沿線点描【山陽本線】岩国駅〜櫛ケ浜駅(山口県)

瀬戸内屈指のビューポイント、安芸灘と周防灘の海岸線を走る。

今回の旅は、山陽本線の山口県岩国駅から
徳山駅の一つ手前の櫛ケ浜[くしがはま]駅までの約65km。見どころは、輝く海原に点々と浮かぶ大小無数の島影。瀬戸内海でも屈指の絶景を車窓に櫛ケ浜駅を目指した。

1929(昭和4)年に“岩国駅”として開業した西岩国駅。駅舎は大正末期から昭和初期の代表的な洋風建築で、登録鉄道文化財に指定されている。

車窓に映えるコバルトブルーの多島美

1673(延宝元)年に架けられた木造5連のアーチ橋、錦帯橋。岩国市のシンボルとして親しまれる。

潮流の速い大畠瀬戸は好漁場で、潮流にもまれて身のしまった美味な鯛が捕れる。早朝から鯛の一本釣りの船が多く操業する。

 今回の出発駅は岩国駅だが、世界遺産登録を目指す美しい橋梁を一目見ようと、錦帯橋に立ち寄った。5連の木造アーチ構造は世界でも稀という。その最寄り駅は岩徳[がんとく]線の西岩国駅で、駅舎は国の登録有形文化財である。錦帯橋まで徒歩で約20分。昭和初期まで錦帯橋の玄関口として賑わい、現在も大正末期の洋風建築の貴重な佇まいを見せている。もちろん今も現役の駅だ。

 錦帯橋をあとに岩国駅に向かった。徳山方面は7番ホーム。駅を離れると、列車は岩徳線と分岐する。岩国駅〜徳山駅間は、山側を走る岩徳線と海岸線を走る山陽本線とが並走している。錦帯橋が架かる錦川の支流の今津川、門前川を渡って南下する。藤生[ふじゅう]駅を過ぎると、車窓いっぱいにキラキラ輝く真っ青な海原が広がった。列車は文字通り、海岸線を走る。

 海原の遠く近くに、大小の島が点々と浮かぶ。コバルトブルーのオーシャンビューに自然と胸が高鳴る。神代[こうじろ]駅を過ぎると周防[すおう]大島が迫る。狭い海峡は万葉の時代から恐れられた海の難所、大畠[おおばたけ]瀬戸。海峡の最短は約700m、潮流は最大9ノット(時速約17km)。日本三大潮流の逆巻く潮は今も行き交う船を翻弄している。

周防大島からの眺望。右手に本州に架かる大島大橋、左手の奥には柳井の町並みを見渡す。

古代より海上交通の要衝として知られた大畠瀬戸。干潮の急流で発生する渦潮は日本三大潮流の一つに数えられる。

柳井港からは周防大島や四国の松山を結ぶフェリーが発着する。

 そんな海の難所を、連続トラス橋梁としては世界で2番目の長さを誇る大島大橋がひとまたぎ。すぐ傍らの大畠駅から眺める橋の風景は壮観だ。駅の裏手は鯛釣りのポイントで、早朝の海は多くの鯛釣り船で賑わう。大畠駅を過ぎると、列車は海岸線を西へと向きを変える。間もなくすると柳井港[やないみなと]駅だ。瀬戸内の離島や四国とを海上交通で結ぶ海の玄関口。

 そこから数分で柳井駅に到着。柳井は、瀬戸内の海上交易で繁栄した商都で、江戸時代には岩国藩の「御納戸[おなんど](化粧部屋)」と呼ばれた美しくて、麗しい町。江戸期から明治期の町の豊かさを物語る土蔵造りの家々が連なる町並みは味わい深い。町の観光案内所近くに、小説家・松本清張がこの町の風情を「白壁と川のある街」として讃えた碑がある。途中下車して、ゆっくりと散策したくなる町だ。

歴史の町から光のイリュージョンの街へ

約2.4kmにわたる白砂青松の虹ケ浜海岸。西日本屈指の海水浴場で、「日本の渚百選」にも選ばれている。

室積湾を抱くようにして延びる象鼻ヶ岬。

 ここまでずっと海岸線を辿ってきた列車は、柳井駅から海岸線を離れて内陸部を真西に向かう。田園風景の中を、田布施[たぶせ]駅、岩田駅、島田駅と過ぎ、島田川の鉄橋を渡ると列車は再び海岸近くを走る。約20分ほどで到着した光[ひかり]駅は、瀬戸内海の工業都市、光市の玄関口だ。

 駅のほど近くに約2.4kmもの白砂青松の美しい虹ケ浜海岸が延びる。光駅の開業当初の駅名は、この虹ケ浜に因んで「虹ケ浜駅」だった。虹ケ浜の名前の由来は、海から浜を眺めると虹の架け橋に見えたからだそうだ。昭和初期の町名変更に伴って駅名も改められたという。

 その光駅から少し距離はあるが、北前船の寄港地として繁栄した室積[むろづみ]に立ち寄った。光市の東にあって、御手洗[みたらい]湾に象の鼻のように張り出した象鼻ヶ岬[ぞうびがさき]の港町で、室積はかつて多くの廻船問屋が軒を連ねて海運で隆盛を極めた。

普賢寺の門前町として栄えた室積。「海商通り」には、多くの廻船問屋が軒を連ねた。

播磨国圓教寺を創建した性空上人により開基された普賢寺。

 天保13(1842)年の長州藩の記録『防長風土注進案[ぼうちょうふうどちゅうしんあん]』によると、室積地区には80隻もの廻船が置かれていたという。そんな面影が今に残る海商通りには豪商の屋敷があり、その先に普賢寺の楼門がある。普賢寺の創建は1006(寛弘3)年。本尊の菩薩は海から引き上げられたという伝承から「海の菩薩」として信仰を集める。室積は普賢寺の門前町として栄えた。

 普賢寺の背後には国の天然記念物に指定されている峨嵋山[がびさん]樹林が生い茂り、また山頂からは象鼻ヶ岬全体を眼下に見下ろすことができる。岬はたしかに象の鼻に似ている。

 そしてほどなく岩国で分岐した岩徳線と再び合流し、旅の終着駅である櫛ケ浜駅に到着。海岸一帯の巨大なプラント群の夜景が観光スポットになっていて、見学ツアーもあるそうだ。

 山陽本線の中でも瀬戸内海屈指の車窓は「絶景」の一言であった。

櫛ケ浜の沿岸部に広がる工場群の夜景。

金魚ちょうちんが揺れる、柳井

室町時代からの町割りがそのまま残る柳井の古市金屋地区。

柳井川河畔に築かれた船着場の雁木。ここから荷の積み下ろしがされた。

 “瀬戸内の商都”と呼ばれた柳井は室町時代の町割りや、江戸時代からの土蔵や商家が今も残っている。駅前から続く「麗都路[れとろ]通り」を辿ると柳井川に出る。雁木[がんぎ]という昔の船着場が残っていて、川を渡ったところが国の重要伝統的建造物群保存地区の古市金屋地区だ。

1907(明治40)年に建てられた旧周防銀行本店。現在は「柳井市町並み資料館」として使われ、当時の姿を今日に伝える。

 時代劇のセットのような通りの両側に本瓦、白壁の商家が軒を連ねている。“鰻の寝床”と呼ばれる家々は間口が狭く奥行が長い。奥行が119mに及ぶ屋敷もある。そして電線のない通りの家々には柳井名物の金魚ちょうちんが風になびく。金魚ちょうちんは青森の「ねぶた」を参考に江戸時代に作られた柳井の民芸品。「伝統のこの金魚ちょうちんで町おこしをしています」と話すのは、1830(天保元)年から柳井で醤油を醸造する「佐川醤油店」7代目の桐山尚久さん。最盛期には醤油蔵は7軒もあったが、今は2軒となった。

「佐川醤油店」7代目の桐山さんは、「柳井の名産“甘露醤油”の特徴は、3年から4年の歳月をかけて仕上げた濃厚な味わいです」と話す。醤油蔵は甘露醤油資料館にもなっている。

 夏には「柳井金魚ちょうちん祭り」が催され、数千個の金魚ちょうちんが町を彩るという。電柱を地中化し、通りを石畳にするなど歴史的景観を保全する取り組みを行っている。桐山さんは「白壁の町並みこそ、私たちの財産です」と話す。散策するには見どころがいっぱいで、商都の繁栄と活気をしのぶことができる。

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