Blue Signal
November 2008 vol.121 
特集
駅の風景
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
探訪 鉄道遺産
Essay 出会いの旅
金子 國義
画家。日大芸術学部在学中に舞台美術家の長坂元弘氏に師事。1964年より独学で油絵を描き始め、1967年個展「花咲く乙女たち」で画壇にデビュー。絵画のみならず、着物デザイン、写真など多岐にわたる作品を発表し続けている。十八代目中村勘三郎襲名披露興行の折には口上の美術を手がけた。近刊に『金子國義の世界』(平凡社コロナブックス)。
粋でスマートな京の人
 大阪の画廊で初めて個展をした。画廊が退けた後、毎日のように京都へ直行。80年代後半だったと記憶している。花見小路にある「カリーナ」という文芸バーによく行った。そのバーの隣に「しゃれーど」という店があって、そこのマスターから呉服商「小田章」の小田憲さんを紹介された。品が良くて遊び上手な人で、すぐに意気投合した。着物と言えば僕の師匠は小村雪岱[こむらせったい]という鏡花ものの舞台装置から映画まで手がけた人の弟子で同じく舞台装置を手がけていた長坂元弘という人。その師匠の下で18歳から5年間みっちりと仕込まれたので大体のところは勉強したつもり。

 「今度僕にも着物のデザインをさせて下さいよ」と小田憲さんに何度かお願いしたのだが、「今売れっ子のデザイナーがいるからちょっと待て。でも京都へ来たら必ず電話をしろよ。」

とのことで、気持ちが通じたのか行く度に御茶屋から当時まだビルの6階にあった「波木井[はぎい]」にもお供をした。そこで又、芸妓や舞妓の着物の美しさを勉強させて頂いた。憲さんが引退して若社長の代になった頃、前のデザイナーがやめたので、はれて小田章株式会社の顧問デザイナーになった。

 若社長の毅君も京都に行く度に僕の花柳界好きを知ってか、仕事が終わる頃になると「今日はどこに行こうか」と僕の気持ちを読んでくれて 園きっての「廣島家」をはじめ「波木井」、ちょっと離れた島原の「輪違屋[わちがいや]」花見小路の「えん」などあちらこちら飲み歩いた。

 次の日は朝ごはんか昼食で大体「河道屋」で蕎麦を食べて会社に行って仕事をする。贅沢をしないと「良い浴衣や着物図案が出てこない」とだだをこねる僕だ。こんな自分を当たり前とは思わない。ちょいと変ですよね。

 京都で個展を開くと何があっても駆けつけてお見えになって、その度に僕のつたない絵を買ってくれた小田憲さん。

僕はいつも「社長!買って!」「美味しいものが食べたい!」と今思えば懐かしいことが一遍に蘇ってくる。今では故人となってしまったが、 あんなに僕に優しくしてくれて、僕の人生の中で「いいたいこと」を言い合った先輩なのに好きなわがままをたんと言っても嫌わない。自分ばかり大切に小さく生きていく嫌なやつが多いこの世の中で、憲さんはそんなあまったれとはちょいと違う人だった。憲さんはいつも僕に言ってくれた。「才能のある人には僕は優しいんだよね」と……。

 京都が好き、人のいない名所が好き、閉館間近の博物館が好き。古典を踏まえて図案化した蝙蝠の浴衣が出来たとき、アリスをテーマにデザインをしたとき、大喜びしてくれた憲さんの顔が今も浮かんでくる。

 いいものを良しとして、一流にしか目が行かなかった小田憲さん。こんな粋でスマートな昭和の人は他には見当たらない。
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