆっくりし、リセットするために家族と旅に出ている。旅といっても住まいのある大阪から近くの有馬温泉に行ったり、福井にカニを食べに行ったり。温泉が近くにあるのは、短期間でも心身ともにリフレッシュすることができるのでありがたい。野球以外の移動で、見慣れない美しい風景に出会うことや、地元の美味しい料理も楽しみだ。今はまだ現役で休むことはあくまで戦うためだが、いつかは、ゆっくりと旅を楽しみたいと思っている。
もしかしたら、海水浴にも行くかもしれない。