近江一閑張

滋賀県湖南市

かつて、壊れた道具を修理する手立てとして、各地で広く行われていた一閑張[いっかんばり]。
ものを慈しむ営みから生まれた技は、手仕事ならではの趣ある工芸品となって、現代の暮らしの中で存在感を放つ。
独自の発想で、一閑張の新たな魅力を伝える近江の作り手のもとを訪ねた。

使い込むほどに風合いを深める手漉き和紙と柿渋の本領

和紙の密着性にこだわった、近江一閑張ならではの美しい編み模様が際立つ。インテリア雑貨など、一品ものと呼ばれるまさに他にはない作品も手掛けている。

温もりを今に伝える素朴な工芸技法

 和紙や柿渋など、暮らしに根づく自然素材を巧みに利用し、古くから作り続けられてきた。「一閑張」という名称は、江戸時代の寛永年間(1624〜 44年)に中国より来日し、茶人千宗旦好みの紙漆細工を誕生させたと伝わる初代飛来一閑[ひきいっかん]に由来する。茶道具としての一閑張は、桜や桐などの木地に薄い和紙を張り漆を塗って仕上げる技法をいうが、現在では木型に和紙を張って型を抜く紙胎[したい]漆器をはじめ、竹編みの素地に和紙を張り、塗料を施した生活用品などにも、広く一閑張の名が用いられている。また、かつては道具が壊れてもすぐには手に入らなかったことから、その修理の方法として傷んだ部分に古紙を重ね、柿渋を塗って補強していた。こうした作業は、農閑期に行われることが多く、そのため和紙を張った生活道具全般を一閑張と呼ぶようになったとも伝えられている。

なだらかな丘陵地に田園が広がる湖南市

 滋賀県の南東に位置し、県最大の一級河川・野洲川の流れに沿って田園地帯が広がる湖南市。四季の移ろいを身近に感じるこの地に工房を構える蛯谷[えびたに]工芸は、一閑張製作において40年の歴史を持つ。現在、工房を代表するのは2代目となる蛯谷豊さん。父であり、師匠でもある先代からの作風を受け継ぎ、「近江一閑張」の名を掲げた数々の工芸品を手掛けている。こだわってきたのは、いわゆる一閑張という枠にとらわれないものづくり。独自の発想で、和紙の持つ温もりや風合いを表現するとともに、使うほどに愛着の増す暮らしの逸品を創作し続けている。

独自の技を進化とともに伝承する

 近江一閑張の素地に使うのは、竹や木ではなく、撚[よ]った紙を束ねてできた紙の紐[ひも]。作るものの大きさに合わせ、紐の幅を繋いだり、割いたりして使用するそうだ。また、曲げる、折る、ねじるなども自在にできるので、昔ながらの文庫箱から照明器具やかごバッグなど、創作の幅も広がる。何より、上から張り重ねる和紙とのなじみがよく、密着性が高くなることで、見た目の美しさと丈夫さを兼ね備えた作品に仕上がるという。

 紙紐で作った形の上に張るのは、強靱さとしなやかさを併せ持つ手漉きの五箇山和紙。「下張り」には白、「上張り」にはさまざまな色目の和紙を用い、丹念に張り込んでいく。紙紐の編み目と和紙との間の空気を抜きながら、隙間なく張るのは先代が生み出した独自の技術。豊さんは、その技法を受け継ぎながら、より密着を良くするための技を日々追求しているそうだ。破れにくく、美しく。仕上げに数回重ね塗りする柿渋によって、和紙はさらに強度を増す。柿渋は、防水や防腐効果とともに、独特の侘びた味わいが特徴だ。用途に合わせ、水洗いにも耐えられる透明の塗料も使用するが、昔ながらの柿渋の風合いには、ファンも多い。

 「末永く、愛着を持って使っていただきたい」と、工房では柿渋の塗り直しなどの修繕にも応じている。きめ細やかな手作業の現場には、3代目として修行中の亮太さんの姿もある。近江一閑張の歴史は、次代へと途切れることなく刻まれていく。

  • 紙紐を編んで作品の形を作る。通常は十字に編む4つ目が多いが、菓子入れなど丸底のかごは、中心部分から六角形の6つ目に編んでいく。

  • 色和紙の上に3〜4回塗り重ねるという柿渋は、天王柿の青い果実を圧搾して出た汁を発酵させたもの。天然塗料ならではの色、風合いに仕上がる。

  • 塗りの作業は、1回ごとに十分に乾燥させながら行われる。乾燥棚に並べ、小さなものは数時間、大きな行李などは一晩乾かしておくこともあるという。

  • 色の豊富さも五箇山和紙の特長。蛯谷工芸では、定番10色をオリジナルで漉いてもらい、その上に手描きで墨を入れたものなどを使用している。

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