沿線点描【芸備線】広島県◎広島駅〜三次駅

中国山地を走り抜ける旅

芸備[げいび]線は、広島駅と岡山県の備中神代[びっちゅうこうじろ]駅とを結ぶ全長約159.1km、44駅の長大な路線。
中国山地のほぼ中央を東西に走っている。
今回は、広島駅から路線の中間地点にあたる
山間の町、三次[みよし]駅までを旅した。

車窓には、のどかで美しい田園風景が続く。
(志和地駅から西三次駅)

車窓に映るたおやかなシーン、美しい山と川、のどかな田園風景

毛利輝元が築城した広島城。天守閣は戦災で倒壊、1958(昭和33)年に再建された。現在は武家文化を中心とした歴史博物館になっている。

 芸備線の西の起点、広島駅。中国地方最大の都市だけに見どころもたくさんある。原爆ドームや平和記念公園がある街の中心部には、人通りのにぎやかな飲食街があり、お好み焼きや牡蠣などの広島グルメを堪能できる。城南通りを歩けば、戦国武将・毛利輝元が築いた広島城、別名「鯉城[りじょう]」と呼ばれる5層の黒い天守が誇らしげにそびえている。

 芸備線の列車に乗り込んだ。広島駅を後にした列車は、中国山地をめざして走る。太田川に沿って十数分も北上するとそれまでの都会の喧噪は嘘のようだ。広島駅から5つ目の下深川[しもふかわ]駅付近で列車は太田川と分かれる。いよいよ中国山地の中へと分け入って行く。ゴトゴトとディーゼルカーの駆動音が響く。中国山地の空は広く明るく、そして高い。山々の緑が夏の陽にみずみずしく輝いている。自転車をこぐヘルメット姿の中学生たちが見える。広々した田畑で農作業をしている人びと、紅色の石州瓦の屋根を戴いた独特の家々が、次々と車窓を過ぎていく。なんとも穏やかな日本の山村風景だ。特別な何かがあるわけではないが、こうした素朴でのどかな風景に出会えるのはローカル線の旅の魅力のひとつである。

 中深川駅、上深川駅、狩留家[かるが]駅と過ぎ、列車が白木山[しらきやま]駅に近づくと白木山に連なる山々が視界をふさぐように横たわっている。なだらかな山容だが、その存在感に圧倒される。付近の田畑は緑色の絨毯を広げたようだ。中三田[なかみた]駅、上三田駅、志和口[しわぐち]駅、井原市駅を過ぎて列車はやがて向原[むかいはら]駅へ。向原駅のある辺りには「分水界[ぶんすいかい]」がある。ここに降った雨は一方は日本海へ、もう一方は瀬戸内海へと流れる。平地にあるのはめずらしく、地元ではこの分水界のことを「泣き別れ」と呼んでいる。

 列車はすでに芸北地方を走っている。広島の旧国名は「安芸[あき]」と「備後[びんご]」。芸北は安芸国の北を意味し、戦国時代の大大名、毛利家発祥の地としても知られる。吉田口駅が最寄りの安芸高田市には毛利家の居城、郡山城跡や毛利元就の墓所がある。「三矢の訓」の碑もあり、「一本の矢は容易に折れるが三本矢を束ねると折れない」という話は有名だ。元就が実際に3人の息子に宛てた「三子教訓状」が残っているという。

三篠川に架かる鉄橋を渡れば、列車は中国山地の深部へと分け入っていく。(中深川駅から上深川駅)

広島名産の牡蠣、とくに大黒神島でとれる生牡蠣は最上質といわれる。元安川に浮かぶかき船では、さまざまな牡蠣料理を堪能できる。写真は江戸時代から続く「かき船かなわ」の牡蠣料理。

広島グルメの定番、お好み焼き。特徴は、薄皮の生地に、どっさりのキャベツ、そばやうどんをのせ、あとは好みでいろいろなトッピングで味わう。お好み焼きを食べたくて広島を訪れる人も少なくない。(写真提供:お好み焼き みっちゃん)

中国山地の山々を背景に狩留家駅に入る列車。

安芸高田市の広森神楽団による「土蜘蛛」。芸北地方には、今でも生活のなかに神楽が生きている。

絢爛豪華、エキサイティングな芸北神楽に圧倒される

 芸北といえば「神楽[かぐら]」。能や歌舞伎のルーツといわれる神楽は日本各地に伝わる古典芸能で、とりわけ芸北地方では今も神楽が人々の生活とともにある。芸北には数十を数える神楽団があって、芸を競い合っている。沿線からは少し離れるが、安芸高田市の「神楽門前湯治村」には、全国でもユニークな神楽専門の舞台「神楽ドーム」がある。そこで地元の若手による神楽の実演を観た。演目は「土蜘蛛」。金糸、銀糸の絢爛豪華な衣装を身にまとった舞い手が、笛や太鼓の激しいリズムにのって乱舞し、くるくると身体を回転させる。ショーアップした神楽は観る人を飽きさせない。約40分の舞台があっという間だった。

広森神楽団の若手の皆さん。八重尾直都さん(右から2人目)は「後継者は不足していますが、神楽が好きなので、地元に残った者で伝統を守り、魅力を多くの人に伝えていきたい」と話す。

安芸高田市の郡山城跡には、中国地方最大の戦国大名となった毛利元就の墓がある。

「神楽団の舞い手は、地域のヒーロー。子どもたちにとっては憧れの存在なんです。私も10歳のときから神楽を始めました」と、広森神楽団の若手・八重尾さん。地元の子どもたちは「物心がつくころには神楽を舞っている」という。  吉田口駅を後にした列車はやがて江[ごう]の川と出会う。江の川は島根県の江津で日本海に注ぐ中国地方一の大河だ。今回の旅の最終目的地である三次は、江の川、西城[さいじょう]川、馬洗[ばせん]川の3つの川が合流する水の町。「みよし」とは古語で「水の集落」の意味との説がある。山々に囲まれた盆地の町が霧で覆われる「三次の霧海」という幻想的な風景は有名で、全国からカメラマンが訪れるそうだ。

三次の町がすっぽり霧に覆われる「三次の霧海」。霧中の山の山稜はまるで大海に浮かぶ島々のようで、幻想的な光景。(写真提供:三次市観光協会)

 三次の夏の風物詩といえば、毎年6月から8月末まで馬洗川で行われる「三次の鵜飼」。平底の小舟の先にかがり火を焚き、光に集まってくる鮎を烏帽子に腰ミノをつけた鵜匠が鵜を巧みに操って捕る鵜飼は、三次の夏の夜を幽玄に彩る。遊覧船で見物すると納涼気分も満点である。

 町を散策するのも楽しい。三次は古くからの交通の要所でもある。旧市街の町割は江戸時代のままで、歴史的な建造物や町並みが残っている。最近では、「三次ワイン」が有名で、丘陵地に広がるぶどう畑は絵になる風景だ。寒暖の差が激しい盆地の気候が、ワインに適したぶどうを作る。地元で栽培したぶどうをワイナリーで醸造した三次ワインは新しい特産となっている。

 中国山地の懐を縫うようにたどる三次駅までの沿線には、いろいろな発見があった。心癒されるのどかな日本の原風景がいまも変わらずに残っていた。

ワイン醸造を担当する石田恒成さんは「三次で栽培したぶどうだけを使ったワイン造りにこだわっています」。気軽に味わうテーブルワインから貴重な貴腐ワインまで、三次産にこだわって造られている。

三次の夏の風物詩、「三次の鵜飼」。戦国時代から400年以上の伝統があり、市の無形文化財に指定されている。全国から見物客が訪れる。(写真提供: 広島県)

三次はシャルドネやセミヨンなどの貴腐葡萄を栽培し、独自のワインを製造している。ワイナリーには年間40万人以上が訪れる。

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