鉄道に生きる

城戸 宏之 車両部 車両設計室 担当課長 (7月1日より(株)ジェイアール西日本テクノスへ出向)

常に最高の車両を目指して答えを探求し続ける

 6月17日に運行を開始した「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」。この「瑞風」の車両設計に携わったのが、車両部 車両設計室の城戸宏之だ。城戸が関わったのは車体の部分で、「瑞風」に限らず、新車の車体に関する部分は全て担当してきた。「新車の開発には決まった答えがない。大切なもの、譲れないものを持つことが重要」と城戸は語る。

入社して一番の思い出「ふれあいSUN-IN」の設計

疑問があれば納得するまで徹底的に調べる。

 城戸は入社2年目に「ふれあいSUN-IN※1」の設計・改造担当となるが、車両の設計はもとより、改造計画の手順など何もかも未経験。倣うべき前例もなく、「窓を改造して大きさを変える時には強度に問題が生じないかなど、一つひとつの工程が怖かった」という。昼は車両の工事、夜は設計と、昼夜を問わず工場を挙げての取り組みで、大変な労力と時間を要した。しかし「自分が設計したものが形になっていくことが楽しかったです。先輩や上司、メーカーの方々とは時間を忘れて議論を重ね、皆で一丸となって働き、仲間と作り上げるうれしさを覚えました」と、苦労を超える楽しさがあり、一番思い出に残っていると語ってくれた。

形作られた安全への思い「安全の先頭を走らなければならない」

 車両設計を担当する城戸が、安全への思いを固めた出来事がある。国鉄時代に経験した特急やくも列車脱線事故、余部鉄橋列車転落事故、そして2005(平成17)年4月25日に発生させた福知山線列車事故だ。国鉄時代の2つの事故では実際に現場を真っ先に目の当たりにし、「鉄道に携わる者として、一瞬で多くの人々の人生を変えてしまうような怖いものを扱っているのかということを、身に染みて感じました」という城戸。

 福知山線列車事故当時はグループ会社へ出向中だった。106名ものお客様のかけがえのない尊い命を奪い、500名を超える方々にお怪我をさせたことへのお詫びの気持ち、責任の重さを痛感した。事故後JRに復帰して携わった開発、設計の1つ、225系※2には特別な思い入れがある。「JR西日本は、安全面で先頭を走らなければならない」と、いくつもの新しい安全対策を講じた。今では標準仕様となった、大型吊り手、先頭車のクラッシャブル構造※3だが、開発した内容をまとめて導入したのは225系が最初。城戸はさまざまなリスクを想定し、いくつもの安全性向上のメニューを実現させた。

設備面から「瑞風」を支える

「瑞風」車内にて。図面を見ながら実際の設備を確認する。

 「瑞風」は、これまでにない構造、システムを搭載した車両である。一番大切なことは、トラブルなく運転すること。「トラブルを発生させ『瑞風』の旅を台無しにすることがないよう、安全最優先を肝に銘じて取り組んでいます」。

 そして、安全を大前提に、快適な車内環境を整備することも重要な任務だ。お客様が利用する設備をはじめ、料理人らが使用する設備など、対象は多岐にわたる。その中で「瑞風」特有の課題の1つに、客室の浴槽の構造がある。揺れる車内では、浴槽からお湯がこぼれることが想定された。どうすれば波が起きないか、台所の水切りやプールの消波装置など参考となりそうなあらゆるものを調べ、ようやく形になった。「ご乗車されるお客様の一生の思い出になるような、そんな体験をしてほしいと思います」。

経験のない業務の攻略本を作れる人を育てたい

「自分の考えを持ってほしい」。部下への指導に熱が入る。

 車両設計者は、一朝一夕で育つものではない。城戸はそれを理解しているからこそ、若手の指導に愛情を注ぐ。「かつての上司から受け継いだ言葉ですが、技術論に上司も部下もありません。『正しいこと』が答えです。答えは判断する時点の環境で変わるものもあり、その時々で、なぜそう判断したのかという基準を記録しておくことが大切です。部下には自分の考えをしっかり持てと、常々伝えています。経験のない業務の攻略本を作ることができる人を育てていきたいです」と語る城戸。城戸と、薫陶を受けた部下の情熱は、車両というツールを通じてお客様の安全と笑顔を作り出している。

※1…1986年から2008年にかけて山陰地区で活躍したお座敷列車。 ※2…安全対策の充実を図った、近郊形電車の標準タイプの車両。 ※3…衝突時の衝撃力を車体の変形を促すことにより吸収する構造。
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