城山の山上に残る津和野城の太鼓丸から見る三十間台の石垣。1295(永仁3)年に能登国から入封した吉見氏が築城。1600(慶長5)年に坂崎出羽守が城主となり、その後に亀井氏が入城した。以後、1871(明治4)年の廃藩まで亀井家歴代が藩主をつとめた。

特集 津和野今昔 〜百景図を歩く〜〈島根県鹿足郡津和野町〉 百景図に描かれた城下町

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百景図で見る津和野の風景、昔と今

百景図第一図「三本松城」
三本松城は津和野城の別名。作者である栗本里治は、藩主・亀井茲監を顕彰するにあたり、津和野藩を象徴する三本松城から始める。『津和野百景図』の構成は茲監が見た風景でもある。

 津和野の殿町通りを歩けば、容姿秀麗な青野山を仰ぎ、鯉が泳ぐ川や掘割、武家屋敷、旧藩校の白壁の塀など、界隈は城下町の端正な慎ましさを感じさせる。そんな津和野の町を城山から眺めると、蛇行する津和野川に寄り添ってまるで絵本に描かれたように見える。誰にとっても故郷を思わせるような、懐かしい風景だ。

 津和野出身の画家、安野光雅画伯はそんな津和野の風景を慈しむような眼差しで描く。『津和野』は津和野の魅力を集大成したような画文集だが、幕末にすでに旧津和野藩領内をくまなく巡り歩き、名所や風俗、食文化などをさまざまにスケッチし、詳細に百景を描いた絵師がいた。画文集は『津和野百景図』。

『以曽志乃屋文庫/津和野百景図』
津和野町日本遺産センターに展示されている『津和野百景図』原本のレプリカ。津和野藩最後の藩主、亀井茲監の業績を集大成した『以曽志乃屋文庫』の一つとして制作された。絵図には全て格齋自筆の解説が付いている。

 作者の名は栗本里治[さとはる]、号を格齋[かくさい]という。津和野藩最後の藩主、亀井茲監[これみ]の御数寄屋番を勤めた津和野藩士であり、藩主のお側に仕えて茶室の管理や茶器を扱うのが仕事で、傍ら藩内を写生したりしていた。ここで幕末から話は明治に飛ぶ。茲監の業績を、亀井家14代当主の亀井茲常[これつね]は『以曽志乃屋文庫[いそしのやぶんこ]』としてまとめる。

 茲常は『以曽志乃屋文庫』の一つに『津和野百景図』の制作を格齋に依頼。格齋は、折に触れて書きためた藩内のスケッチや記憶を頼りに4年をかけて百枚の絵を完成させる。全5巻で全てに格齋の解説が付いている。対象は藩領全域に及ぶが、ほとんどが南北3km、東西1kmのこの城下に集中している。

 百景図が完成したのは大正時代。が、「描かれているのは西周[にしあまね]や森おう外が藩校養老館に通っていた幕末の津和野です。すでに京都に移り住んでいた格齋は、藩政時代の心象で描いていて誤差もあります。でも幕末の津和野が生き生きと描かれていて貴重な財産です」。そう話すのは津和野町商工観光課企画員の米本潔さん(49)だ。

 米本さんは「日本遺産 津和野今昔〜百景図を歩く〜」の企画を手がけた一人で、「画集を初めて紐[ひも]解いた時は本当に驚きでした。今住んでいる町と変わらない通りの風景、町並み、お祭りや行事、人々の暮らしも。百景図をめくっていくと、百景図の時代と現在の津和野が繋がっていることがよく分かります」と説明する。

殿町には家老職ほか上級武士の屋敷があり、町方の本町との間には番所があり、出入りは固く禁じられた。

「日本遺産 津和野今昔〜百景図を歩く〜」を企画した津和野町商工観光課企画員の米本さん。「百景図で本当の津和野の魅力を今後も発信していきたい」と説明する。

百景図第二十三図「殿町」
道幅などの景観はやや異なるものの、家老多胡家の表御門など、現在もほぼそのままの風景を残している。

 そして津和野の大切なものを守り継いできた先人たちに米本さんは敬服する。維新後、亀井家は津和野を離れるが、折に触れて帰郷し、町の旦那衆らを招いて茶でもてなした。その席で百景図を披露し、それに目を見張った旦那衆らは百景図を手本に、近代化を受けつつも、むやみな開発を避け、自然や町並みを保護したということなのだ。

 殿町通りに続く本町通りに、古い商家群に軒を並べて「津和野町日本遺産センター」がある。日本遺産認定を機に開設された施設で、展示室では百景図全5巻(レプリカ)が見られるほか映像や資料で津和野を、また常駐のコンシェルジュ(案内人)が「津和野今昔〜百景図を歩く〜」を解説し、一味違う津和野の歩き方を教えてくれる。

 コンシェルジュの一人、ペルラキ・ディネーシュさん(36)は来日5年目のハンガリー人で、山口大学博士課程でコンピューターを学ぶ留学生。「津和野には心の故郷のような懐かしさを覚えます。風景や自然だけでなく、お祭りや人々の暮らしにも日本らしさ、良さが残っています。そんな津和野が大好きです」と流暢な日本語で話してくれた。

 津和野町日本遺産センターでは百景図を津和野の「四季」「自然」「歴史文化」「食」の4テーマに区分し、訪れる人に応じて歩き方のコースを提案しているという。

津和野町日本遺産センターにはコンシェルジュが常駐しており、訪れる人に百景図の解説や津和野の歩き方をガイドしている。

コンシェルジュのペルラキさんは「東京や大阪より、日本らしい風景や習慣が残る津和野が好き」と言う。

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