Blue Signal
November 2007 vol.115 
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うたびとの歳時記 photo
真っ白な根を、大地に深くおろす大根。
今や四季を通じて栽培されるほど、
広く親しまれている野菜であるが、
その持ち味が生きるのは、
寒さが増す頃の食卓といえる。
虚子直門の弟子として、俳誌「ホトトギス」を
中心に活躍した
五十嵐播水[いがらしばんすい]の句とともに
日本の風土に根ざした
大根の歴史をたどってみた。
花鳥諷詠を継ぐ、静謐な句風
五十嵐播水は、1899(明治32)年兵庫県姫路市に生まれた。本名は久雄[ひさお]。野里尋常小学校、姫路中学校を経て、京都帝国大学(現京都大学)医学部へと進んだ。俳句との出会いは、1920(大正9)年、京大三高俳句会に出席し、高浜虚子の講演に感銘したのがきっかけという。以降、虚子に師事し、同年末には日野草城[ひのそうじょう]、鈴鹿野風呂[すずかのぶろ]らが創刊した『京鹿子[きょうかのこ]』同人となる。さらに1932(昭和7)年『ホトトギス』同人となり、山口誓子らとともに新進気鋭の俳人として活躍。また、1934(昭和9)年、選者として携わっていた和歌山で発刊されていた俳誌『九年母[くねんぼ]』の本拠を神戸に移しその主宰となった。

俳人として活動する一方で、播水は内科医を本業とし、神戸市立中央市民病院院長を務め上げた後、1993(平成5)年まで五十嵐内科を開業していた。2000(平成12)年4月、101歳で長逝するが、その半年前まで句作に励み、散歩の途中や庭先で花木を眺め、四季の移ろいに心を寄せていたという。晩年まで貫かれた姿勢に表れているように、播水は虚子の説いた花鳥諷詠を忠実に実践し、温雅静謐な秀句を数多く残した。

冒頭の句は、京都在住の1928(昭和3)年に詠まれたもので、『播水句集』(1931(昭和6)年刊)に収められている。写生という態度をふまえた、播水らしい風韻に富む一句といえる。
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句集『老鶯』(1971(昭和46)年刊)に収められた播水肖像。写真のように、自宅縁側から庭を眺め、身近な自然を観察していたという。最も好んだ石蕗の花は、ほとんどの句碑の傍らに植えられている。(写真:句集『老鶯』より/新樹社)
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大根焚寺の石標のある了徳寺。報恩講の両日は、参拝者の列が途切れることはなく、あたりは人々の熱気に包まれる。
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境内いっぱいに並べられたみずみずしい青首大根。2日間で焚かれる大根は、約3,000本にもなるという。
かん番[かんばん]のしぐれてゐるや大根焚[だいこだき] 播水
わが国固有の食習慣にいきる
大根は、越冬野菜の代表として主に漬け物などにして保存され、日本の食生活を支えてきた歴史を持つ。意外なことに、原産地は地中海沿岸地方。紀元前2000年頃のエジプトの壁画に描かれているほど、栽培の起源も古い。日本へは西アジアを経由し、中国大陸から伝来したとされる。名前の由来は、大きな根のものという意の「おおね(おほね)」で、文字として記録に見え始めた『日本書紀』(720(養老4)年)の「仁徳記」では、「於朋泥[おほね]」の字があてられている。大根の特徴である真っ白な根が神聖視され、神前のお供として用いられたことから、鏡の前におく「鏡草[かがみぐさ]」とも呼ばれていた。また、春の七草には「清白[すずしろ]」の名で登場する。

環境への適応性に優れた大根は、日本各地の気候風土を反映した姿、味わいとなって、多くの品種が栽培されている。在来種は一般に、守口、練馬、聖護院など土地の名前が冠せられ、地域の暮らしと結びついてきた。また、その用途は薬用にも広がりを見せ、おろしたものを湿布剤やうがいに用いるなど、民間療法も多い。薬効の高さは、「大根時の医者いらず」という諺にも表れている。注目すべきはその消化作用で、生食に効果を発揮するという。餅に大根おろしをからませたり、天つゆに添える独特の食習慣は、大根の薬効をふまえた先人の知恵なのだ。
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京に冬の訪れを告げる
底冷えのする師走の京都には、あわただしい年の瀬にも係わらず、大根を求めて老若男女が集う伝統行事がある。京都市の西北、村里の風情を今に残す鳴滝了徳寺[りょうとくじ]。真宗大谷派のこの寺は、句に詠まれた「大根焚[だいこだき]」の寺として知られ、毎年12月9日、10日には、境内の大鍋で炊かれた大根が参拝者にふるまわれている。寺伝によると、1252(建長4)年、浄土真宗の祖親鸞がこの地を訪れた時、村人が塩味で煮た大根を差し上げた。心暖まるもてなしに大層感じ入った親鸞は、庭の薄[すすき]の穂を筆にして「帰命尽十方無碍光如来[きみょうじんじっぽうむげこうにょらい]」という十字の名号[みょうごう]を書き残したという。その親鸞を偲ぶ報恩講が、了徳寺の大根焚なのである。当日、本堂には「薄の名号」の額が掛かり、親鸞聖人の木像には昔ながらの塩味の大根焚が供えられる。2日間で焚かれる大根は約3,000本。かつて、この地には鳴滝大根と呼ばれる品種があり、大根焚には檀信徒の畑で栽培して寺に納めたものを用いていた。時代とともに姿を消してしまった鳴滝大根に変わり、現在は京都府亀岡市篠町の農家から良質の大根を取り寄せ、前日から鳴滝青年会をはじめ地域の人びとが仕込みにあたる。大鍋での焚き込みは、まさに夜を徹しての作業。親鸞聖人をもてなした往時の村人の心意気が、750年後の今日にも生き続け、初冬を彩る風物詩となっている。
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薪をくべたかまどでは、昼夜を問わず焚き込みがつづく。参拝者にふるまわれる大根はしょうゆ味で、別鍋で煮た油揚げが添えられる。
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