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総合職採用

施設(駅機械システム)

大阪工事事務所 大阪機械工事所 所長 佐野 純也 1993年 入社

Career Step

  1. 1993年広島支社 広島機械区 機械係
  2. 1995年大阪支社 工事課
  3. 1998年大阪建設工事事務所 大阪機械工事所 施設技術係
  4. 2001年本社 建設工事部(建築機械)
  5. 2003年大阪工事事務所 大阪機械工事所 係長
  6. 2004年大阪工事事務所 大阪駅改良工事所 係長
  7. 2006年大阪工事事務所 大阪機械工事所 富山派出所 助役
  8. 2008年大阪工事事務所 大阪機械工事所 副所長
  9. 2009年本社 建設工事部(建築機械) 課長代理
  10. 2012年京都駅ビル開発(株) 出向
  11. 2015年JR西日本SC開発(株) 出向
  12. 2017年大阪工事事務所 大阪機械工事所 所長

大阪駅改良工事。
初めての超大型プロジェクト

本社 建設工事部(建築機械)

私が所属する機械部門のほか、土木や軌道、建築といった部門は通常、別の場所に事務所を構えて仕事をしています。例外となるのが、「総合工事所」と呼ばれる、大規模プロジェクトのために専門に設置される工事所。ここでは、各分野が文字通り同じ事務所に集結します。私にとって初めての総合工事所での仕事となったのが、関西の玄関口である大阪駅の改良工事でした。
昇降機、空調、出改札などの駅設備の設置や改良など、この時までに機械分野の技術者としての経験は積んでいました。とはいえほとんどがグループ会社との協働で、大阪駅の工事のように、ゼネコン複数社がタッグを組むジョイントベンチャー(JV)と一緒に仕事をした経験はありませんでした。またこのプロジェクトでは、地域熱源設備の導入や新開発された遠隔監視カメラなどを備えたエスカレーターの導入など、前例のない難しい工事も盛り込まれていました。
この時、上司からアドバイスしてもらったのが、「とにかく現場に行きなさい。現場を見て、現場で考えなさい」ということ。言われた通りに現場に足繁く通うと、課題に対する解決策が浮かんでくるのです。それに、社内の他部門のメンバーやJVのメンバーとも顔を合わせる機会が増えます。現地で現物を見ながら意見を交わすことで、「一緒に課題を解決しよう。なんとしても皆で工事をやり遂げよう」という一体感が生まれてきました。目標を共有することで高いハードルでも乗り越えられる。そのためには諦めずに現場で一緒に汗をかき、一緒に知恵を絞る。いまも持ち続けている仕事への心構えを、この時に得ることができました。

成長を支えたもの

これまでに経験したすべての仕事や出会った人が成長の糧になっています。何か1つに絞ることは難しいのですが、思い出深いのは、北陸新幹線の開業に向けて富山駅など地方で線路の支障移転工事を担当したことです。北陸地方では、冬の厳しい気象条件下でも安全・安定輸送を行なうために融雪装置や散水装置が欠かせません。ところが大阪から転勤してきた私は、それらの装置についてはあまりノウハウがありません。にもかかわらず、工事を指揮しなければならないのです。保守を行う現地メンバーと私との間では当初、少なからず溝があったかもしれません。しかし、粘り強く話し合いを重ねることでお互いを理解し、信頼関係を築くことができました。信念をもって、自身の意見を通そう、とすることも重要ですが、この時、相手の思いを理解し、ともに解決策を考えていくことの大切さや面白さを学びました。私にとって、大きな転機となった出来事です。

目の前にあるミッションに
全力で立ち向かう。
その先に、かけがえのない
財産が待っている

京都駅ビル開発(株) 出向

日本が世界に誇る観光都市・京都。その玄関口である京都駅と直結する京都駅ビルは、建築から15年ほどが経ち設備の老朽化が課題になっていました。そこで持ち上がったのが、防災設備と熱源・空調設備を全面的に取り替えるという大規模プロジェクト。本社の創造本部も加わり、全社的な重要事項となったこのプロジェクトに、私は機械だけでなく設備全体を取り仕切る役割で参加しました。しかも、所属はビルの所有会社である京都駅ビル開発。たった一人で新たな組織に出向して大規模プロジェクトをけん引するという、未体験の仕事でした。
担当した業務は、設備計画を立案し、投資判断をするというもの。巨額の費用が投じられるプロジェクトだけに、覚悟と決断が迫られる仕事でした。防災などの安全面に関する法律は時代に応じて改正されており、また、京都には特有の条例もあります。機械の技術者にとっては専門外ともいえる分野ですが、だからといって諦めていては何も始まりません。「とにかくやるしかない」という気構えで、資料にあたっては勉強をし、専門家の話を聞いては知識を蓄えました。その過程では、コミッショニング(性能検証)を担当していただく先生方との出会いや、エコを追求する制御技術のプロ集団との協働など、得難い経験をすることができました。困難な仕事に対して、諦めず全力で立ち向かっていったからこそ得ることのできた財産だと感じています。

使う人がいてこその設備。
20数年のキャリアを経て、
技術職の原点を見つめる

JR西日本SC開発(株) 出向

大阪駅に隣接する商業施設ルクアイーレが、前身のJR三越伊勢丹から生まれ変わったばかりの2015年のことです。私は、管理・運営会社であるJR西日本SC開発に施設部担当部長として出向しました。ショッピングセンターでの仕事は初体験、機械に加えて建築や電気まで含めた責任者となることも初めての経験でした。
私の役割は、新たに誕生したルクアイーレという施設がこれからも変わることなく魅力を放ち続けるためには、どんな設備を備え、それをどのように維持し、そのための費用は誰がどのように負担するべきかという計画を立案すること。また、当時計画されていた地下階での大規模全面工事を、店舗の営業に支障を与えることなく完成させるという役割もありました。
ここで学んだことは、「設備とは使う人がいてこそのもの」ということです。技術の専門家として、より良い設備や技術には大いに興味をひかれます。しかし、それもこれも、商業施設内で営業している店やそこで働く人、あるいは買い物をしているお客様の役に立ってこそです。どんなに優れた設備でも、設置工事で店舗の営業に迷惑をかけてしまっては効果は薄れてしまいます。お店で働く人やお客様にとって使い勝手の悪いものであれば、最先端で高度な設備であっても意味はありません。商業施設に出向し、その一員となることで、技術職の本来の役割がはっきりと見えてきたように思います。使う人の声を全面的に取り入れ、それを実現するために部署の垣根を越えて専門知識や技術を持ち寄ることが、私たち技術職の役割であり面白さだということに気付きました。この気付きを後輩たちに伝えていくことが、工事所所長になったいまの私の大切な仕事だと考えています。

私の地域への取り組み

駅で工事を行うからといって、列車の運行を止めることはありません。商業施設も同様に、営業中にも工事は行われています。利用されるお客様への影響を最小限にとどめつつ、より良いサービスを提供するための取り組みを行う。それが私たち機械をはじめとした鉄道会社における工事の仕事です。極端に言えば、工事をしていることに気付かれないことや、気が付いたら設備やお店が新しくなっていたことが、良い工事をしていたという意味になるのです。そうやって、密やかながらも着実に工事を進めることが、私なりの地域貢献だと考えています。