Blue Signal
July 2007 vol.113 
特集
駅の風景
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
探訪 鉄道遺産
安土駅 駅の風景【安土駅】
天下布武の夢が託された信長の町
天下統一をめざした織田信長は、
琵琶湖の東岸、近江国の安土に拠点を構えた。
安土山の頂きに築かれた城は、
信長の権勢を誇るように金色に輝き、
遠くヨーロッパにも噂が伝わるほど
豪壮華麗であったという。
そんな信長の夢の跡を安土に訪ねた。
信長が天下統一を託した拠点
安土の町の名は日本の歴史上に確固と記されている。安土・桃山時代(1568〜1600年)の安土とは、織田信長が天下布武の夢を託して琵琶湖を見晴らす安土の山上(199m)に城を築き、ここを天下統一への足がかりにしたことに由来している。

駅を出てすぐ目にするのは太刀を片手に、扇をかざして遠くを見つめる信長の立像だ。近くには幻の安土城を20分の1スケールで復元した精巧な模型を展示している城郭資料館もある。町内にはほかに、安土城天主(天守)の最上部を原寸で復元した「信長の館」、「相撲やぐら」やキリシタン神学校の「セミナリヨ跡」など信長ゆかりの史跡があって、のどかな田園風景の中を一つ一つ訪ねるのが町歩きのコースになっている。

例年6月に催される「あづち信長まつり」は町をあげての祭りで、戦国武者に扮した行列がお目見えするが、信長をもっと身近に偲ぶにはやはり安土城跡に佇んでみることだ。天主閣へと続く長い石段の一段一段に、天下取りを目前にした信長、そして秀吉や家康の気配や息遣いまでも感じ取れそうだ。
イメージ
整備された大手通りの長い石段。下から仰ぐと圧倒的なスケール感があり、攻めてくる敵陣もこの石段を見たら戦意を喪失するのではないかと思われるほど。石段に沿って、雛壇上に秀吉や家康の屋敷があったとされている。
地図
信長の時代、安土城下には楽市楽座が設けられて賑わった。随所に堀が巡らされた水郷の町としても知られる。
イメージ  
イメージ 駅を出てすぐ出迎えてくれるのは信長の立像。信長は現在も安土町のシンボルである。
イメージ 安土町内には信長や安土城の資料が展示された施設が点在している。中でも「信長の館」に実物大で再現された安土城天主閣は圧巻。
イメージ 安土駅の南広場にある相撲櫓。信長が催した相撲興行は近代相撲の発祥といわれる。
イメージ セミナリヨはイタリア人宣教師オルガンチノによって創立されたキリシタン神学校。現在は公園として整備されている。
近代城郭建築の手本となった幻の城
安土山はなだらかな丘陵のような山だが、古地図を見ると、琵琶湖の内湖(大中湖[だいなかこ])に突きだした岬のようである。安土城は淡海に囲まれたその山上に、1576(天正4)年から3年の歳月を費やして1579(天正7)年に完成した。築城には、諸国の家臣、大名や名工を動員し、昼夜分かたずの「天下普請」で行われたという。

信長の威武を天下に示すように築かれた城は、中世の城郭とは随所に異なり、とりわけ5層7階(地下1階、地上6階)の豪壮華麗な天主閣は前例がない。「天主」という呼称も信長の造語であり、のちの近世城郭の「天守閣」は安土城に倣った。高石垣の高度な石組や、柱を立てる礎石、そして瓦屋根を用いたのも安土城が先例だった。

八角形の天主の最上部の天井や壁は、朱塗りや黄金色が施され、極彩色の障壁画で飾られていた。安土山の山上に聳える天主の印象を、イエズス会のポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスが『日本史』に書き残している。要約すすると「ヨーロッパの最も壮大な城に比肩しうる。我らの塔よりも遥かに気品があり壮大な建築である」。

その頃が信長の絶頂期だった。城の完成から3年後の1582(天正10)年に信長は本能寺で自刃し、安土城にも火が放たれ天下統一の夢とともに潰え去る。
安土は水郷の町でもある。町中には多くの湧水があり、現在でも市民は生活に利用している。 イメージ
現在は公園に整備されている常浜は琵琶湖周遊の蒸気船の帰港地として活気に溢れていた。 イメージ
このページのトップへ
400年以上前の気配が残る安土城跡
焼き払われた安土城が実際どのようであったかは、フロイスの『日本史』や『信長公記』の記述、屏風絵などから推測するしかない。天主や城郭模型は資料を手がかりに復元したものだが、安土城跡には石段や高石垣、天主が聳えていた礎石がそのままで、それがかえって想像をかきたて当時の城郭のようすや気配を生々しく伝える。

安土山南麓の大手道の入り口に立つと、見上げるほどの石段が山の中腹に向かって真っすぐに延々とつづく。石段の幅は6m、見る者を圧倒する景観だ。この大手道に沿って左手に秀吉邸、右手に家康邸があったとされている。大手道はやがて行く手を阻まれ、直角に曲がる。そしてまた階段を上る。この辺りまでのぼると息も絶え絶えだが、眼下に見渡す晴れ晴れした田園風景が美しい。

さらに尾根を辿ってゆくと、本丸に至る。石垣に挟まれ道を直角に曲がり進むうちに、天主台跡に辿り着いた。大手道の登り口から、天主台まで石段は405。天主跡には東西10列、南北10列の礎石がある。この上に豪壮な安土城天主が聳えていたのだ。ただ、そこから信長が眺めた淡海は農耕地と化し、いまは中腹から望む西の湖の風景から想像するほかない。

夕陽が西の湖を黄金色に染める。その夕陽は天主に立つ信長をも黄金色に包んだだろう。
安土城の天主閣跡に並ぶ礎石。3年の歳月を費やして完成した巨大な天主は高さ30メートル以上あったといわれ、絢爛豪華なその姿は圧倒的な存在感があったと思われる。特別史跡に指定されており、現在も発掘作業はつづいている。 イメージ
西の湖に沈む夕日が美しい。船に乗り西の湖を周遊する水郷めぐりでは四季折々の風景が楽しめる。 イメージ
大中湖は戦後に干拓されたが、葦原が繁る西の湖は昔のままに自然を残す琵琶湖八景の一つ。福沢常一さんは西の湖で60年以上も漁を続ける。「漁は、鮒鮨用のニゴロブナ、コイ、アユ、モロコ。魚は年々少のうなってますが、この湖は私らの宝です。西の湖の夕景をみたら誰でも感動します。そやから、この風景はずっと大事にせなあきません」。
イメージ
このページのトップへ