Blue Signal
July 2005 vol.101 
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特集[桃太郎伝説を訪ねて、吉備路へ] 桃太郎の起源と昔話・桃太郎の誕生
古代史に実在した鬼神と桃太郎の戦い
鬼は大和朝廷を脅かす吉備国の大王か
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吉備津神社の「南随神門」には、吉備津彦命の家来である犬飼健命と留霊臣命が祀られている。
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吉備津彦命と温羅がいよいよ一戦を交える時がきた。「温羅退治伝説」はさらにこう続く。

「(温羅は)戦うこと雷のようにその勢いはすさまじく、豪勇の吉備津彦命もさすがに攻めあぐねた。命の射る矢は不思議なことにいつも温羅の放つ矢と空中で絡みあい、海へ落下。そこで命は神力を現し、強力な弓を持って一度に二本の矢を射た。一本は岩にあたり落下したが、一本は温羅の左目にみごとに命中し、血潮がこんこんと流水のようにほとばしった…」。

矢が刺さった温羅の目から流れ出た血は瞬く間に川となる。鬼ノ城山の麓を流れ、足守川に合流するその川の名は「血吸川[ちすいがわ]」。温羅はたまらず雉[きじ]と化し山中に隠れるが、吉備津彦命は鷹となり後を追う。すると温羅は鯉に姿を変え血吸川へ逃走、命は鵜に化身し温羅を捕らえる。そして、命はついに降参した温羅の首をはねる…。鬼をみごと成敗し、めでたしめでたしで“おしまい”となるはずの桃太郎話だが、「温羅退治伝説」にはまだ先がある。

はねられた温羅の首は、その後何年も恐ろしい唸り声を発し、その声は辺りに大きくこだました。吉備津彦命はその首を犬に食わせるよう犬飼健命に命じ、首は髑髏[どくろ]となったが、それでも唸り声は止まない。そこで吉備津彦命は、吉備津神社御釜殿の床下に髑髏と化した首を埋める。しかしその後も「13年間唸り止まず」と『吉備津宮縁起』には記されている。ところがある夜、夢枕に温羅の霊が現れ、吉備津彦命にこう告げた。「吾が妻、阿曾姫[あぞひめ]をして釜殿の釜を炊かしめよ。もし世の中に事あれば、釜の前に参り給え。幸いあれば裕[ゆた]かに鳴り、災いあれば荒らかに鳴ろう」。お告げどおりにすると、なんと唸り声は鎮まった。

以降、吉備津神社では「鳴釜神事[なるかましんじ]」が行われるようになる。鳴釜神事はじつに不思議だ。厳かな空気漂う御釜殿には大きな鉄釜が据えられた土の竃[かまど]があり、巫女が甑[こしき]に少量の玄米を入れ、片手で玄米を蒸すような仕草をする。そして、神官が祝詞をあげるとやがて、目の前の鉄釜が唸りはじめ、御釜殿は大音響に包まれる。その音の響きで吉凶を占う。つい最近まで、この神事を司る巫女は阿曾姫の里、鬼ノ城山麓にある阿曾郷出身の女性に限られていた。

かくして、温羅を征伐した吉備津彦命は長きにわたり吉備国を統治した。この吉備津彦命と犬飼健命、留霊臣命、猿田彦命が桃太郎と従者のモデルというわけだ。桃太郎こと吉備津彦命は、吉備中山の茶臼山御陵に今も眠っている。

桃太郎は吉備津彦命。鬼は人知の及び知れないもの、隠れたるもの、すなわち外敵。「温羅退治伝説」を古代史と摺りあわせると、勢力拡大をもくろむ大和朝廷にとって、吉備国の大王は脅威なる「鬼」だったに違いない。そこで、吉備津彦命が吉備国制圧に起ち、吉備国を平定した。吉備津彦命亡き後の律令制による吉備国分国は、強大すぎた勢力の分割とは考えられないか。しかし奇妙なことに、吉備津彦命を祭神とする吉備津神社は、敵[かたき]であるはずの温羅も大切に祀っている。温羅は決して悪行、乱暴を極めた暴君ではなく、国に高度な技術を伝え導き、繁栄をもたらした大王として、吉備の民から広く敬われる存在だったのではないだろうか。

『おかやまの桃太郎』を著した市川氏は話す。「桃太郎を古代史に関わる伝承や資料に基づいて検証してみると、調べるほどに吉備津彦命が桃太郎のモデルとされた根拠が出てきます。しかし、この話を通して私が多くの人に本当に伝えたいことは、吉備の深い歴史や文化です」と。

こうして吉備路を歩き、吉備の伝承や史跡、文化に触れながら桃太郎伝説を辿ると、桃太郎はやはりこの地に“実在した”という気になってくる。
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吉備津神社本殿。吉備国の総鎮守で創建は飛鳥時代とされるが定かでない。現在の神殿は1425(応永32)年に再建された。本殿には吉備津彦命が祀られている。屋根を2つ持つ「比翼入母屋造[ひよくいりもやづくり]」の様式は全国でも珍しい。
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吉備津神社の参道を突きあたったところにある「矢置岩」。吉備津彦命が温羅の放った矢をつかみ取り、この岩の上に置いたと伝わる。
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備中神楽の『吉備津』。
吉備津彦命と温羅の戦いを描いた舞。温羅が降参し、吉備津彦命に吉備3カ国の系図を渡す場面。
鬼は大和朝廷を脅かす吉備国の大王か
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吉備津神社に祀られる鬼面(鎌倉時代)。本殿の「丑寅(鬼門)」の方向に祀られ、祭神吉備津彦命を護っている。(吉備津神社蔵/写真:岡山県立博物館)
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吉備津神社の御釜殿[おかまでん]では、温羅[うら]のお告げに従って、今でも「鳴釜[なるかま]神事」が執り行われる。
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【鳴釜神事】
温羅のお告げどおり御釜殿で現在も厳かに執り行われる「鳴釜神事」。伝説では御釜殿の下には温羅の首が埋められているという。神官と巫女で神事は進められ、竃の上の鉄釜が大きな唸り音を発し、地中の温羅が吠えているかのように建物全体が反響音に包まれる。
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