Essay 出会いの旅

FROGMAN フロッグマン
「しまねSuper大使 吉田くん©蛙男商会/DLE」
Flashアニメを得意とする映像ブランド「蛙男商会」代表。脚本・監督・キャラクターデザイン・声優などをほぼ全て1人でこなす。現在、代表作である「秘密結社 鷹の爪」のキャラクターが、JR西日本の「さわやかマナーキャンペーン」に登用され、JR西日本管轄内の駅や列車内を賑わせている。

根の国の神々

今でこそ、僕が生み出した『島根の吉田くん』は、島根県のSuper大使という役職を授かってはいるものの、僕は東京生まれの東京育ち。10年前に島根県の漁村を舞台にして撮影された映画『白い船』にスタッフとして参加するまでは、島根と鳥取の区別もつかなかった。そんな僕が、島根と切っても切れない関係になるにはいくつかの理由があるが、その中でも大きな一つが“神々”との出会いだ。
 “神々”と書くと、途端に宗教臭く、ちょっと怪しい雰囲気を醸し出すかもしれない。でも島根には確かに“神々”が存在するのだから仕方ない。そして、それは宗教のシンボルとして人為的に神格化された神ではなく、地動説を揺るぎない事実として認識するように、『神?うん、存在するよ。』といった風の、身近で霊的な存在なのだ。これは言葉ではうまく説明出来ない。僕の奥さんは出雲人なのだが、彼女にその話をすると『そうかしら?』と首をかしげる。
僕がその“神々”に出会ったのは、前出の『白い船』という映画の撮影の時だった。映画は漁村が舞台だけに多くの実際の漁師にも出演してもらった訳だが、その漁師と付き合う中で、奇妙な事に気付いた。神棚がでかいのだ。仏壇と神棚が共存する家は、他の地域でも珍しくない。日本は古くから神仏習合を違和感なく受け入れてきたからだ。しかし仏壇よりも神棚が大きいのはあまり見かけない。漁師にとって、海は生活のすべてで、その生殺与奪の権限を握っているのが神なのである。そこで漁師は神と折り合いをつけなくてはならない。だから何よりも神を畏敬する。また、神楽[かぐら]というものがある。神を楽しませると書く神楽は、もともと神事である。石見[いわみ]神楽が全国的にも有名だが、出雲も同様に神楽が存在し、ロケの舞台となった漁村の漁師もよく舞う。舞う事で神と一体になり、神の偉業を讃えるのだ。そして、その神が何なのかと問われれば、実は祖先である。天皇家の祖先がアマテラスであるように、島根の人々の祖先は、その土地や職業と深く結びついた神である事が多い。もちろん、これは島根に限ったことじゃないかもしれない。しかし島根は明らかに、その意識の度合いが違うのだ。
僕の作品『秘密結社鷹の爪』の劇場第2作で、島根の吉田くんが“島根は日本の根っこという意味だ”と語っている。実際、島根は昔から根の国、つまりあの世と非常に密接な関係にある土地柄なのだ。もともと出雲の地方神と言われてきたスサノオも、根の国の盟主と記紀に書かれていた。さらにイザナギとイザナミで有名な黄泉の国への通り道と言われる黄泉平良坂は東出雲町にある。実を言うと、島根には黄泉に通じると信じられている洞窟や土地は、他にもいくつかある。僕が知る限り3か所はある。それくらい島根では根の国と生きている人間の生活圏が重なっている。言いかえれば、それだけ祖先が自分たちと時空を超えてつながっている事を、体験的に知っていた証なのだ。僕が出会った“神々”は、そう言った空気のごとく日常化してしまった祖先が、島根の人たちの精神の礎とまで言わないまでも、災害や紛争から日常の営みを守る庇護者なのだ。それは海外の神のような絶対的存在ではない。君主や豪族と地続きの存在と思えばいい。今でいえば自治体や政治家のようなものか。島根のような過疎の県から、中央政界に有力な政治家が輩出されるのも、これと何か関係あるのかもしれない。
昨今、若い女性の間で島根がスピリチュアルな土地として脚光を浴び、パワースポット巡りと称して神社や巨石を詣でる事が流行っている。それ自体は否定しないが、本当は名もなき農村や漁村に祀られる社も訪ねてほしい。そして土地の古老に由緒や縁起を尋ねるのだ。きっと驚くほど不思議で興味深い物語を聞く事が出来るはずだ。僕はそんな場所をいくつも知っている。
 最後に、島根の人が放った面白い一言を。
 『京都なんて、ここに比べれば新興住宅街だ。』

ページトップに戻る
ローカルナビゲーションをとばしてフッターへ