河原町の通りを学校へと急ぐ中学生。「おはようございます」と、皆が挨拶を投げてくれる。礼儀の良さは城下町で育まれる気風だろうか。

特集 丹波篠山

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商屋の面影を残す河原町

 城下町の特徴は階級的な街区の構成にある。身分によって居住区が明確に区分された。城内には上級武士、濠端には中級武士、その外側に下級武士が住み、防衛を何層にも厚くしている。商工業者は街道筋に配置された。そうした城下町の街区の構成が景観として篠山にははっきり残っているのである。

 西新町から城跡を隔てた南東には、商家の町並保存地区の河原町がある。旧山陰道の京街道から篠山川に架かる京口橋を渡り、城下の河原町に入ると、古い商家が続く。妻入りの屋根に漆喰仕上げの土蔵、大戸に格子や虫籠窓の古格な町家。昔ながらの薬屋さんや八百屋さんなど、戸口の傍らに丹波焼の大瓶が置いてあると、いかにも篠山らしい。

 江戸時代からの商家も多い。「うちは350年以上です、お隣も」と通りを掃除する婦人が教えてくれた。「でも維持するのが大変」。それでも町全体が協力して景観を守ろうとしている。観光のためではない。歴史的な町の魅力を高め多くの人に知ってもらうことで、若い人が移り住んでくれればと考えている。

河原町の商家の海鼠壁

通りを歩き、家々の意匠を見ていると実にさまざまだ。昔の匠の技とセンスに感心する。

 篠山の町の佇まいに惹かれ、古民家で雑貨屋を営む女性主人は神戸から毎日車で通っている。そういう例はいくつもあり、伝統の町の空気が少しずつ変わり始めている。

200年前の町家を利用した雑貨店

アートの店や飲食店などが少しずつ増え、河原町は昔の面影を残しながらも、活気が生まれ始めている。

古丹波の名品が常設展示されている丹波古陶館。

 「盆地やからのんびりした風土です。人柄は実直。昔から京で乱があると公家さんが避難してきはった土地柄です。そうやって外からいろんな文化を取り入れてきました。町づくりも歴史景観をただ守るだけやなしに、外部の風も入れなあかんのでは。酒造りでもそうです」。

木製の灯籠が置かれた商家の玄関先

店先の千本格子や犬矢来は、河原町の往時を今に伝えている。

 鳳鳴[ほうめい]酒造の相談役であり、1797(寛政9)年創業の同篠山蔵の7代目・西尾昭さんはそう話す。丹波杜氏[たんばとうじ]は灘や伏見の酒どころで仕込み、帰りに旨い酒を土産として持ち帰るから、丹波の人は酒には厳しい。「そやから、地元ではそれに負けへん酒造りをせなあきません」。「郷土で愛され続ける酒」を造る、それが篠山の酒造家の心意気である。

 篠山名物のボタン鍋、これにはやはり「篠山の酒が一番です」。丹波牛、丹波地鶏、丹波の黒豆、栗、山芋など郷土の味覚を語る時に篠山の人はとても自慢気である。そしてなにより「我が城下町」を誇りにしている。全国的に知られる篠山の盆踊り唄、デカンショ節のなかに「お国問われて肩いからせて おれは丹波の篠山だ」という一節がある。そこには篠山藩の時代からずっと受け継がれる精神的土壌が見え隠れする。質実剛健を自負する旧城下町の誇りのようにも受け取れるのである。

鳳鳴酒造の「ほろ酔い城下蔵」

国の登録有形文化財。現在は店舗と見学だけで、酒の仕込みは同社の味間蔵で行われている。

鳳鳴酒造の相談役・西尾さん。篠山伝統の酒造りを守りながらも、クラシック音楽を響かせて、タンクに微妙な振動を与えて醸造するなど、新しい酒造りにも挑戦している。

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