エッセイ 出会いの旅

三浦しをん
1976年東京生まれ。小説家。2000年『格闘する者に○』でデビュー。06年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を、12年『舟を編む』で本屋大賞を、15年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞を受賞。ほかの小説に『風が強く吹いている』『神去なあなあ日常』『きみはポラリス』『光』『木暮荘物語』など、エッセイに『悶絶スパイラル』『本屋さんで待ちあわせ』『ビロウな話で恐縮です日記』などがある。近著は小説『ののはな通信』(KADOKAWA)。

記憶は「ひと」とともに

 飛行機が苦手なので、旅といえば国内ばかりだし、主な移動手段も当然ながら鉄道になる。たいがいは一人旅だ。

 どこもいい場所ばかりだったが、特に印象深いのは島根県だ。レンタカーを借り(鉄道での移動が主と言っておきながら、早くも車を借りている)、目的地も定めず県内をのんびりと東から西へ走った。

 たくさんの神社、充実した博物館の数々。温泉も入りまくったし、コンビニのお弁当もひときわおいしく感じられた。旅先のテンションによる錯覚? いやいや、水がいいのではないだろうか。なぜ旅に出てコンビニのお弁当を食べているのだ、と自分でも思うのだが、慣れない運転で猛烈に腹が減り、ついおやつがわりに……。おやつにお弁当を……。

 島根には学生時代にも行ったのだが、そのときに八重垣神社で「縁占い」をした。池に硬貨を載せた薄紙を浮かべ、すぐに沈んだら結婚も近い、というような占いだった。私が浮かべた薄紙&硬貨は、むろんまったく沈む気配がなく、池の奥のほうまでゆらゆら流れていき、縁石にいつまでも引っかかっていた。それを見て、一緒に行った友だち(彼女の薄紙&硬貨はすぐに沈み、その後、占いの結果のとおりとなった)と居合わせた宮司さんらしき男性に爆笑された。

 ぐぬぬ……、と思っていたので、のちにレンタカーで一人旅をした際、私はひそかにリベンジを試みた。今度もやはり、沈まなかった。だれもいないのを見はからって、指でちょっと紙をつついて沈ませた。神意にそむくような行いをしたせいか、むろんいまも結婚できていない。霊験あらたか……!

 ちなみに学生時代にチャレンジしたとき、宮司さんらしき男性は笑いすぎてひーひーしながらも、「まだお相手に出会っていないということですよ。紙が遠くまで流れていくということは、お相手は遠方にいるのかもしれません」とおっしゃってくださった。縁石に引っかかって沈まなかったのが気になるが、私のお相手は宇宙人とか来世で会うひととかなのかもしれない。希望は捨てずに生きていきたい。

 旅のなにが楽しいって、やはり「だれかと出会えること」だと思う。夕日に輝く宍道湖も、山々の濡れたように深い緑も、とてもうつくしかった。けれど、「友だちと行ったときも一人で行ったときも、島根への旅はとっても楽しかったなあ」と思い返すとき、脳裏に浮かぶのは出会った人々の姿だ。

 笑いながらも優しく慰めてくれた宮司さんや、ふらりと入った小料理屋の女将と常連客のおじいさんたちや、博物館で案内係をしていた女性。みなさん親切で愉快なひとたちだった。車を運転するうちに迷子になり(カーナビがあっても迷う)、農道で停車してどうしたものかと思っていたら、わざわざ畑仕事の手を止めて近づいてきて、道を教えてくれたおばあさんもいた。

 もし、人っ子一人いない土地へ行ったとして、そこがどんなにうつくしく雄大な景色だったとしても、私の場合、それほど記憶には残らないのではないかと思う。旅先の風景は、そこで出会ったひとたちがいてこそ、大切な記憶となって脳に収納される。お互いに名前も知らないし、もうお顔も忘れてしまったが、あたたかい手触りのようなものや相手の振る舞いは、いつまでも明確に残っている。

 島根が特に印象深いのには、「ひと」のほかにもうひとつ理由があって、往復の交通手段が寝台列車だからだ。車窓に顔を近づけ、流れていく夜の景色を眺める。そのうち、列車の揺れに眠りを誘われ、横になる。目が覚めるとすがすがしい朝の光のなか、列車は途中駅に停車中で、カーテンを閉め忘れてぐーぐー寝ていた姿を、ホームにいる人々に目撃されてしまっていたりする。

 眠る人々を乗せて夜を走る列車にはロマンがあるし、飛行機に乗れない身としてはとてもありがたく便利でもある。「サンライズ出雲」に乗って、また島根に行きたいなと思っている。

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