沿線点描 絶景美を求めて 紀勢本線 紀伊田辺駅 〜 串本駅(和歌山県)

絶景

枯木灘を間近に臨みながら走る「WEST EXPRESS 銀河」。(見老津駅)

口熊野から黒潮洗う枯木灘を眺め、本州の最南端まで紀州路を往く

紀勢本線は、和歌山市駅と三重県亀山駅を結ぶ384.2kmの長大路線。今回の紀勢本線の旅は、紀伊田辺駅から串本駅までの63.6km。太平洋の荒波が打ち寄せる南紀熊野の景勝地を巡り、本州最南端の駅、串本をめざす。

絶景

潮岬の公園「望楼の芝」には、本州最南端を示す石碑が立つ。眼前には紺碧の太平洋がどこまでも広がる。

口熊野を歩き、絶景が続く南紀の景勝地へ向かう

 旅の起点は、紀伊田辺駅。田辺は熊野古道中辺路[なかへち]と大辺路[おおへち]の分岐点で、「口熊野」と呼ばれる交通の要衝だった。平安時代中期より熊野詣が盛んになり、熊野三山への宿場町として栄えた。駅より西に位置する北新町には分岐点を示す「道分[みちわ]け石」が今に残り、往時を偲ばせる。そこから南東にほどなく行くと、弁慶ゆかりの「鬪[とうけい]神社」が鎮座する。世界文化遺産に登録されているこの神社は、創建1600年以上。弁慶の父と伝わる熊野別当 湛増[たんぞう]は、源平合戦でどちらに加勢するかを紅白の鶏に闘わせて社前で占った。その結果、源氏側につき、壇ノ浦の戦いにおいて平氏に勝ったことから、勝運導きの神社としても信仰されている。

 田辺市の沿岸部は自然豊かな景勝地でも知られる。特に、田辺湾に浮かぶ「天神崎」は、日本の「ナショナル トラスト運動」のさきがけの地で、田辺市のシンボルの一つだ。「ナショナル トラスト運動」とは、有志から募金や寄付を募り、自然や神社仏閣などを保全するという運動だ。田辺に住んだ博物学者、「知の巨人」で知られる南方熊楠は天神崎をはじめ、熊野の自然保全のために奔走したことでも知られる。平らな岩礁が足場となり、そこからの眺めは碧々とした田辺湾に、こんもりとした緑豊かな丘、抜けるような青空が一つの風景となって溶け込み、絵葉書のような景色が広がっている。先人が守ってきた生態系は現在も健在で、磯遊びに撮影にと、多くの人々で賑わう。

 また、2023年9月から2024年3月3日の間、瑠璃紺[るりこん]色の長距離列車「WEST EXPRESS 銀河」が、京都駅から新宮駅まで紀伊半島を往復する。車内には洗練されたフリースペースが設けられ、イベントを催して紀南の名所や特産物などを紹介。車内放送では、和歌山大学の学生が紀州の魅力について案内するという。

 紀伊田辺を後に、列車は進路を南に向けて、隣の紀伊新庄駅を過ぎる。朝来[あっそ]駅を過ぎ、富田[とんだ]川に沿って少し走れば、まもなく白浜駅だ。

近世の中辺路と大辺路の分岐点を示す道標「道分け石」。「左 くまの道」に従えば中辺路へ。直進すれば、そのまま大辺路へと続く。

熊野権現を祀る鬪神社。熊野三山の別宮的存在として信仰されている。中世の傑僧 武蔵坊弁慶は紀州田辺の地に誕生したと伝わる。

境内には、弁慶とその父 湛増の像があり、田辺市内には、弁慶誕生にまつわる遺跡や遺物が残されている。

日本のナショナル トラスト運動のさきがけ、
和歌山のウユニ塩湖の絶景美絶景

写真映えする天神崎の夕景。条件が揃えば広い海岸が鏡となり、空全体を映し出す美しい風景が広がる。(写真提供:田辺観光協会)

天神崎の沖合に浮かぶ「元島」と、海上に建てられた「元嶋神社」の鳥居。この周辺は磯釣りのスポットでも知られる。

 天神崎は和歌山県の田辺湾北側に突き出た岬だ。日和山を中心とする丘陵部と干潮時に姿を見せる平らな岩礁で形成される。森、磯、海が一体となって一つの生態系をつくり、さまざまな動植物をはじめ豊かな自然が残されている。

 また、条件が揃うと岩礁にたまった海水が反射し、幻想的な世界が出現する。南米ボリビアのウユニ塩湖のような景色だと評判で、近年は撮影スポットとしても人気だ。

湯治の温泉郷を経て、ありのままの自然が残るジオサイトを巡る

絶景

日置川の橋梁を渡る列車。夏季には、日置川の中流でキャンプや鮎釣りをする人々で賑わう。(紀伊日置駅〜周参見駅)

 全国でも屈指の観光地で知られる白浜町は、温泉地としても知られ、年間300万人を超える観光客が訪れる。南紀白浜温泉は「日本三古湯」の一つに数えられる名湯で、町内には公衆温泉が点在する。中でも太平洋を間近に望みながら湯船に浸かる公衆露天風呂「崎[さき]の湯」は、まるで“海の温泉”だ。岩をたたく波の音に耳をかたむけ、湯船に浸かるのがいい。周辺には、国指定の名勝「千畳敷[せんじょうじき]」や「三段壁[さんだんべき]」などの侵食された奇岩巨岩、荒々しい迫力の大岩壁が自然の力強さを見せつけ、長い年月でつくり出された壮大な自然の造形美は見る人たちを圧倒する。

自然がつくり出した南紀白浜の景勝地絶景

荒々しい海岸にそそり立つ「三段壁」。漁師たちが魚群を見張った場所を「見壇(みだん)」と呼び、それが転じて「三段壁」と呼ばれるようになった。

「千畳敷」は、約1800 〜 1500万年前に浅い海の底に砂や小石が溜まってできた地層が隆起し、波の侵食を受けてできた地形。

白浜温泉の「崎の湯」。石鹸やシャンプーなどは、海に流れ出ないよう利用できない。白浜温泉は道後温泉、有馬温泉と並び、日本最古の三湯の一つに数えられる。(写真提供:南紀白浜観光協会)

 南紀白浜の沿岸部には、景勝地が点在している。「三段壁」は高さ約50mの断崖で、大岩壁が約2kmにわたって続く。「千畳敷」もまた長い年月より打ち寄せる荒波に侵食され、形成された白い岩盤で、太平洋に突き出してスロープ状に広がっている。

 湯壺が万葉の時代にまで遡る露天風呂「崎の湯」は、波しぶきが浴場に届くほど海が間近に迫ったロケーションだ。

絶景

椿温泉郷からの眺望。椿温泉の始まりは、傷ついた一羽の白鷺が湯の出ているところで痛めた脚を浸し、やがて飛び立ったという伝承に由来する。

「湯治の真意を、一人でも多くの方々に知ってもらいたい」と語る女将 の熊野さん。湯治は一般的に、1週間から3週間の間に一日3回の入浴が理想という。

絶景

紀伊有田駅からほど近い熊野古道大辺路の展望所より枯木灘を望む。海岸は「荒(すさ)ぶ海」で知られ、地元では寄る港のない海岸を「枯木」という。

絶景

断崖に立つ本州最南端の潮岬灯台。1873(明治6)年の初点灯以来、150年もの間、海上交通の要所として沖行く船に照らし続けている。

 白浜駅から列車は再び南下する。隣の紀伊富田駅を過ぎ、富田川を渡ると椿[つばき]駅だ。白浜の温泉街より南に位置する椿もまた温泉郷。江戸時代には名湯として知られ、紀州藩の武士や、近隣の農家の人々の疲れを癒やしてきた湯治[とうじ]の温泉だ。源泉掛け流しで、塩分の少ない湯に浸かると、肌がしっとりとつるつるになる。「湯に浸かるだけが“湯治”ではありません」と話すのは、湯治のできる宿 しらさぎの女将の熊野幸代[くまのさちよ]さん。この地域の新鮮な食材を食べ、豊かな自然の中に身を置きながら、コミュニケーションを図る。これも、重要な“湯治”なのだという。

 山あいの椿駅から列車は、進路を東に日置川を渡る。周参見[すさみ]駅を過ぎると、やがて車窓から海が見え始める。プラットホームからでも、黒潮が洗う波しぶきの音が聞こえる見老津[みろづ]駅から次の江住駅にかけては、この路線の絶景ポイントだ。宝石を散らしたかのように陽光輝く枯木灘に、無数の岩礁がアクセントになっている。

 江住駅から30分ほどで串本駅に到着。本州最南端の串本町潮岬には、南紀熊野の大地の成り立ちを研究している「南紀熊野ジオパークセンター」がある。「ジオパーク」とは、大地の成り立ちのほか歴史や文化、動植物、食などを通じ、大地と人の暮らしの関わりを実感するところだ。その見どころを「ジオサイト」と呼び、南紀熊野エリアの10市町村に107カ所が指定されている。奇岩巨岩、岩礁地帯など、その成り立ちを知ることができる。

 紀伊半島の海岸線を巡る路線は、ありのままの自然の雄大さに心奪われる旅であった。

地域発展に力を注ぐ、南紀熊野ジオパーク

絶景

和歌山県最大の島、紀伊大島の東側に広がる「海金剛」。打ち寄せる荒波がつくり出した岩礁地帯は、ジオサイトの一つに指定されている。

南紀熊野ジオパークセンターの館内には、紀伊半島の大地のでき方を再現する体験装置や、南紀熊野の自然の不思議などを展示紹介している。

「センターで大地の成り立ちを学び、ジオサイトに行くともっと興味が湧きますよ」と話す本郷さん。

 「南紀熊野ジオパーク」は、3種類の大地がつくり出した独特の景観と温暖湿潤な気候がもたらす動植物、そこから生まれた熊野信仰などの自然や文化を体感するところだ。「潮岬」や「海金剛」は、約1500万年前のマグマの活動によって生まれたという。「食文化や史実なども根底には地質、地形が深く関わっています」と話すのは、南紀熊野ジオパークセンター研究員の本郷宙軌(ちゅうき)さん。センターでは、大地の成り立ちや南紀熊野の歴史文化を地域発展に活かすために力を注いでいる。

紀伊大島にある樫野釣公園レストランの、伊勢えび一尾を使用した「伊勢えび天丼」。串本町は、県内有数の伊勢えびの水揚げ量を誇る。

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