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輝く匠

安全・安心を支える技術(第44回)

吹田総合車両所 技術科 青野 悟 助役

1981年4月入社。鷹取工場で準職員としてキャリアをスタートさせ、吹田工場(現:吹田総合車両所)、宮原電車区、車両メーカーへの出向を経て2000年8月より再び吹田工場へ配属。2016年6月より現職。
 

2028年度末を目処に大規模なリニューアルを行う予定の吹田総合車両所。ここで約30年のキャリアを積む技術科 青野 悟助役が今回の主人公。「初めて仕事を任された時、『やってやる』と意気込んだことを覚えています。振り返るといろいろありましたが、仕事が好きだからこそ頑張れたのだと思います」。

年下の班長として

入社してしばらくは先輩の仕事の準備が主な仕事だった。当初は言われるがままに仕事に必要な工具の準備をしていたが、「慣れてくると先輩に言われる前に必要なものを準備したり、使用する順番に工具を並べるようになりました。そうしているうちに徐々に仕事を任せられたのがうれしかったですね」と当時を振り返った。

青野が「自信を失いかけた」と話す出来事がある。入社して7年目の1989年8月に天王寺駅で車両が車止めに衝突する事故が発生し、その対策として車両改造工事を急ピッチで行うことになった。当時の吹田工場でもプロジェクトチームが発足し、青野は班長の一人として工事にあたった。周りを見渡すと、車両検修とは勝手の異なる改造工事の経験のない社員や自分よりも年上の社員ばかりで、「メンバーをまとめて改造工事を完遂できるだろうか」と重圧に押しつぶされそうになった。弱音を吐いていても何も進まないと、ほかの若手班長同士、進め方を話し合うところから始めた。「工期が決まっている中でどのように進めるか、初めての方でも作業しやすい方法と役割分担を話し合いました。例えば車両の床下の配管工事では配管を曲げると時間も労力もかかるので、なるべく曲げずに済むように床下の機器類の配置を工夫するなど、皆で知恵を出し合い、設計図への反映を行いました」。

工法が決まると次はメンバーへの作業指示だ。年上の社員に物を言うことは憚(はばか)られる部分もあったが、「班長は自分だ」と自身を奮い立たせた。心がけたのは、班長である自らが率先して作業をすること。「例えば初めて見せる工法であれば自分が実演するのは当然ですが、皆さんについてきていただくため、無我夢中で作業しました」。青野の真摯な姿勢が一体感を生み、無事に工事を完遂することができた。「周囲の協力があったからこそできた工事です。メンバーは『このプロジェクトに選ばれた』という意識があって仕事に非常に意欲的で、それぞれの仕事をしっかりとしてくれました。上司のサポートはもちろん、メンバーに恵まれたからこそできたと思いますし、本当に感謝しています。そして、一生懸命に取り組んでいると周囲が助けてくれることも学びました」。

出向を経て現在へ

その後車両メーカーへの出向を経験。工場のラインで次々と流れてくる車両を加工していた時、皆が貪欲に作業効率を上げようとする姿勢に衝撃を受けた。もし作業が遅れると後の工程に支障が出てしまう。そうならないようにメーカーでは常に無駄がないか見直しつつ、役に立ちそうな道具があればどんどん採用していた。「ぜひJRでもできることから」と、復職後に新しい道具を導入し作業の効率化を図るなど、経験を活かし新たな風を吹き込んだ。

そして再び吹田工場に配属となり、現在は車両改造工事の計画、施工指示、性能試験に関わる業務の総括を担う。「改造工事を施工する場合は図面通りに施工することが基本ですが、実際は車両1両ごとに個性があります。例えば台車と車体を合わせると微妙に差が出るなど、現場でしか気づくことができないことが多くあります。このような場合、関係する部署と調整を行って修正していきます。若手には図面と実際の車両をよく見て最適な方法を検討するように指導しています」。

上司の姿、言葉で裏方の重要性に気づく

青野は、関係者が改造工事を円滑に行えるように事前に段取りを整える、縁の下の力持ちでいることが自分の仕事と話す。「若いころは目の前のことをこなしていればそれで良かったのですが、社員が仕事をしやすいようにサポートしている仲間の姿や、遅くに出張から戻ってきた時に上司が待っていてくれて、労いの言葉をかけていただいた経験から裏方の重要性に気づき、考え方が変わりました」。改造工事は多くの社員、グループ会社、社外の関係者が携わっていて、青野はそこでプロジェクトを完遂する潤滑油となり、安全・CSを向上させていく。その姿勢が、きっと次の縁の下の力持ちを生むだろう。

影響を受けた言葉「できない理由を並べるのではなく、できる方法を考える」

過去の上司から言われた言葉です。難しい問題に直面した時にこの言葉を思い出し、できる方法を考えて業務を行ったほうが楽しく業務に取り組めました。またその過程で真剣に考えていると、多くの人に助けられました。過去に車両の不具合が生じ対策の工事が必要になったことがありました。時間がない難しい工事でしたが、「こうすればできる」と前向きに考えることができ、前に進むことができました。困難を突破するための言葉です。

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