Blue Signal
November 2008 vol.121 
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特集[神々が座す白嶺への旅 白山 石川県白山市・福井県勝山市] 女神と菩薩の座 神仏混淆の白山信仰
霊峰へと導く3つの馬場と禅定道
白山登拝の起点 加賀と越前の神域
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白山比v神社の拝殿。崇神天皇の時代から白山を御神体とする「しらやまさん」で知られる加賀国一宮。
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 加賀禅定道の起点である加賀馬場の白山比v神社は、白山連山から流れ出る手取川がつくった巨大な扇状地の頂点にある。社伝によれば白山比v神社の創祀は崇神天皇の時代とされ、神代から白山を神体山として祀ってきた。白山比v大神、『古事記』に登場する菊理媛[くくりひめ]神、伊弉冉尊神、伊弉諾神の三神を祭神としている。

 古代から白山の「まつりのにわ(祭事の場)」として、「しらやまさん」と敬われ、親しまれた。『白山記』では、泰澄が創祀の地である舟岡山の岩窟で修行し、古宮跡の手取川の安久濤[あくど]ケ淵で貴女に出会い、導かれて白山に登拝したと伝える。開山以来、神仏混淆の白山信仰が広がり禅定道の馬場、信仰の拠点として、広大な敷地に「堂塔伽藍四十、白山衆徒三千人」と称される勢力だったという。加賀国一宮として、比叡山延暦寺の別院として白山七社の中心であった。

 しかし、1480(文明12)年の大火によって伽藍は焼失した。江戸時代になって復興を助けたのは加賀藩主、前田利家。利家は白山信仰に篤く、白山比v神社の中興の祖といわれ、以後も前田家の庇護を受けた。明治の神仏分離令で廃仏。現在、白山の山頂は白山比v神社の神域で、そこに祀られる社は白山比v神社の奥宮、対して本社を「下白山」と呼ぶ。全国の約3000社の白山神社の総本宮で、神社には白山信仰の歴史を伝える宝物や史料を数多く所蔵する。

 越前馬場の平泉寺は、福井県勝山市の見事な菩提林のなかに静かに佇んでいる。平泉寺を包む森は、白山山系から続く末端の尾根で、菩提林を中心に南と北に細い谷が延びている。中世、比叡山延暦寺についた平泉寺は、白山信仰を背景にして強力な宗教勢力となった。同時に絶大な政治勢力を誇り、この小さな谷筋に驚くほどの巨大な宗教都市が築かれたのである。

 境内には48社36堂、そして6000坊が建ち並び、僧兵は8000人を数えたという。石高にして寺領は9万石。ゆえに平泉寺を「法師大名」と呼んだりもした。ところが平泉寺に抵抗する越前門徒衆は一揆を起こし、境内に火を放った。伽藍はことごとく焼け落ち、門徒衆が拠点とした地の勝利を喜んで「勝山」と名付けた。

 その後、平泉寺は再興されたが規模は比ぶべくもなかった。神仏分離によって平泉寺は廃寺となり、現在は平泉寺白山神社と名を変えている。広い境内には一面に濃い緑色の苔が覆い、見事な景観をつくっている。その一角に、平泉寺の開祖と伝えられる泰澄が白山開山のお告げを受けた平泉寺の号の由来となった平泉(御手洗池)がある。境内の奥へと石畳の坂を上り詰めると三宮があり、そこから急な山道が山のさらに奥へと続く。白山へと続く禅定道だ。

 現在、土に埋もれた旧境内の調査が進められており、これまでに発掘された遺構は、想像を遥かに超える規模と土木技術だという。それでも発掘はまだ全体の1%。全容が解明されれば第一級の史跡となるだろう。

 白山を囲む三社はそれぞれ独自の縁起と歴史をもち、それぞれに信仰を深め、広めてきた。その違いはあるにせよ、白山を敬慕する心に変わりなく、それは日本人の信仰心と暮らしの原風景かもしれない。禅定道から仰ぎ見る白山は、見る者の心を穏やかにさせる美しさであった。
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白山山頂近くの室堂平に設けられた白山比v神社の奥宮祈祷殿・参籠殿。御前峰への登拝の拠点として宿泊施設もある。
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白山比v神社境内の白山奥宮遥拝所。御前峰の奥宮に参拝できない人のために、ここでは毎月神職が白山奥宮の遥拝を行っている。
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白山の伏流水で身を清める禊場。白山信仰と水の恵みの象徴としての禊を通して霊峰の文化や歴史を深めるために設けられている。
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苔むした境内のあちらこちらに伽藍の基礎石や、廃仏毀釈で壊された石像などが残り、平泉寺の歴史を物語る。
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平泉寺の境内にある御手洗池。池の中央に影向石(ようごういし)があり、白山神が影向(出現)したと伝えられる。近くには涸れることのない霊泉、寺号になった平泉が湧出している。
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平泉寺の北谷を望む。今では田畑となっているが、この下には2400もの坊が埋もれている。右の森は平泉寺白山神社の菩提林。
白山登拝の起点 加賀と越前の神域
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福井県勝山市にある平泉寺の境内は、一面の苔で覆われ、凛とした静けさが漂う。
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一の鳥居をくぐって本殿へと向かう参道には、樹齢1000年という老杉と、清流が湧き出る琵琶滝があり、晩秋は紅葉が美しい。
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中世の平泉寺を描いた「中宮白山平泉寺境内図」。間口四十五間八分の大拝殿を中心に大伽藍が建ち並んでいる。左右(南北)の谷には「六千坊」といわれた僧の住居が描かれている。(平泉寺白山神社蔵)
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一向一揆によって平泉寺の広大な宗教都市は焼失し、ほとんどが山林や田畑や人家に埋もれてしまった。その失われた平泉寺の遺構の発掘調査が1989(平成元)年から進められている。境内の規模は東西1.2km、南北1.0km。南谷3600坊の発掘では、高度な技術で組まれた石垣の街区跡や、石畳の街路などが発掘されている。
 
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