Blue Signal
May 2006 vol.106 
特集
駅の風景
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
花に会う緑を巡る
安来駅 駅の風景【安来[やすぎ]駅】
砂鉄とハガネと安来節の里
中海に面したのどかな港町、安来。
安来節は町の繁栄を唄う。
富をもたらした砂鉄とハガネは
現在も安来を代表する産業であり、
日本独自のたたら製鉄の技術は
脈々と引き継がれている。
安来節を全国に広めたお糸さん
安来駅を降りると目の前が海だ。波静かな中海に抱かれた安来港は天然の良港でいまは漁船の姿を見るだけだが、江戸期には北前船交易で大そう賑わった。「安来千軒名の出たところ…」と、安来節は往時の町の活況を唄っている。

安来節の起源もちょうど同じ江戸中期の頃だといわれる。物資の集散地であった安来には、いろんな地方の船乗りたちが出入りし、「おけさ節」や「追分節」など郷里の民謡をもたらした。これらをベースに独自のアレンジが加えられて安来節の原形が誕生したのだという。

安来節の名を高めた最大の功労者は、渡部お糸と三味線の名手富田徳之助。大正から昭和の初めに2人は一座を組み、全国を巡業するとたちまち人気を博した。現在はお糸さんの4代目が正調安来節の保存に努めている。

安来節といえば、どじょうすくいがつきものだが、唄と踊りが対になったのは「明治の頃」(安来節保存会)というだけではっきりは分からない。ただ酒盛りの席で誰ともなく、どじょうをすくう軽妙な仕草を安来節に合わせて即興的に踊ったのが広まったようで、見る者をつい和ませるじつにユーモラスな踊りである。
イメージ
安来港から十神山[とかみやま]を望む。「安来千軒名の出たところ、社日桜に十神山」と安来節にも唄われるように、その昔この港から鉄が出荷され、安来の町に富をもたらした。
イメージ たたら製鉄によって繁栄してきた安来の町。時代とともに製鉄技術は進化し、製法も変わったが、現在でも安来が「ハガネの町」であることに変わりはない。
イメージ 安来節といえば「あら、えっさっさ〜」のかけ声に合わせて踊るどじょうすくい。体の動きだけでなく、ユーモラスな表情でも笑いを誘う。
イメージ 今年1月にオープンした安来節演芸館では、どじょうすくいをはじめとする安来節の公演や演劇が楽しめる。
地図
繁栄をもたらした砂鉄とたたら製鉄
出雲は神々の国…安来の地名もまた神話に因む。『出雲国風土記』では、須佐之男命[すさのおのみこと]がこの地方を訪れた折に「吾が御心は安平[やす]けくなりぬ」と言ったと記されており、それが安来の名の起こりだと伝えられている。

安来市の周辺には、全国でも最大規模の古代出雲王の陵墓があり、古代から豊かな土地だったことが想像できる。前に中海を臨み、伯太川と飯梨川の二つの河川が安来平野を肥沃に潤し、上流の中国山地は多くの恵みを安来にもたらした。良質の砂鉄とたたら製鉄である。

「千軒」と形容された江戸期の町の栄えも、砂鉄とたたら製鉄による。良質の出雲砂鉄のなかでも、安来の上流域で産出するそれは最上の品質とされ、その砂鉄をたたらと呼ばれる溶鉱炉で溶かし、鋼の材料となる鋼塊をつくり、あるいは農機具に加工され、山中から川を下って安来の港に運ばれ、そこから船で全国に出荷された。

砂鉄による製鉄は、明治に入ると近代製鉄にとって替わられ、衰退を余儀なくされたが、安来では現在もたたら製鉄の技術を引き継ぎ、世界でも信頼ある刃物鋼や切削用工具、電磁気材料を製造している。最高級刃物鋼としては国内シェアの大半を占め、海外の有名メーカーのカミソリ刃も安来の鋼でつくられているという。
たたら製鉄は砂鉄から優れたハガネをつくる日本独自の技術、「和鋼」。和鋼博物館では古代たたら製鉄の技術や歴史が分かる。 イメージ
砂鉄を溶かしてできた鉄の塊「ケラ」は、川船に積まれて飯梨川や伯太川の上流から安来港へと運ばれた。 イメージ
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世界的ブランドのハガネの町
安来は「ハガネ」の町であり、「ヤスキハガネ」は世界的なブランドである。「ヤスギ」でなく、あえて「ヤスキ」と表記しているのは鉄に含まれる不純物、濁りを嫌ってのことのようだ。

安来駅の近辺には、ヤスキブランドを担う金属メーカーの工場群があり、敷地内に設けられた「和鋼博物館」は、たたらという日本独自の鋼という鉄をつくりだした古代製鉄の歴史や、製鉄道具、製鉄工程のほか、たたらに従事した人々の暮らしや文化を、今に知り得る唯一に近い貴重な博物館である。

そして、たたら師たちが崇めた神聖な場所があると教えられ、安来の市街を離れ、飯梨川の上流へと中国山地を分け入った。戦国時代にこの地を治めた尼子氏歴代が本城とした難攻不落の山城、月山富田[がっさんとだ]城があった勝目山を過ぎ、山深い森の中の一隅にその聖域はあった。金屋子[かなやご]神社といい、全国に1200余を数える金屋子神社の総本山である。

金屋子神に参拝すれば、質の良い鉄が産みだされると、現在でも製鉄や冶金に関わる多くの人々の信仰を集める。また金儲け神社の異名もあることから、春と秋の大祭には県内外から多くの参拝者が訪れる。この金屋子神が、今日もなお安来をハガネの町たらしめているのかもしれない。
お椀を伏せたような形の勝目山の山頂に築城された尼子氏歴代の「月山富田城」。戦国時代屈指の要害といわれ難攻不落を誇った。 イメージ
安来市の山中にある金屋子神社。金屋子神は鉄の製法を人々に教えた神様。鉄に関わる人々の信仰を集め、現在でも製鉄や鍛冶の場には必ず金屋子神が祀られる。 イメージ
たたら師の子孫で10代目当主「鍛冶工房 弘光」の小藤洋也さん。安来でも現在では唯一となった鍛冶の匠で、打ち刃物のほかインテリア製品をつくる作家として知られる。「息子も、嫁いだ娘も鍛冶の技術を受け継いでいます」。伝統の匠の技は若い世代へと引き継がれている。 イメージ
安来市出身の実業家、足立全康氏のコレクションを基に創設された足立美術館。横山大観をはじめとする名画や枯山水式の庭園を求めて連日多くの観光客が訪れる。(写真提供:足立美術館) イメージ
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