鉄道に生きる

広中 和雄 広島駅 係長

どのような状況下でも働きやすい環境づくりに努め周りを支える

運転整理のために構内ダイヤを引き直す。

 平成最悪の水害となった西日本豪雨(平成30年7月豪雨)はJR西日本にも甚大な被害をもたらし、1日も早い復旧に向けての作業が続く。復旧作業が進むにつれて徐々に列車が動き出し、それに合わせて駅への列車の入線の順序や、着発線の変更などの運転計画(構内ダイヤ)を練るのが駅運転担当。広島駅 広中和雄係長はこの道41年の大ベテラン。毎日の運転計画とそれに伴う構内作業の策定を担い、日々的確な判断を下す広中が「こんな時だからこそ」と語るモットーは、「明るい雰囲気づくり」だ。

毎日がダイヤ改正 泣き事だけは言わない

勉強会で刻々と変化する状況を共有し、皆で知恵を出し合って対策を練る。

 雨が強くなりだした7月6日、広中は広島駅で列車を止める手配を行うとともに、駅で足止めとなったお客様の対応に奔走していた。雨が上がってからは、日々変化する駅構内の運転計画を練っていく。「毎日運転計画が変わるので、毎日ダイヤ改正をやっているような感覚でした」。この環境下で安全を確保するため、広中はチーム全体の知恵を結集して対応する。定例でリスク勉強会を行っており、状況が変わる中で新たに発見した気づきを共有し、対策を検討していく。

 ダイヤ乱れなどの輸送トラブルがあった際に広中が心がけているのは、第一線で働いている社員が働きやすい環境をつくることだ。「特に災害対応は長丁場になりますので、このような状況だからこそ明るく働けるような雰囲気づくりを心がけています。また、上司である自分が泣き事、不平不満を口にしないように気をつけています。言っても暗くなるだけで何もいいことはありませんし、上司の姿勢は部下にうつってしまいますので」。この状況下でも物腰柔らかで落ち着いた広中の姿勢は、とても頼りがいを感じさせる。

慢心が招いた失敗

 1977年の入社以来、駅運転一筋。国鉄のイメージといえば駅でのきっぷの販売や、運転士、車掌だったため、駅構内で作業する操車や踏切の保安担当を担う駅運転業務に携わることに違和感を覚えたという。「雰囲気になじめず、早く抜け出したいという気持ちも片隅にありました」。失敗も数多く経験してきた。ある時、ベテラン社員とペアで車両の連結作業を行った際、「あの人の仕事に間違いはない」と思い込み、本来広中が行わなければならないチェックを怠った。するとその作業の対象となっていた列車が途中で運行不能となってしまった。チェックをしていれば防げた事象だった。「慢心や作業の慣れから生じた私の甘さでした。恥ずかしさや情けなさ、何よりも大変悔しい思いをしました。悔しさゆえに、二度と同じ失敗をしないようにしっかりと対策をしますし、失敗は学ぶことが多いです。その悔しさ、反骨精神のおかげで今までやってこれた気がします」。

自分がいなくなっても駅を守って

部下同士で疑問を解決し合う風土をつくる一方、行き詰まった様子を見ると丁寧にアドバイスをする。

 広中は若手社員や係長の教育も担う。「若手は勉強熱心で知識もあり、教えたことを確実に行ってくれます。ITにも強く、システム関係では私たちが助けられる場面もあり大変ありがたい存在です。一方で、経験不足のため応用力に欠けているように思える時があります。そのため、何か一つでも歯車がずれると対応ができなくなってしまいます」。経験不足を補うため、広中はできるだけ過去の事例や自身の失敗を伝えるとともに、「この場合はどうするのか」と質問を投げかけるようにしている。ただし答えは言わず、自分で調べ、分からなければ先輩に質問させる。こうすることで社員全員が質問内容に興味を持ち、全体的なレベルアップが図れるのだという。「いつか私もいなくなります。彼らには駅運転のプロになるための応用力や対応力を確実につけてもらいたいと思いますし、そのために何事にもチャレンジして失敗し、恥をかいてもらいたいと思います。大前提は、楽しく仕事をすることですが」。

 随所でこの災害の対応にあたる同僚をはじめ他職場の社員を気遣う言葉を発するその姿は、大変な時だからこそ気持ちを明るく持つべきという姿勢を体現していた。この明るさが広島の復興を推し進めていく力になるだろう。

※車両の連結・分割を行うこと
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