羽咋の海の朝

特集 西日本万葉の旅 石見の荒磯と山の歌

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鴨山の 岩根しまける 我れをかも  知らにと妹が 待ちつつあるらむ 柿本人麻呂

鴨山

歌人の斉藤茂吉は、山深い湯抱温泉近くにある「鴨山」を終焉の地と説いた。

 ミステリアスな人麻呂の生涯でも最大の謎は、死のあり方と臨終の地である。上の一首は、最期を迎えた人麻呂が妻である依羅娘子を偲んで詠んだ。「柿本朝臣[あそみ]人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷みて作る歌一首」の題詞のとおりに解釈すれば、人麻呂は都で死んだのではなく、石見国の鴨山で行き倒れて死んだことになる。

 ところが、いつ、そして上京の途中か、石見国への途上なのか道行きの経緯がまったくわからない。謎ゆえに「人麻呂終焉の地、鴨山はどこなのか」と、今日も研究者の好奇心をかきたてているが、未だに謎のままだ。江津市説、また歌人の斉藤茂吉は大田市の南、三瓶山につづく山峡の湯抱[ゆかがい]温泉近くの「鴨山」を終焉の地とした。さらには、益田市の高津川沖合の海中に大地震で沈んだ「鴨島」が「鴨山」だという説もある。

 哲学者梅原猛氏は著書『水底の歌』で人麻呂は政争に巻き込まれ石見国に流されて刑死したとし、鴨島を鴨山と推定した。大和や山城にも鴨山はあり、石見説を疑問視する説も含めて諸説紛々だが、ミステリアスのままがいかにも伝説の歌人にふさわしい。

江の川

鴨山がある湯抱の南部を悠々と流れる江の川。人麻呂の妻・依羅娘子の住む角の里あたりに至り、日本海へと流れ込む。

今日今日と 我が待つ君は  
石川の貝に交りて ありといはずやも 依羅娘子

高津川の夕暮れ

高津川の夕暮れ。歌の石川は高津川を指すともいわれる。

 歌は『石見相聞歌』に登場する石見の妻、依羅娘子が人麻呂の死を知って詠んだ晩歌二首のうちの一首。人麻呂の歌と一対といってもいい。自分の死の間際に、そうとは知らずに自分の帰りを今か今かと待ち続ける妻の不憫さを人麻呂は詠う。そして妻は、今日こそは今日こそはと逢える日を心待ちにしていた夫が、死んだと知らされて驚き、深い悲しみに打ちひしがれる。

戸田柿本神社

益田市のはずれの小高い丘にある戸田柿本神社。創建は聖武天皇の頃といわれ、神社には「柿本人麻呂生誕地」の説明文、人麻呂御神体像やゆかりの史料などがある。

 しかし、この歌も実は解釈が定まらない。人麻呂の歌は山を想像させるが、妻は「貝にまぎれている」と水の中をイメージさせ、人麻呂の歌と矛盾する。鴨山と石川の関連性も所在も不明だ。しかし、歌だけを素直にとれば、死に際して妻を思いやる歌を詠んだ人麻呂の人間像の一端が垣間見えるようだ。それさえ、宮廷歌人として宮中で披露する上での演出であり戯作だとする研究者もいる。そうかもしれない。

 詮索するほど謎は深まる。宮廷の大歌人になぜ生涯の史料も記録もないのか。謎とともに人麻呂は伝説になり、歌聖となり神となる。そして、人麻呂が詠んだ石見国の荒磯も砂浜も、山も川も、風景は人麻呂伝説とともに万葉時代の気配を色濃く残している。

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