Blue Signal
May 2006 vol.106 
特集
駅の風景
出会いの旅
うたびとの歳時記
鉄道に生きる
花に会う緑を巡る
Essay 出会いの旅
谷村新司
シンガー・ソングライター。71年に“アリス”を結成。その後、「冬の稲妻」「チャンピオン」などを発表。74年にはバンドと並行してソロアルバムを発表、ソロとしての活動をスタート。「昴-すばる-」「サライ」「三都物語」などヒット作を数々生み出す。アリスは81年に活動を停止したが、2001年に復活ライブを行う。また、「いい日旅立ち・西へ」を筆頭に最近では、松浦亜弥、夏川りみ、林明日香などへの楽曲提供も。
心の箱
大阪に生まれ関西で育ち、そして東京を目指して22歳で上京し、気が付くと人生の半分以上を東京で過ごしている私にとって「旅に出る」というイメージは「東京から西へ」向かうことかもしれない。何故?それは生まれた街、育った場所に向かうという心のベクトルに重なるからのようだ。

旅に出る時は東京駅でお弁当を買う。どんなに近代的になろうと、駅弁は心のエネルギーのようでついつい買ってしまう。新幹線の車内でゆったりと椅子に座り、右手にやがて見えてくる「富士山」で、その日の運勢を勝手に占う。頂上が見えていれば「大吉」である。雲で見えない時は、注意して過ごそう…なんてね。お弁当を食べ終えて少しウトウトしていると夢の中で「名古屋」というアナウンスが聞こえる。まだ大丈夫!もう少し眠っていよう。「京都」、「大阪」近辺では必ず窓の外に眼をやって風景をぼんやりと見ている。桜や柳の新芽の色が心やさしくさせてくれるから…。そして列車は「新神戸」へと…。
この辺りから「光」の色が少しずつ変化し始める。きっと「瀬戸内の海の照り返しだ」と私は思っている。不思議なことに岡山近辺からの新幹線は、スピードを落としていくように感じられるのは、きっと風景が広く遠く大きくなり始めるせいかもしれない。30年以上続けたコンサートツアーで巡った街の数々、出逢った沢山の人の顔、地元の美味しい食べ物、人情…、いろいろな事が逆回しのビデオのように頭の中に見え始める。旅をしていて好きな瞬間の一つである。もう一つの好きな瞬間は、初めての街を地図も持たずにふらりふらりと歩くこと。そう…気になった道を勝手に歩く、眼についた物に興味を持ってのぞいてみる。そして美味しい珈琲が飲めそうな喫茶店を捜しては、飛び込みで入って一服する。こんな流れの時間が、きっと今の私を作り出してくれていると感じることがある。

そして旅が続くと必ず家の事を思う。また家にいると旅の空の事を思ってしまう。自分の人生の中ではこの二つの場所が占める心の割合はとてつもなく大きい。「家」と「旅」、この両極端な振り子の間で自分は生きているようだ。思えばまだ小学生だった頃、近所の本屋さんでよく立ち読みをしていたのも「旅」「鉄道」etc 等の雑誌であった。子供なのに旅の本を読んでいた私は少し変な子供だったのかもしれない。本当は恐がりで甘えん坊だった私が「旅」を実行に移した時から何かが変わり始めたようだ。その旅とは、ひとりで行って帰ってきた中学一年生の時の京都への旅だった。家族揃ってではなくたった一人でお金を握りしめて不安と期待の中で過ごした一日は、私に不思議な力を与えてくれたようだ。
無事家に帰り着き、お風呂にゆったりと浸かり乍ら、旅を思い返す時、何とも言えない感動が心の底からジーンと湧き上がってきた。実際に見た風景よりも、思い返す風景は楽しく、出逢った人も思い返す中での方が少しやさしく感じられた。この「思い返す」という作業の中に私は何か大切なものを感じていたように思う。その「感じ」を文字にしてノートに書き始めた。そしてやがてそれは「旅の詩」へと変化し始めるのである。

列車は左手に瀬戸内の海を遠く近く見せ乍ら進んでゆく。「尾道」を過ぎる時、頭の中にたくさんの坂道が蘇ってきた。飛び込みで入ったラーメン屋のオヤジの顔、道端で陽なたぼっこしているのんびり顔の犬、「千光寺」から見える瀬戸内の美しい「しまなみ」…。そう…旅は一つ一つの出来事が「心の箱」に入っている思い出達を「改めて思い返す」ことなのかもしれない。「思い出っぱなし」ではなく「思い返す」ことで、その一つ一つがより美しく心に焼きついてくる。そしてそれをまた一つ一つ丁寧に「心の箱」に仕舞うことが私の旅のようだ。旅を続ければ続ける程、箱が大きくなるのかって?いや、きっと箱は大きくなるのではなく深くなっていくような気がする。

「広島」というアナウンスを聞き乍ら、私は又眠りに落ちる。美しく深い心の箱の中へ…。
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